創られた奇遇

海斗大地

第1章 隣席

 搭乗は、既に始まっていた。


(ああ、間に合った)


 ボーディングパスを片手に、小走りから早歩きに速度を落としながらチェックゲートを通過した。C10。鷲見(すみ)は通路側の席を好んだ。これから11時間以上のフライトである。トイレに立ったり、エコノミー何とかが気になり機内を歩いたり、少なくとも2、3度は席を離れる。一方で、死んだように寝る者も居る。そういう時、隣席の他人に極力迷惑を掛けたくないのである。


 この世には2種類の人間が居ると思っている。

 自分は多少の迷惑を被ってもヒトに気を使いたくないタイプと、兎に角、一人でそっとしておいて欲しい、ヒトに邪魔されることを毛嫌いするが、ヒトへの多少の迷惑はやむなしと割り切って生きているタイプ。

 鷲見は前者に属する。


 席に着くと間髪入れずにCAが上着を預かりに来る。ここで、ほっと、一息。鷲見はこの瞬間が好きだ。

(後は何も考えずとも、飛行機が成田まで運んでくれる……)


 ゴロゴロ、ゴロゴロ、ゴロ。


 音は鷲見の横の通路で停まった。

「エクスキューズ・ミー」

 眼の前を2メーターはありそうな長身の白人が遮った。A10だ。鷲見の隣の窓側の席である。ヒトからの邪魔を嫌う巨人は席に着くと同時に手を差し出し『マーク・ボリス』と名乗った。

 海外出張の多い鷲見は、何度もこうして隣席の赤の他人が瞬時に知人へ変わる経験をしてきた。仕事ではないので、必ずしも名刺交換はしない。それでも何枚かの横文字の名刺が鷲見のカードホールダーに収まっているが、それきり取り出したことはない。当に一期一会である。

 

 マークは生まれも育ちもドイツ、ミュンヘン。ミュンヘン工科大学を出て、地元の超優良企業ヴェルケ・モータースに就職し、様々な職場を経て一ケ月前に人事部に異動になったばかりだ、と言う。

「それは奇遇だ。僕もヴェルケ・ジャパンで営業統括をしている」

「エエッ、ひょっとしてスミさんですか?」

(何故、名前を知っている?)

「この度人事本部長への就任の挨拶を兼ねて、ヴェルケ・ジャパンを訪問するところなんです。ウェーバー社長やあなたにお会いする為にね」

 

 そう言えば、今回の出張前にウェーバー社長から聞いた様な気もする。鷲見が帰国した頃に本社の新しい人事本部長が顔見せに来ることになっている、と。


「いやー、驚きました。あなたのお話はウェーバー社長から伺っていますよ」

 若い、四十代半ばだろうか。本社の人事本部長と言えば、子会社の社長クラス、若しくはそれ以上の筈だが。鷲見の妄想は一挙に膨み、気付かぬ内にマークに興味を抱いている自分が居た。

 エンジン音が低く変わり、機体が巡航速度に達した。シートベルト装着のランプが消えたのも気付かぬほど二人の会話は弾んでいた。フランクフルト空港で走ったせいか、適度に冷えたシャルドネが喉にしみた。

「スミさんはヴェルケの前は何をされていたんですか?」

 普段あまり話す方ではない鷲見が、マークの巧みな話法に触発されアメリカでの経歴を含めかなり詳細な個人情報を提供した。

 無機質な機内に、ほのかに食事を想像させる香りが漂った。二人の会話は更に続いていた。これがマークボリスとの最初の出会いだった。


<続く>

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