第33話 『告白と言い伝え』




「――私ね、ある一つの仮説を立てたの」


 かの少年の髪色を彷彿とさせる、紫のネグリジェに着替えたエルフの少女が開口一番に放ったのは、そんな一言だった。


「いきなり仮説って。やいやいどうしたんだいフィーネリアさんや」


「ふふふ、聞いて驚きなさい。トオルはどこかの国の王家の血筋で、それを良しとしない誰かに隠蔽されたという説よ!」


「いやいや、王子なんてそんな簡単に隠蔽出来るもんじゃないだろ」


 何かと思えば、俺の出自に関してのことだった。

 今日は元の世界の知識を披露する機会がとても多かったので、彼女の中で俺に対する知的欲求が増大したのだろう。


 丁度俺が竜車の中で告白しようか迷っていたものなので、間が良いのか悪いのか。どちらなのかは分からなかったけれど。


「……む。その感じだと違うのね。――なら、トオルは貴族の子息で、後継者争いに巻き込まれたりして王都に軟禁されたんじゃないかしら? そういえば、確かトオルって『イチジョウ』という家名も持っていたわよね。うーん、でもイチジョウ家なんて聞いたことがないし、それにそれだとトオルが冒険者をやっていることと辻褄が合わないわね……」


 フィーネは疑問の形で終わらせて、俺の目を真っ直ぐに見つめながら首を傾げる。


 ――答えを知りたい。ただそれだけのことなんだろう。

 だが今の俺にとっては、あざと可愛すぎる仕草を直視できる豪胆さは持ち合わせてなかった。


「あ、目を逸らした。やっぱり図星なのね。堪忍なさい」


「……い、いや。これは」


「別に隠さなくても良いわよ。誰にも言わないから」


「……ま、まあ、俺の母さんが公爵家の血筋だったらしいから、俺が貴族の子息ってのは当たりかもな」


 勘違いをしたフィーネを抑える為に、つい今の世界とは関係ない話をしてしまう。

 そんな誤魔化しを受けたフィーネはぽかんと呆けた後、驚きを顔に貼り付けて――、


「――公爵家!? トオル、そんなに高貴な身分だったのかしら?」


「あーいや違う。今はただの平民だ」


「公爵家から平民落ち? 一体何があったのよっ」


 ただ明治政府が欧州を真似して作った華族制度であるだけなのだが、背景知識が無いフィーネは俺に詰め寄って来る。

 そんな間近で見る彼女が、とても愛らしかったから――、


「――?」


 彼女の白い頬に右手を添える。


 これまた摩擦が少なく、一度触ってしまったら溶けてしまいそうな――そんな感触。


 ベッドの上。邪魔は一切無い。当たり前のようになりかけた、二人きりの空間。


 部屋は静かだった。彼女の息遣い以外には物音ひとつなかった。

 だから、俺は強く打たれる自分の心臓の音がよく聞こえた。


 彼女の青の瞳と、己の黒の瞳。


 彼女は真っ直ぐに俺の目を、俺の魂胆を見据えている。彼女の青のキャンパスに、俺の顔が映っている。

 今この瞬間だけでも俺を見てる。俺だけを見てくれているという実感が嬉しくもあり、恥ずかしくもあった。


 この事を話すのには、これら二つがちゃんと交錯した時にしたかったから。だから今感じる気恥ずかしさは、俺に合図を鳴らしてくれている。

 だから――、

 

「――実は、な。俺はこの世界の住人じゃないんだ」


「――――」


「ついこの間……一ヶ月半くらい前かな。女神みたいな人に、いきなりこことは違う世界から飛ばされて――今、俺はここで生きている」


 切り出してからは早かった。


 なんという事は無い。俺の人生のあらすじを端折って口に出しただけだ。


 戦争や魔物、加えて魔法なんてものが無い平和な国で育ったこと。家族と離れ離れになったこと。

 この世界に飛ばされてからアテもツテも無く、冒険者として生計を立てたこと。そんな時に君と出会ったこと。

 ――だから、俺にとっての君は頼もしくて、申し訳なくて、そして嬉しかったこと。


 前の世界のことは、過度に言い過ぎても自己満足にしかなり得ないと途中で感じたので、控えめに説明するようにした。


 もしかすると、頭の狂った人間と思われたかもしれない。

 いきなり目の前のやつが『自分、異世界から来たんだ』などと言い出したら、一昔前の俺なら迷わず110番にコールする。もしくは119番か。


 でも、そんな不安は彼女がゆっくり話を聞く体勢になって、うん、うんと相槌を打ってくれることで払拭された。


 やっと自分の秘密を打ち明けられて。一人で抱え込むには、有り得ない程に大き過ぎることを。

 俺の話す速さに合わせてくれる優しい彼女に、思わず言葉とは違う別の何かを堰き止めるものが緩みかけたが、なんとか堪えた。

 それは、俺が見栄っ張りだったからだろう。


 ――段々と相槌が少なくなっていくことに、別の不安を感じながら。


「――と云うわけなんだ。だから、俺はこの世界には無いものを知っているし、今日見せたトランプも元の世界にあったものなんだ――ってうおっ!」


 俺が長い話を締め括った直後。

 俺の頭はフィーネの両手で引っ張られ、彼女の胸に押しつけられた。


「ほふ! ……っ、ふご……ぅ!」


 そうなると必然的にフィーネの素晴らしき双丘の間で呼吸することとなるのだが――、


「――っ!」

 

 やばい。甘ったるい良い匂いしかしない。

 鼻腔の中は大好きな彼女の匂いで充満して、頭の中が空っぽになる。

 しかもなにこれ。薄い生地越しに伝わってくるフィーネの体がアホみたいに柔らかい。俺の顔を挟むやつが特に。


 ってかまじでこれは緊急事態。どうしたんだフィーネ。既に呼吸困難に陥っている。このままだと死ぬ。でもこんな幸せな死に方ならアリかもしれない。いやまて、俺はフィーネを幸せにするまで死ねないんだッ!


「……トオル。その事は私以外、誰にも言っちゃダメよ。絶対に絶対よ。約束してくれるかしら?」


「やふほふふる! ははらははひへ!」


「――? 何て言っているか聞こえないわよ。もっとはっきり喋りなさい」


 言葉で訴えてもダメだと悟り、フィーネの背中を叩いてタップアウトする。

 するとやっと今の状態を把握出来たのか、「あっ」という声と共にやっと俺は解放された。


「――ぷはーーっ! ……はあ、はあ……っ……マジで死ぬかと思ったぜ」


「ご、ごめんなさいトオル。そんなつもりじゃ全く無かったのよ」


「……ああ、大丈夫。良いものゲットできたから」


「そ、そう……なら良いのだけれど。――や、今はそれよりも」


 話の腰が折れたので、フィーネはキリっと姿勢を正し、吸い込まれるような青い瞳をこちらを向けて、


「実はね。エルフ族にとても、それはとても古い言い伝えがあるの。……言い伝えと言っても、統領に許可を得た者しか入れない禁書庫の蔵書の中に書いてあっただけだから、一部のエルフしか知らない事だけれどね」


「……禁書庫? 言い伝え? それが俺の現状となんの関係が?」


「断言は出来ないわ。でも、恐らくそうと呼べる物があったのよ」


 どうやらフィーネには自分でも分からない程、謎のベールに包まれた俺の境遇に対しての知識を持ち合わせているらしい。

 自分の事は一番自分が知りたいことであるので、続く言葉に耳を澄ませる。


「『天地が過去に囚われし時。解放者が降り立ち、使いとしての使命を全うするだろう』という序文だったはずよ。その解放者とは、ここでは無い別世界から来たと記されていた筈だわ」


「――――」


「誰が書いたのかも分からない本だったからあまり信じ過ぎるのも良くないけれど、それを鵜呑みにするなら――トオルはね。多分、『解放者』だと思われるわ。それは『勇者』でも無くて、勿論『魔王』でも無い称号なの。……特別な、特別な使命を賜ってこの世界に舞い降りた人間で――」

「――ちょっとタンマ。処理が追いつかない」


 訳が分からない。俺がかいほうしゃ? 古事にもなる程のなにかが俺?

 何より使命なんていうものに身に覚えが無い。


「ごめんなさい、いきなりだったから少し驚かせちゃったかしら……?」


「……ああ、大丈夫。フィーネの声を聞いたら落ち着いた」


 なんだか凄くギザな事を言った気もするが、フィーネは「そう。なら続けるわね」と淡白に返して、


「真っ白な世界で神様みたいな人と会った、と言っていたよね。トオルも薄々気付いていると思うけれど、それはこの世界の唯一神――女神アルスミスである可能性が非常に高いわ」


「うん。それには薄々気付いてた」


「そうよね。じゃあ、女神アルスミスにどんな事を言われたのかしら? もしそれが使命――お願いみたいなものだったら、あの文献の信憑性が上がるわね」


「それがな……全く覚えていないんだ。覚えているのは元の世界の自分が死にそうだから転移させる、と言っていたことぐらい。……役に立たなくてすまん」


「いいえ、トオルが謝る事じゃ無いわよ。その感じだと、トオルは望んでこの世界に来たわけじゃ無いみたいだし……。でも、そうね。覚えていないのなら、確かめる術は無さそうね」


「うん、ごめんな。……でも、望んでないってのはちょっと違くて、今はこの世界に来て良かったと思ってる。元の世界にいても俺はつまらない人生を送っていただろうし、この世界でしか出来ない事が一杯あるって知った。そして何より――君と出会えた。それだけで、この世界に無理矢理飛ばされたことに文句を垂れるなんてことは絶対にしない」


 望んでこの世界に来たわけでは無いというのは当たりだが、今は別の感情をこの世界に持っているので訂正する。

 少しだけ、自分の気持ちに気付いて欲しくて最後の部分を強調した。しかし、


「ふふ、そう。私が理由で……なんだか光栄だわ」


「……あぁ、うん」


 もっと直接的に言わなければ伝わらないんだろうなと、フィーネの反応を見て思う。

 まあ、そんなこと恥ずかしくてまだ出来ないし、まだ俺は彼女の隣に立てていないと思うからしないけど。


 と、フィーネは顎に手を当てながら瞑目し、何か考え始めた。


「……うーん……っ、やっぱり内容の詳しいところまでは忘れちゃったわ。手掛かりになりそうな事があった気もするのだけれど……。眉唾物だと思って真剣に読んでいなかったせいなのかしら」


「別に無理して思い出さなくても良いぞ。俺も思い出せないんだし、おあいこってことで」


「……そうだとしても、よ。それ程分厚い本じゃなかったのに、魔道具の中にその本が入っていないことが悔やまれるわ。掟なんて守らずに持ち出しておけば良かったわね……」


「ふーん……掟なんてもんがあるんだな」


 禁書庫とやらは結構厳密なルールがあるらしい。

 ともあれ――、


「フィーネ。そんな簡単に俺の話を信じてくれるのか?」


「信じるに決まっているじゃない。……ずっと思っていたのよ、ちぐはぐだって。常識は無いのに、変に学はあって。当たり前の事は知らないのに、皆が知らないことを知っていて。冒険者も始めたてなのに、割りに合わない力を持っていたり……」


 フィーネはそこまで言って一拍置いてから、「それに」と続けて、


「トオル、いつにも増して真剣な表情なんだもの。疑うはずが無いし、冗談にも聞こえないわ。だから今の話を聞いて納得……というより、安心したわ。トオルにも、きちんと事情があるんだって知れて」


「――――」


「だから、ありがと。そんな大事な話を私にしてくれて」


 フィーネは目元を緩ませてふわり、と笑顔を作る。

 なんだか、俺へ向ける視線の質が変わったように思う。見る目が変わった、と言えば耳障りは良いが。


「でもトオルの秘密が知られたら、トオルしか持っていない知識を利用しようとする輩が出て来るわ。必ずと言っていい程ね。だから話したいことがあったら、まずは私を通してもらえるかしら」


「ああ、そりゃ勿論だ」


 彼女はとても頼もしいことを言ってくれる。

 でも、だからこそこんなにあっけなく信じてくれる彼女に、どうしても違和感を感じてしまう。


「なあフィーネ……俺が嘘付いている線は追わないのか?」


「……そのような話を吹聴するような人は確かにいるわね。でもね、そんな人は人気者になりたいだけで根拠も何も無いの。――トオルはそんな人達とは違う。ちゃんと信用に足る材料があって、裏付ける理由もあるわ。だから……もう、もっと自信を持ちなさいよ。ちゃんと私はトオルのこと、信頼してるのだから」


 それでも、彼女は俺のことを信じてくれるらしい。

 いつからそんな信頼勝ち取ったんだよ、と言いたくなる所だが、嬉しいのもまた事実。

 最後にフィーネは口をにんまりと緩ませて、


「それにもしその話が冗談だったりしたら、それこそ約束通り一つ魔法を食らわせてあげてもいいわ。悪いことをしたお仕置き、としてね」


 彼女の中では上下関係が出来上がっている様子。言うまでも無く俺は下。

 俺達を取り巻く事情を鑑みるに、その認識は大変矛盾している。

 だがそれはもう分かりきっていたことなので、ここは敢えて気にしないようにして、


「ああ、そん時は宜しく。……フィーネ、ほんとにありがとな。マジで頼れるのはフィーネしかいない、って言っても過言じゃなくなってる」


「うん、トオルは一人じゃないわ。私がずっと側にいてあげるから――もっと、私を頼ってちょうだいね?」


 そう言いながらフィーネは至近距離まで近付いて来る。

 そしてそのまま俺の胸に身体を寄せ、白い手を俺の脇下に伸ばし、背後で交差させてから――ぎゅーっと力を込めてきた。


「――は? え、っと、これは一体……?」


「こうでもしないと、トオルは一人じゃないって感じられないでしょう?」


「うん……まあ、そうなのかな」


 少女の鼓動と、体温と、甘い香りが直で伝わってくる。

 突起が俺の身体に合わせて変形しているのは、この少女が俺よりも柔軟性を持ち合わせているからだろう。


 頭が上手く働かないのか、返事が曖昧になったような気がする。

 いつものように輝いている白金髪が、俺の頬に当たっているせいなのか。

 それもあるかもしれない。でも今はそんなこと、どうでも良くなっていたけど。


「――――」

「――――」



 何分経っただろうか。



 静かな、鼓動と息遣いだけが支配する空間で、確かに俺は彼女の腕の中に溺れていた。


 俺はその間ずっと、胸の内からはち切れんばかりのこの感情を制御するのに必死だった。

 でも今は、今だけはそんな欲求に負けても良いかなと自分に言い訳をして――、


「――なあ、フィーネ。俺もフィーネに抱き着いていいか?」


「……む、今更なんて事を聞くのよ。初めての夜はそんな事、言わなかったのに」


「はは……あの時はごめんな」


 つまりはオーケーだと受け取り、こちらも正面から抱きついているフィーネの肩に両腕を回す。そしてぎゅーっと折れてしまいそうな華奢な体を弱く締め付けた。


 ――二人が互いの存在を確かめ合う、暖かく、柔らかく、そして優しい抱擁。


 ずっとこのままでいたい。彼女と触れ合っている部分から安心と安堵が生まれて、思い悩んでいたことが今はどうでも良くなってくる。

 心地よい眠気までもが襲ってくるのも、俺が彼女に完全に心を許している証拠なのだろう。


「――――」



 守りたい。大切にしたい。幸せにしたい。



 そんな身の程知らずの願望も湧き上がって来る。

 いつも勝手に調子に乗って、馬鹿を見て、守られるのは俺ばっかりなのに――。


「……フィーネも、何か悩み事があったらまずは俺を通してくれよ。力に、なりたいから」


「ふふっ……なら、今度からそうさせてもらうわね」


 肩に押しつけている為顔は見えないが、この少女は今、俺が二番目に好きな顔をしているのだと勝手に予想する。すると――、


「――トオル、今日はこのまま眠りにつきましょう? なんだか私も、こうしている方が落ち着くの。必要とされているんだって、そう思えてくるから」


「フィーネも同じこと考えてくれてたんだな。……うん、実は俺も眠くなってきてたから、今日はこのまま寝たい」


 抱き合ったまま二人纏めて枕に倒れ込み、フィーネはそんな提案をしてきた。


 了承を得た彼女は片手で毛布を引っ張り、未だに触れ合っている俺達の上に掛けた。


「ふひひっ、なんだか悪いことをしているみたいね」


 毛布に頭まで潜った彼女が、悪戯っぽい声色で同調を求めてくる。


「ああ、本当に悪いよな。俺達って」


「ええ、そうね。私達は悪者だもの」


 息がかかるほど近くで笑う彼女は綺麗で、とても魅惑的だった。

 それにつられて、また俺も笑う。



 こんなひと時が永遠に続いてほしい。そう思える夜だった。


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