第3話
親愛なる師が神の元に参ってから72年が経った。
もしご存命であれば私はすぐにでも師の僕となり、忠誠を誓っていた。しかしこの時代に生まれてしまった私は、彼の作品の中でしか師に会えないのだ。
いくら彼の文章に恋い焦がれても、所詮私はその本のインクの匂いしか感じることが出来ない。師の小説を擦り切れるほど読んだせいで、本の表紙が少し破れシミが付いていた。
しかし師の小説の題名のおかげでそんな欠損すら、その小説のために創られたデザインの様だった。師が処女の奥様をもらいその純潔な処女を自分の手で穢した時、師は何を思ったのだろう。
師にとってそれはトラ(悲劇の略)だったでしょうか?もしかするともっと凄惨なる未来が訪れた師は奥様が処女であったことなんてどうでも良くなったかもしれない。
血生臭い師の小説、焼いて食べたら私は師の様になれますか?私は師の小説の文章を一言一句逃さずに体に彫りたい。体中貴方の文章に包まれて、いつか貴方の文字たちに体を蝕まれ死に辿り着く。
そんな思考はもし師が生きていたら、なんて素晴らしいのだと私に共感し実行してくださったでしょう。嗚呼、師が生きている時代に生まれたかった。
師と共に青葉の滝まで自転車で行き、師と手をつないで自然の水しぶきを浴び神々しい日の光で微かに日焼けがしたかった。そして私は左腕に付けていた腕時計を外して「見て、こんなに日焼けした。」そう言って師に、腕時計が居た場所だけが微かに白い腕を差し出す。
師は私の白い腕にキスをして、そっと微笑んで私に言うの。
「君は僕のヴィーナスだよ」って。
私の腕と比較しようと師が私に差し出した腕には注射器の針の痕がある。私は人差し指を師の腕の上に滑らせて、「これ、私にもくださる?」その注射器の痕を指さして言った。私の人差し指を強く握って「だめだよ、これは高いんだ。」と師は言った。
師のその返答で私は頬を膨らませて先に歩き出すの。私のそんな様子を可愛がる優しい師の笑い声を背にして私はニヤリニヤリと笑いながら、これまで使ったことのないような筋肉を使って亀の歩みよりもゆっくりと歩く。
歩いて、歩いて、段々歩みが止まって振り返ると師はそこにはいない。自然豊かな風景もコーンスープの生クリームをお玉で混ぜた時のように歪んで、師の笑い声はただの木々の唸り声であった気さえした。
そして私の左手には、師の小説があった。師のキスのぬくもりが微かに残っている。けれどこれは全て、私の妄想だ、いつだって私は独りで歩いている。
それは確かに良き人生、私の花園が常に目の前にあるかのような至福。ですが師よ、私は貴方に絆されていたい、私はこれまでの人生で一度も望んで他人に左右されたことがない。
貴方が私の初めての人であれば、これ以上の幸福はありませんでしたが、そんな思考は水に流してしまいましょう。すでに私は誰かの策略の中、餌に釣られて右も左も関係ない。ほら、歪んだコーンスープの生クリームは雨の後の川の濁流で流されもう色味さえ無になった。あらあら、ご愁傷様。
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