5.落涙

 目が覚めると、そこは白い世界だった。

 白い天井、白いカーテン。白いベッドに白いシーツ。全てが白の世界に私は横たわっていて――


「……やっと目を開けた。俺の事が、分かるかい?」


目の前には、私を心配そうに見つめる夫の顔があった。

 何故か眼鏡はしていない。どうやら「あの世」では、眼鏡は必要ないらしい。

 私は「やっぱり、良い男だわ」と内心で呟きながら、こくんと頷き身を起こそうとした。


「おっと、一週間以上も寝込んでたんだ。まだ無理するな」


 ――一週間も寝込んでいた。つまり、死んでから「あの世」で目覚めるまで、一週間もかかったという事だろうか?

 二年間も待たせておいて今更だが、少し夫に申し訳ない気がしてきた。だからなのか、私の口からは驚くほど素直に言葉が漏れた。


「ごめん……なさい」

「おいおい、謝るのはこっちの方だろ? ……ごめんな、苦労をかけた。俺みたいな奴と一緒になっちまったせいで……」

「そんなこと……ない。私、幸せだった……。たった数日でも、貴方と夫婦になれて……ずっと、大好きだったから……」

「えっ……?」


 私の言葉に、彼は酷く驚いた様子だった。

 けれども、すぐに優しい微笑みを浮かべると、私の髪を撫でながら、こんな言葉を囁いてきた。


「良かった、嫌われてなかったんだな、俺。……俺もだ。俺も、ずっとお前の事が好きだった。折角夫婦になったのに、その事を一言も伝えられなかったから、ずっと後悔してたんだ。――でも、これからはずっと一緒だ」

「本当?」

「ああ、本当だ。、残りの人生は、お前の為に使うと約束するよ」


 彼の手が、優しく私の手を握る。

 温かい。初夜の時に感じて以来の彼の温もりに、私の胸は高鳴り――って、あれ? 「あの世」なのに、体温もあって心臓も動いている?


 というか、彼は今、「二年間も待たせた」と言わなかったか?


「っと、そうだ。お前の目が覚めたんだから、。ちょっと待ってろ!」


 そう言い残して駆けだした彼の背中を見ながら――私はようやく、正気を取り戻した。

 周囲を見回す。そこは、どこからどう見ても病院の病室だ。確か一度だけ来たことのある、街の大病院の中だろう。

 つまり私は死んでいなくて……夫も……?


 思考が現実に追い付かない。

 混乱した私の感情は、いつしか眼からポロポロと零れ出していた。


「おーい、看護婦さんを呼んできたぞ――って、ええっ!? な、なんで泣いてるんだ、お前? 大丈夫か? どこか痛いのか?」


 戻ってきた夫は、ポロポロと涙を流す私を見てオロオロとするばかりだった――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る