第32話 『流動するもの』



「――随分と快速になっているな。……事故ったりしたらヤバそうだけど」


「はい、重荷が無くなったのでベルティロも絶好調みたいです。本当にフィーネリア様には感謝ですね」


「――ッッ」


 御者台に出てみると、出発した時と比べて風景が前から後ろに移動する速さが格段に速くなっていた。自転車を全速力で漕いでもこのスピードは出せないだろう。

 そんな賞賛の言葉を述べると、ベルティロは逞しい両足を回しながら嘶き、同意の呼応をした。


 それにしても、これほどの速度が出ているなら空気抵抗があってもおかしくないと思うのだが、正面からくる風圧は無い。


「……ああ、この竜車は特注品だったらしく、風属性の魔石の力を使って進みやすくなっているんです」


「こんなとこにも魔石が使われてんのね……流石は剣と魔石の世界」


「あはは……まあ、その分中古でも高かったんですけどね」


 疑問が顔にでていたのか、聞くより先にカイが教えてくれた。そのままカイは「なので」と、手綱を持ちながら続けて、


「この調子なら予定していた宿場町より先に進めそうです。それに伴って帝都にも早く着けそうですね」


「おおマジか。ならそうしてくれ」


 聞くところによると、俺達の進行方向左側に流れている大河――シヴドゥン川に旅商人向けの町が多く隣接しているらしい。

 明るいうちは川に沿って走り、暗くなったら一番近い宿場町に泊まるというサイクルをするのが常のようだ。


 てっきり野宿とかをするのかと思っていたが、案外良心的だったので胸を撫で下ろした。確かに野宿するのには寒いもんな、今の季節。


「にしてもハプニングとかは全く起きないんだよな……」


 帝国までの道は全て舗装されており、人も多いので、盗賊からするとこのルートを狙うのはリスクが高いのだとか。

 だから、今のところ竜車を襲う敵とのエンカウントはまだ無い。だがこのままだと不労所得になりかねない。


 そんな俺の呟きを拾ったのか、カイはこちらにちょっとだけ振り向き、


「安全に越した事は無いですし、そもそも護衛とは抑止力のためにあるんです。盗賊達も馬鹿じゃありませんから、護衛が付いているような竜車から物を奪おうとはしないんですよ。危険ですからね」


「なるほど。それにこんな爆速で走ってる竜車を襲おうともしないだろうしな……」


 人間に限ってはそう考えて身を引くだろう。――しかし考える力がない魔物に関しては、当てはまらないかもしれないが。


「ま、そういうのは起きてから考えればいいか。――じゃ、町に到着したら教えてくれよな、カイ」


「はい、分かりました。それまでゆったりしてください」


 話は終わり、御者台と荷台を仕切るカーテンを開いてフィーネが待つ所に戻ると――、


「――トオル、ちょっとだけ食べてみないかしら? ……きっと、ほーんのちょっとだけならカイも許してくれる筈だわ」


「……あー気持ちは分かるけど、それは直接許可を貰ってからにした方が良いんじゃないか?」


「そ、そうよね。……誘惑に負けちゃダメよ、私……っ」


 フィーネが壺を前に葛藤をしていたので、微笑ましさと苦笑が入り混じる笑みが漏れる。

 俺を包み込んでくれる母性溢れる姿より、美食を目の前にすると見せる天真爛漫な彼女の姿こそが本来の姿なのだろうか。――どちらにせよ、とても魅力的なのは変わりないが。


「それよりもトオル、早くあの続きをしましょう? なんだかコツというものが掴めてきた気がするの」


「……これ以上俺が勝ってる分野でフィーネが勝っちゃったら、マジで俺の立つ瀬無くない?」


「もう、そういうのはいいのよ! 早くしたいわっ」


「はは……はいはい。了解しました」


 もう成長の兆しが見えている彼女になら、今度は俺が全敗する側に回される日も遠くないだろう。


 そうして、カイが俺達を呼ぶまで楽しい時間は続いたのだった。



 △▼△▼△▼△



「私とトオルは同じ寝台で寝るから、借りる部屋は二部屋でいいわよ。――ね? トオル」


「あ、ああ、うん。いつも通りで」


「……だそうですので――二部屋分の料金です」


 日が完全に落ちるギリギリで宿場町に着き、夕飯も食べて、ここにもあった公衆浴場で汚れを落とした後の宿探し。

 そこで運良く空いている宿を聞きつけて、たった今無事寝床を確保出来た。


「――お二人とも、本日はお疲れ様でした。旅路は今のところこれ以上無く順調です。これもお二人のお陰様ですね。本当にありがとうございます」


「いやいや俺は何もして無いし、まだお礼を言うのは時期尚早だぞ」


「もうっ、トオル。こういうのは素直に貰っておいた方が皆が幸せになれるのよ。――カイ、ほら。お礼をするならもっと良いものがあるんじゃないかしら?」


 フィーネの無茶振りにカイは暫し疑問符を浮かべたが、少し考えた後「あ」と思い当たった顔になって、


「あの壺に入っている砂糖のことですか。フィーネリア様の魔道具に入っている筈なので、ご自由に召し上がってもらって構いませんよ」


「本当!? やったわ! ありがとう、カイ!」


「はい、喜んでもらえたようで何よりです」


 どうやら俺が言った許可をもらえたようだ。


 ほんとフィーネって、絶妙に腹が立たない面の皮の厚さだよな……。こう、がめついんだけど物をあげたくなる不思議な魔性がある。喜んでいる顔が見たくなるというか。 

 それを伝えて調子に乗り過ぎられたら困るので言えないが。


「じゃ、夕飯も食べたし今日はお開きだな」


「今日はぐっすり眠れそうだわ」


「はは……それにしても、お二人とも同じ寝台で寝られるのですね。――え? 同じ寝台?」


 カイはいきなり俺とフィーネの顔を何度も交互に見た後、少し動きを止めると――ボッ、と顔を沸騰させた。


「そ、そりゃ、そそそうですよね。お、お休みなさいませーーっ!」


 カイは一通り叫ぶと、赤い顔のまま一目散に走って行った。向かう先は恐らく自室だろう。


「――? カイ、一体どうしたのかしら。あんなに慌てた様子で」


 フィーネはこれが習慣となっているから忘れているかもしれないが、年頃の男女が同じベッドで同衾するとはつまりはそういうことである。

 フィーネの貞操観念が薄れていくにつれ、俺の我慢が増えていくのでそろそろ自覚し直して欲しいのだが――。


「……まあ、一人前になれるかが懸かっているんだから緊張しているんだろ」


 原因は知っているのに、言えない。

 彼女が俺の事をどう思っているのかを知りたく無いからだ。今のこの絶妙な距離感に安心を感じてしまっている。


 ――そんなヘタレな俺の手が彼女の白い手で取られたので、思わずドキリとする。


「トオル、部屋はあっちの方みたいよ。……どうしたのよ。今日は疲れただろうから、早く横になりましょう?」


「……あ、ああ。そうだな」


 結局は、彼女にリードされて終わる。


 俺は、そんな自分に自信が持てなかった。


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