君の笑顔が見たい

やがてその子は成長していき、身長も高くなっていった。


大人の階段を登り始めたのかもしれない。

僕は人間のことは全部知っている訳ではないけど、思春期という時期なのかなと思った。


彼女は全く笑わなくなった...。


前みたいに外で遊ぶこともなく、僕も彼女にスキンシップを取れなくなっていた。


唯一彼女に触れることが出来るのは彼女の通学中だけだった。


通学中の彼女は地面ばかり見ながら歩いている、彼女に声をかける友達もいないようだった。


僕は彼女が気になって、学校に着いてからも窓から彼女を見ていたが、笑うことはなかった。


彼女に話しかける生徒はいたが、彼女は下ばかり見てその生徒と話をしているかどうかもわからなかった。


僕が知ってる限りでは彼女が笑わなくなったのは転校してからだった。


彼女は住み慣れた自然豊かな地域から家や建物が建ち並ぶ街へと引っ越していった。


その街で風を運ぶのも僕の役割の範囲だったから、手の届くところで僕は安心していた。


今まで通りの関係でいられると思っていた。


その眩しい程の純粋で無邪気な笑顔を僕はいつまでも見れると思って疑わなかった...。


転校してから日に日に彼女の笑顔が消えていき、笑顔を見せる回数も減っていった。


雰囲気もどこか暗く悲しげになっていった。


そして数ヶ月が過ぎた。


僕はいつも彼女は大丈夫だろうかと心配していた。


いつも通り、学校から帰る彼女の頬を優しく撫でた時、彼女の頬にはあざが出来ていることに気付いた。


どうしたんだろう。

僕は風だからどこにでも行けるけど、基本的には建物の中には入らないようにしている。


建物の中で力加減を間違ってしまうと、中にあるものを壊してしまったり、人が怪我をしてしまうからだ。


僕はまだ、他の地域の風よりも力加減が上手ではなく、風を司る存在としてはひよっこなんだ。


彼女が学校内で何を経験しているかはわからないから、僕は余計に心配になった。


大丈夫だろうか...。


次の日、学校から帰る彼女の歩く速度が少し遅いような気がした。


足をかばいながら歩いているのかもしれない。


僕は少しだけ強めの風を彼女の足元におこした。


スカートがふわりとめくれて太もも近くまで足が見えた。


足にはいくつかあざがあった。


普通ならスカートがめくれないように押さえるのに、そのあざの痛みのせいで足で踏ん張ることが出来きずによろけている。


何でこんなにあざがあるんだろう。

こんなに苦しそうなんだろう。


何とかしてあげたい。

僕は心配というより胸の奥が締め付けられるような感じがしていた。


彼女に何が起こっているのか、僕は確認することにした。


彼女が家に着いてドアを開ける。

僕は彼女がドアを開けた瞬間に家の中に入った。


力加減に注意をして慎重に彼女の後を付いていく。


彼女のお父さんもお母さんもまだ家にはいなかった。


仕事で帰りが遅いのかもしれない。


彼女は夕食の準備をしていた。

あまりの手際の良さに僕は凄いと思った。


それは彼女がしばらくの間、ある程度前から今のような状況で過ごしてきたのだとわかることが出来た。


僕は同時に彼女のことをあまり知らなかったんだなということにも気付かされた。


やがてお父さんとお母さんが仕事から帰ってきた。


遅い時間だったから、彼女は既に夕食を終えていた。


お父さんとお母さんは娘に対して感謝の言葉を伝えた後、いつも寂しい想いをさせてすまないと彼女を抱き締めていた。


お父さんとお母さんの彼女に対する愛情は本物だと僕も感じた。


お母さんは彼女の身体に出来たあざのことを知っていて、どうしたのかと聞いた。


お母さんの口ぶりからすると、以前からあざはあって、何回も聞いているようだ。


彼女は何でもない、大丈夫だから心配しなくていいよと言った。


家の中では学校と違い、笑顔で答えていたけど、もちろん精一杯の作り笑顔だった。


彼女は優しい。

仕事で疲れきっているお父さんとお母さんを気遣い、心配をかけさせたくないといった想いがわかるような振る舞いだった。


僕は彼女に何が出来るだろうか。

切ない想いを抱いたまま、換気扇から外に出た。


答えが見つからないまま、次の日を迎えた。


僕が見ていないのは学校内での彼女の様子だ。


授業中は外から教室で勉強している彼女を見ていたが、窓がないところでは見ていなかった。


彼女は時々、僕な見えないところに行っている。


そこで何かあるのかもしれない。

学校の中にも入る決意をした...。


学校や大きめの建物内では空調の関係もあって、力の制御が難しく、力が強すぎてもいけないけど、弱すぎたり、油断をすると吸い込まれて外に吐き出されてしまう。


なるべく不自然にならないように注意しながら彼女の近くに待機していた。


彼女のところに同級生も思われる人物が数名近づいてきた。


同級生は彼女と少しだけ話をすると教室を出てどこかへ行ってしまった。


僕は彼女から数メートル離れていたので、どんな話をしてたのかは聞こえなかった。


音は空気を伝って伝わる、僕の風を操る力がもっと上手であれば、数メートルくらい離れていても音として会話を拾うことが出来ていただろう。


彼女はしばらくして、席を立ち、教室を後にした。


僕はたどたどしい足取りで歩いて行く彼女の後を注意しながら付いていった。


彼女が立ち止まった。

目の前には女子トイレのドアがあった。


人間にとってトイレは体内にある不要なものを排出する場所だという認識だった。


彼女はためらいながらドアを開けて中に入っていった。


僕もドアを開けた隙間から中に入り込んだ。


中には同級生の女子三人が彼女を待っていた。


同級生と彼女は話をしていた。

同級生の態度からは威圧的なものを感じる。


彼女はポケットから財布のようなものを取り出すと、中からお金を出して同級生に渡した。


彼女の様子から親しい人ではないことがわかった。


同級生は凄い剣幕で彼女に怒鳴っていた。

僕は力を押さえるのに精一杯で、何を話しているのか会話を理解する程の技量はまだなかった。


会話を聞けたとしても僕は人と会話自体したことがなかったので、人が人に対する感情や人付き合いのルール等はわからなかった。


彼女は必死に同級生に何かを訴えている。

彼女の眼には涙が浮かんでいた。


僕は胸が苦しくなった。


彼女は悲しいのだろうか。

彼女はお金を渡していた。


人が誰かにものをあげたり、誰かからものをもらったりすることは嬉しいことのはずだ。


でも彼女も同級生も嬉しそうな表情はしていない。


わからなかった。

わからないことがもどかしかった。


本当に僕は彼女のことを何も知らないんだと思った。

眩しいくらいの笑顔と純粋で優しい心の持ち主という彼女の表面だけしか見えていなかったんだ。


知ろうとしなかったんだ。

そういう風に僕が彼女を決めつけて見ていたのかもしれないと思った。


彼女はこんなに苦しそうな表情をしている、助けを求めている。


僕の中でふつふつと沸いてくる感情があった。


その時、同級生が彼女のお腹を蹴った。

彼女は床に倒れた。


怒鳴りながら他の同級生も彼女に殴りかかろうとしていた。


僕の中で何かが弾けた。

押さえられなかった。


理由がどうであれ、彼女が痛め付けられる理由などない。


"彼女をいじめるな!!その手を離せ!!!"


窓が閉まっていて風など起こるはずもない空間に突如けたたましい音と共に突風が吹いた。


僕は怒っていた。

力を制御出来なかった。


ゴゴゴ、ガッシャーン!


不透明な窓ガラスが割れて、その破片が同級生の足に刺さった。


飛び散ったガラスの破片が宙に舞い、同級生達の腕にも刺さった。


同級生達は痛さにうずくまって泣いていた。


彼女にはガラスの破片は刺さらなかった。

僕がガラスの破片を寄せ付けなかったからだ。


程なくして音と悲鳴を聞いて先生達が入ってきた。


僕は急いで割れた窓から外に出た。


外に出たら少し冷静になれた。


彼女は虐められていたのだ。


あんなに明るくて良い子が虐められる訳がないと思い込んでいたんだ。


僕は浅はかな考えを持っていた自分が恥ずかしかった。


今までもずっとそうだったのかもしれない。

僕は彼女の陽のあたる部分しか見えていなかった。


光があれば影もある。

どうして気付いてあげられなかったのだろう...。



同級生達は救急車で病院へ運ばれていった。

今回の虐めの件は、全てあかるみにされ、噂は広がり問題を起こした同級生達は世間から叩かれる立場になった。


彼女を気遣ってのことか以前よりもクラスメートが集まるようになってきていたが、まだ彼女の表情が晴れることはなかった。


何日か経った日の夜、彼女は窓を開けて眠った。

僕は彼女が寝たことを確認すると窓から部屋に入った。


机の上には日記が置かれていた。

風の力でページをめくる。


彼女の葛藤や悩みが書いてあった。


この街に来てからお父さんもお母さんも仕事で忙しく夜遅くに疲れて帰ってくるから、自分が大変なお父さんとお母さんが少しでも楽になるように家事をしよう。


やっぱり1人で食べる夕御飯は寂しい。


誰もいない家に帰るのは嫌だなぁ。


転校してから怖そうな子達に目を付けられたけど、優しい人かもしれないし、明るく笑っていれば大丈夫だよね。


怖そうな子達からお金が欲しいと言われた。

困っているみたいだから、貸してあげた。

困ってる時はお互い様だからね。


またお金を要求された。

今度は断った。


またお金。

辞めて欲しいと出来るだけ笑顔で答えたら殴られた。


また呼び出された。

殴られるのが怖くてお金をあげてしまった。


お金を渡しているのに殴られるようになった。


今までは明るく笑顔でいれば上手くいっていたけど、今回はダメみたい。


お父さんもお母さんも大変そうだから心配かけたくないから言えない。


笑顔でいるだけでは何も良くならない。

笑顔なんてもういらない!


毎日が辛い。


どうしてら良いのかわからないよ。


誰か私に気付いてよ!私を助けてよ!


...僕は彼女から笑顔が消えてしまった理由を知った。


彼女は寝ていたが目からは涙が流れていた。

頬を伝う涙を僕は出来るだけ優しい風で撫でた。


続きのページもあったが、これ以上は読み進めるのが辛くて、その場を離れて外に出た。


次の日、彼女はいつも通り学校に行った。


昨日は辛くて最後まで日記のページをめくることが出来なかったが、どうしても続きが気になった。


彼女がその場にいたこともより辛く感じる原因だった。


彼女がいない部屋であれば読めると思った。


換気扇の隙間から家に入り、彼女が書いた日記の続きを見ることにした。



今日は不思議なことが起こった。

トイレでいつも通り、殴られていたら急に風が吹いて窓ガラスが割れた。


私を殴っていた子達に向かって割れたガラスが飛んでいったように見えた。


誰かが私を守ってくれたのかもしれない。

誰も気付いてくれなかった私に気付いて守ってくれた。


私は小さい頃から誰かに守られている感じがしていて、そう感じる時は決まって風が吹いていたことを思い出した。


ずっと側で見守っていてくれてたんだね。

私の風さん、ありがとう。

大好きだよ。


...僕は嬉しかった。

彼女はやっぱり僕に気付いていてくれた。


日記にはまだ続きがあった。

更にページをめくった。

昨日書かれたものだ。


あの子達は怪我をして病院に運ばれた。

私もずっと痛い思いをしてきたから、少しスカッとした気持ちはあったけど、痛そうで可哀想な気もした。


それに今ではあの子達は問題を起こした生徒として、どこにも居場所がなくなってしまった。


私はただ、みんなと仲良く笑い合いたかっただけなのに、こんな結果になるなんて望んでいなかったのに。


私のせいであの子達の未来を、学校生活を奪ってしまった。


もっと違う結末になるやり方はあったはずなのに、ごめんなさい。


ごめんなさい。


もう私の心は耐えられないの、もう楽になりたいの。


私を許して下さい。

お父さん、お母さん、今まで大切に育ててくれてありがとう。


ごめんなさい...さようなら。


僕は急いで彼女がいる学校へ向けて移動していた。


彼女は何も悪いことなんかしていない。

自分を責める必要なんてないんだ。


トイレの件は僕がやったことで彼女は関わってないし、望んだことでもないのに。

僕がやり過ぎてしまったんだ。


彼女は純粋で優し過ぎるから気に病んでしまったのだと思う。


彼女は自ら命を絶とうとしていた。


死んじゃダメだ。

助けなきゃ、助けなきゃ、早く早く。


頼むから間に合ってくれ!



その頃、彼女は学校の屋上にいた。


フェンスを越えた先に立っていて身体を支えるものは何もなかった。


彼女に気付いた生徒や先生が必死に説得をしている。


だが誰の声も彼女の耳には届かなかった。


彼女はゆっくりと目を閉じ、手を広げ倒れるように身を投げ出した。


周りからは悲鳴が鳴り響いていた。


地面に叩きつけられるのは時間の問題だった。


5メートル程、落下していた時、物凄い音と共に突風が吹いた。


車も飛ばしてしまいそうな風だった。


風は彼女の身体を浮かせたまま、その場に留まっていた。


目撃していた生徒や先生は信じられない光景に唖然としているだけだった。


やがて風は優しく彼女を包み込んだ。


間に合って良かったと僕は言った。


風...さん?


彼女は答えた。


僕は信じられなかった。

彼女と会話をしている。


僕は君が小さい頃からずっと見てきたんだ。

君の笑顔を見るのが一番幸せなんだ。

君のことがずっと好きだったんだよ。


僕はずっと言いたかった言葉を彼女に伝えた。


ありがとう、風さん。

私も風さんが大好きだよ。


私も小さい頃から、風さんが側にいてくれて見守ってくれてることを感じていたの、この前のことで、やっぱり風さんが側にいてくれてるって思ったの。


だから、せめてありがとうって伝えたくて昨日の夜に窓を開けていたのよ。


私の口から直接、風さんに気持ちを伝えられるなんて夢にも思わなかったから、嬉しい。


僕は満たされた気分で、曇った空が瞬く間に晴天に変わるかような心の喜びを感じた。


でも僕も伝えなければいけない。


僕は君の笑顔が大好きだった。

でも僕は君の表面しか見えていなくて、どんな思いをしているのか、わかってあげられなかった。


わかっていれば、もっと早くに助けてあげられたかもしれないのに。


本当にごめん。


ううん、いいの。

私の方こそ、いつも助けてくれてありがとう。


私、屋上から飛び降りる瞬間に後悔したの。

これで良かったのかなって。


やっぱり生きたい!死にたくない!って思ったけど、遅かった。


でも風さんが助けてくれた。

私はとんでもない過ちをしてしまうところだった。


彼女は目に涙を浮かべながら話していたが、堪えきれず、泣き始めた。


僕は彼女の頬を伝う涙を拭って優しく抱きしめた。


いいんだよ。

無理しなくていいんだよ。

人間も風も間違うことはあるから

自分を責めなくていいんだよ。


間違ったらやり直せばいいから、やり続ける限り成功に近づくんだから失敗なんかしないんだよ。


もっと自分自信を認めて愛していいんだよ。

自分自信の本当の気持ちに気付かない振りをしたり、逃げてはダメだよ。


自分の本当の気持ちに向き合って受け入れてあげてね。


うん。わかった。

ありがとう、風さん。


彼女は胸のつかえが取れたように穏やかな表情をしていた。


僕は知っていた。

あそこで見ている先生の頭はカツラであると言うことを。


ビュゥゥー。

鋭い突風が先生の頭をめがけて飛んでいく。


先生はカツラが頭から離れそうになるのを必死に押さえようとして、カツラの形がいびつに変形してしまった。


カツラが縦に延びたことによって、先生の頭はぬらりひょんのように長くなった。


余りのおかしさに彼女は笑っていた。

僕がずっと見たかった、彼女の笑顔だった。


僕はゆっくりと彼女を地上に下ろした。


僕はいつでも君の側にいるからね。


彼女が無事だったことに、周りは安堵の表情を浮かべるものもいれば、信じられないといったといった表情を浮かべているものもいた。


彼女は念の為、救急車で病院に運ばれていった。


僕は病院の前にいた。

しばらくして彼女のお父さん、お母さんも慌てて病院へ入っていった。


次の日、全国ニュースで彼女のことが放送されたらしいことを風の噂で耳にした。


奇跡が起きた、風に守られた少女として話題になった。


それから彼女の周りには人が集まるようになり、お父さん、お母さんも早く家に帰ってくるようになった。


彼女もどんどん明るくなり、よく笑うようになっていた。


僕は彼女を助けて以降、彼女と直接話が出来るようになった。


学校での出来事、家での様子、面白かったテレビ等、楽しい時間を過ごした。


自分の気持ちを伝えることが出来る、相手の気持ちを受け取ることが出来る、誰かとこうしてコミュニケーションを取れることの素晴らしさを感じていた。


人は1人1人違う。

長所も短所もある、けれどそれでいいんだ。

全部含めてその人なんだから。


僕は今回の件で、以前よりも人について少しわかったような気がした。


彼女もまた変わろうとしていた。

今まで人に合わせて、笑顔で乗り気ってきた。

その成功パターンが通じない状況もある。

自分の心の声に従わずに他人に流されていた。


自分はどう思うのか、自信を持って自分を大切にしようと決めた。



彼女が自分と向き合い始めた頃、彼女から悲しくなるお知らせを聞いた。


別の街に引っ越すことが決まったらしい。


その街の風は僕の管轄外の地域だった。


僕は凄く寂しい気分になったが、彼女から沢山教わったし感謝している気持ちの方が強かった。


君と過ごした日々は僕の宝物だ。



そして別れの日がやってきた。

3月の半ば、もう少しで世間は新生活の時期でもあった。


家の前に荷物を抱えた彼女が立っていた。

僕が来るのを待っていた。


僕は彼女の引っ越しが決まった時に管轄外になるから会えなくなることは伝えていた。


行っちゃうんだね。

寂しくなるなぁ。


うん...。

風さんも元気でね。


小さい頃から助けてもらってたけど、風さんのおかげで私はこうして生きているから、風さんには言葉で伝えられない程、感謝してるの。


私ね、風さんが助けてくれなかったら、あの時で人生終わってた。


今、思い出しても、あの時死んでいたかと思うとゾッとするの。


死ぬ勇気があれば何でも出来たなって今になって思うの。

あの時は精一杯で目の前のことしか考えられなかったけど。


だから今は環境が変わっても、どんなことが起きても怖くないの。


あんな経験をしたんだもの。

それよりも恐いことなんかないと思うし、

それよりも、私は自分に正直に私の人生を自分の足で歩くと決めたから。



彼女はまっすぐに前を向いて話している。

視線の先には彼女がこれから歩むであろう未来が映っていた。


彼女は自分の人生に向かって歩き始めた。


もう僕がついていなくても、彼女は大丈夫だ。


僕も君からいろんなことを教わったよ。

僕の方こそ君には感謝しているよ。


僕はもう君の近くにはいれないけど、誰よりも君を応援しているよ。


君が迷った時、落ち込んだ時、風が吹いたら僕を思い出してほしいんだ。


何があっても僕は君を応援してるからね。


僕も笑顔を見つけた時は君のことを思い出すよ。


うん、ありがとう、風さん。

私、風さんに出会えて本当に良かった。


僕も君に出会えて本当に良かったよ。


本当にありがとう。

元気でね、さようなら。


うん、風さんも元気でね。

大好きだよ。


チュッ。


彼女はキスをする仕草をした。


僕が人だったらキスが出来たんだろうけど、僕は風だ。


僕には彼女の唇の感触はわからなかったけど、彼女の最大の愛情表現であることはわかったから、嬉しかった。


お父さんもお母さんも待ってるから、もう行った方が良いよ。


うん、そうだね。


じゃあね、風さん。

さようなら。


...僕は遠くなっていく彼女の背中をその場で佇んで見守っていた。


僕が管轄外の彼女に会いに行けるようになるには力不足だった。


会いに行けるようになるには最低100年はかかるかもしれない。


生きている間に彼女に会いに行くことは不可能なことだった...。



よし、少しだけ早いけど、春の暖かい風をみんなに届けに行こう!!


僕は彼女が進んでいった道とは逆の方向に向かって進んで行った。


僕は思う。

この世に存在している意識あるものには必ず乗り越えるべき試練がある。


僕の場合は彼女と出会って、彼女のことを知ることで人間をもっと理解するということだったのだろうと思う。


人に寄り添う為には、人をもっと理解する必要がある、それを体験した。


彼女も今回の件で本当の自分と向き合うというこれからの人生を進む上で必要な試練だったのだろう。


僕たちはお互いにそれぞれの未来に向かって歩き出した。


寒い冬が終わり、春の訪れを告げはじめていた。


街には暖かい風が吹いていた...。

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