第2章 宿敵

ー数年後ー


 ブルブル、ブルブル、ブルブル。


 突然、左ポケットのスマホが震えた。

 鷲見は画面に目をやり相手を確認した。シュルツ社長だった。昨年9月にウェーバー社長の後任としてヴェルケ・ジャパンに赴任してきた。


「スミ、折り入ってお願いがあるんだが?」

 まるで合理主義の権化だ。一切の社交辞令抜きでいきなり要件に入る。

「第3四半期の売上が二百台ほど足りない。今月中にヴェルケ大阪であと百台でも良いんで取ってくれ」

「その件なら、飯岡本部長にこれ以上一台でも無理だと話してありますが……」

 昨夜漸く飯岡を説得した案件だった。飯岡は嘗て鷲見の配下でリージョナル・マネージャーだった男だ。その前の2年間はミュンヘン本社で海外商品企画部に居た。その頃の上司がシュルツであった。シュルツが、前社長ウェーバー派の筆頭であった鷲見を大阪へ追いやりその後任に飯岡を据えたのは、こうした過去の信頼関係があるからだった。飯岡はシュルツに反論できない。

(やっぱりな、飯岡ではシュルツを説得できなかったか)

 いきなりシュルツから受けた直撃弾に、不快さのあまり怒りが込み上げてこれ以上の言葉が出ない。


「飯岡じゃ埒が明かないんで、オレが直接電話してるんだが……」

(そりゃ言われなくとも分かっているが、それじゃ、こっちが今まで費やした時間と労力はなんだったんだ?)

「何度でも言いますが、ウチは未だ過剰在庫を抱えてるんです。先ずは、これをキレイにしなけりゃ本社と連結なんて永遠にできませんよ」


 鷲見が指揮を執るヴェルケ大阪は、1年半前に大阪を地盤とするヴェルケ・ブランド車の地場ディーラー3社を、ヴェルケ・ジャパンが買収し統合したメーカー直営の大規模自動車ディーラーである。鷲見は、当時営業本部長としてウェーバー前社長の下で買収劇の指揮を採った。かなり強引な手法も使った。

 業績回復も勿論だが、完全子会社化することが当面の目標であり、業績安定後に第3者ファンドに売却することを究極のゴールとしていた。

 直営店として再出発した際、部下の一人を初代社長として配した。小売経験も豊かでエネルギッシュな男だったが、統合に向けた社員のベクトル合わせに精根使い果たし1年で潰れた。任命責任を取るつもりで、鷲見自ら後任に手を挙げて半年になろうとしていた。この発案が、結果シュルツの意向を反映したものになってしまったのは残念だった。 

 シュルツはウェーバー前社長の痕跡を極力廃することに情熱を以って臨んだ。鷲見がわざわざ手を挙げずとも、異動は時間の問題だったのである。


「一旦引き取って貰えれば、来月早々に買い戻しても良い。そうすれば支払は二週間後だから、資金繰りも問題なかろう」

 ドイツのヴェルケ本社は早急にヴェルケ大阪を連結法人化したかった。その為には、ヴェルケ大阪が先ず独立法人としてのボトム・ライン(事業損益)を改善する事が喫緊の課題だった。その鍵を握る政策が『値引き抑制』と『在庫削減』であった。これをシュルツが知らぬ筈はない。敢えて在庫を持たせようとするのは、ヴェルケ・ジャパンの売上嵩上げが表面的な理由だが、実は、前社長の功績であるヴェルケ大阪を潰すことにある、と鷲見は考えていた。

(そんな相手に何を言おうが……、結局……) 

 

 鷲見の大阪異動が発表された日、ミュンヘン本社に居るマーク・ボリスから連絡があった。

「スミ、シュルツに負けるな。知っての通り、アイツは人望がない。父親が本社の監査役会会長なんで誰も表だって文句が言えないが。ボクもこっちで君をサポートするから、アイツの横暴ぶりを内々に教えてくれ」

 

 案の定、シュルツの求めは鷲見の『追加引き取りの受諾』のみだった。

「いつまでゴチャゴチャと綺麗事を言ってる。こっちはお前んとこの資金繰りまで心配してやってるのに。お前の考えは全く理解できない。これまでの成果には敬意を表するが、これ以上、部下と言い争うつもりはない」

 突然、電話が切られた。


一週間後、月が改まり、鷲見にヴェルケ・ジャパン人事部長から電話が入った。

「鷲見社長、今朝シュルツ社長から呼ばれて、貴殿への辞令を預かりました。先ず口頭でお伝えします。『今月一杯で退任して欲しい』との事でした」

 想定内とは言え『お前はクビだ』だと言われると、一瞬頭が真っ白になった。気を取り直し、電話の向こうにいる人事部長に伝えた。

「明朝一番で会いに行く、とシュルツ社長に伝えてくれ」

 

 鷲見は、久々にふつふつと熱いものが心の底から湧き上がる感覚に、スマホを持つ手が震えているのを感じた。


<続く>

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