第29話 『蛙の巣立ち』
城壁に囲まれた王都のシルエットがだんだんと小さくなっていく。
降雪は既に止んでおり、地表に取り残された積雪だけが白を形成する物と成り果てていた。
やがて、王都を囲む城壁をも白の地平線が飲み込んで見えなくなるまで、ずっと見ていてられる自信があった。
「本当に離れるんだな……」
まるで、親元を離れるような感慨。未知の脅威に対する恐怖もある。
ただ、期待が無いと言ってしまえば嘘になる。残酷な要素も多いが、元の世界では到底存在しないような、異世界ならではの光景が必ずあるはずだ。
折角チャンスを得られたのだから、全力で堪能したい。いつかこの世界を旅をしてみたいと望んでいたのが、偶然今日になっただけだ。
――それも、好きな女の子がついて来てくれて、一緒に同じ光景を見られるのなら尚更だ。人間とはやはり、楽しまなければ死ぬ生き物である。
「トオル。そんな後ろを見続けてどうしたのよ。……やっぱり、王都を離れるのが寂しいのかしら?」
「ああ、ずっと王都にいたからな。こうして外の世界に旅立つってのは初めてだから、高揚と不安が入り混じってるって感じ」
「――。もしかして、辛い過去でもあったのかしら……?」
「あーいや、そういう訳じゃないんだけど……。まあ色々と事情があってさ」
俺の失言で要らぬ心配をしたフィーネが、彼女にしては低い声で問うてくる。
ただ単に、俺が井の中の蛙と呼べるに相応しい人間であっただけであるのだが、説得力のある解答をするのが困難だったのではぐらかした。
――のだが、彼女は「そう……」と目尻を下げて少し残念そうに、
「私が役立てる事でもなさそうなのね。でも教えてくれる気になったら、いつでも言ってくれて構わないわよ? 何でも聞いてあげるわ」
「ああ、ありがとな。その気持ちだけで勿体無いくらいに嬉しいよ」
察しの良いこの子のことだ。きっと、俺が沢山の秘密を抱えていることに気付いているのだろう。
それを、深掘りしないで俺のペースに合わせてくれているのをしみじみ感じる。
なのに。彼女は俺の事をもっと知りたいと言ってくれたのに、まだ彼女に俺が異端――つまりはこの世界の住人では無い事さえ伝えられていない。言い出せていない。
「――――」
それは――何故なんだろうか。
万が一気味悪がられて、今の関係が崩れてしまうという危険性を恐れているからなのかもしれない。
フィーネに限ってそんなことは無いはずなんだろうが……。いまいち、信用し切れていない。
危ない橋は渡りたくないという、俺の意気地なしの性質がここに来ても働いているのもプラスしている。
彼女に俺の全てを暴露したいが、その後起きるだろう関係の変化の方がデメリットが大きそうで、結局は安定思考に陥る。
――それが、俺が彼女の隣に立てない原因の一つなのであろう。
「まあ、俺がダメ人間なのは今に始まった事じゃ無いし……」
竜車の最後尾にある防風カーテンを閉め、己の不甲斐なさを紛らわせる為に竜車の中に目を移す。
内装は意外と綺麗で、焦茶色の木材で作られている。そしてスペースは、大人二人が悠々とラジオ体操が出来そうなくらいには広かった。
長旅による窮屈さを感じさせない設計であることに感謝の意を述べると共に、
「それにしても、速い割に安定して走行するんだな……。ベルティロが頑張ってくれているお陰なんだろうけど」
体感、自転車の全速力くらいだろうか。電車とまではいかないが、イメージしていた二倍は速く走っている。
目的地までの距離はどれくらいかは知らないが、このスピードなら案外早く着いてしまうのではないかと思う。
「そうね。私もちょっぴり驚いているのよ。あの子は地竜の中でもかなり優秀だと思うわ。とても商人見習いが所持していてもおかしくないような地竜では無いわね」
「へぇー、やっぱりそうなのか。まあ、ベルティロもこの馬車も借りているとかなんだか言ってたからな。それなら見習いでも持っていてもおかしくないけど……ハイスペックなのは間違い無さそうだな」
加えてスプリング機能が付いているのか、はたまた道路が舗装されているのかは判断出来かねるが、振動は予想していた程は無い。
余りに揺れが酷いものなら酔ってしまう可能性もあったが、これなら心配御無用である。
「――じゃあトオル。今から行くゲルメカ、という国についておさらいよ。ちょっぴり特殊な所だから、今のうちに知っておいた方が良いわね。
次の宿場町まで距離があるはずだから、みっちり教えてあげるわ」
フィーネが座席に腰掛けながら、袋から分厚い本を取り出した。
「えーマジすか……」
こういう時はミニゲームやしりとりをするのが定番なのだが、彼女は座学を所望のようだ。
そんな事情もあり、今は気分が乗らなかったので不平を漏らすとフィーネは眉を顰めながら俺を見て、
「何よ。気に入らないことがあるなら言ってごらんなさい」
「気に入らないことと言うより……やっぱりノリって大切じゃないか?」
「――? 良く分からないけれど、不満があるのだけは伝わったわ。そののり、というものは詳しくないけれど」
俺が異議を申し込んだ事に少し不機嫌になってしまったフィーネに向け、ならば、と人差し指を立てて――、
「――じゃあ、俺がノリってものを教えてやろう」
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