第10話 『第二次争奪戦』
振り返るとまず見えたのは、意思の強い紅い瞳と、それと同じ色をした髪。
てっきり仲間達とご一緒かと思ったが、見たところ一人のようだ。
グッと堪えたが、反射的に舌打ちがしたくなった。
この幸せな空間を邪魔立てする部外者にはご退場願いたい。迅速に。
「何か御用でしょうか」
「あ、誰かと思えばアンナだったのね」
フィーネと声が揃う。内容は拒絶と歓迎、と正反対。
どこかのタイミングでこうなることは予想されていたが、やけに早かった。
両者の応対を受けた赤髪の子――アンナは、俺の方を警戒して睨み付けながらフィーネの腕を引っ張り、
「フィーネ!! 助けに来た!」
「――え? どうしたのよアンナ。何かあったのかしら?」
アンナは俺からフィーネを救出した。
しかし、フィーネが俺を選ぶと言ってくれたので、焦りは全く無い。当の囚われの姫君は困惑した面持ちなのも、俺を安心させる材料になっていた。
必ず俺の方に来てくれるとも、彼女はそう易々と約束を違える少女では無いということも俺は信じていた。
「フィーネ、ごめん。助けに来るのが遅くなってしまって……。あの後、やっぱり心配になって探し回っても中々見つからなくて……! 本当に後悔したっ」
「助けに来る――ああ、そういうことね」
アンナの口から出た『助けに来る』というワードから一定の納得を見せるフィーネ。何故、アンナが切羽詰まった顔で自分の所に来たのか理解したようだ。
アンナは「そうだ、フィーネ」と続けて、
「こいつに騙されて奴隷にされてしまったのだろう? ならば、父上の権力を使ってこいつを死刑にすれば良いと思いついたんだ。そうすれば平和的にフィーネを解放出来る。良い発想でしょ、フィーネ?」
「――――」
いやいや、物騒過ぎるだろ。変わらないトーンでそう言ったが、この子、平和的という意味を履き違えているのではなかろうか。
……あ、目がガチだ。普通なら冗談だと一蹴できることだが、この子ならやりかねないぞ。
と、俺と同じく呆気に取られていたフィーネがやっと動き出して、
「アンナ、違うの。全部違うのよ。私が騙されたっていうのも、私がしなきゃダメなことも、みーんな違うのよ」
「……? 違うって何のこと、フィーネ? この前はあいつに騙されたって――」
「ごめんなさい、アンナ。騙されたっていうのは嘘なのよ。実は……丁度ここで、私が最後の焼き鳥欲しさに我儘で、自分勝手な決闘をトオル――彼にしてしまったからなの。彼は何も悪く無いのよ。悪いのは私よ」
そう言って、最後に「ごめんなさい」と、再び懺悔の言葉を発して、フィーネが頭を下げた。あのフィーネがだ。
まるで子供が問題を起こしたせいで、職員室に呼び出された母親かのように俺は見えた。
内容――特に最後の部分に誤りがあるが。
「だから、私はその分の償いをしなければならないの。逃げたら、ダメなのよ」
「……フィーネ、もしかしてこの男に闇魔法でもかけられた……!? なんて事だ。キサマ、高位の魔術師だったのか!!」
「なんでそうなる」
黙って動向を見守っていたが、これには思わずツッコミが出た。
アンナは俺とフィーネの仲を引き裂こうと躍起になっているけれども、見当違いだ。勘違いも甚だしい。
すると俺が沈黙を破った直後、フィーネが興奮したアンナを嗜めるように、
「私が精神支配の魔法なんてかかるわけないじゃない。エルフの魔法抵抗の強さはアンナが一番知ってるでしょう?」
「……それは、そうだなフィーネ。となると――キサマッ! フィーネに恐喝をしているのかッ!!」
「いや、だからなんでそうなる」
アンナは鬼の形相でそう叫んでくるが、早とちりが過ぎる。
寧ろ、あなたの方が恐喝に近いんじゃないですかね。鏡見てください。めちゃくちゃ怖いですよ。
それに、フィーネに恐喝とかするわけないじゃないか。そんなことしたら嫌われてしまうに決まってる。
「落ち着いて、アンナ。トオルはそんなこと私にしないわ」
「フィーネ、何でこいつの肩を持つの!? 何か理由があるの!? フィーネも、私達と一緒の方が良いでしょ? そこのどこの馬の骨かも分からない男より!」
「アンナ、ごめん。皆は私がいなくても平気だけど、トオルには――私がいないとダメなのよ」
完全に保護者目線のコメントである。間違っては無いのだけれど。
ってか、ちょっと信頼されてるみたいで嬉しい。
「――ッ! フィーネがいないとダメなのは私も同じだ! それに……」
アンナは何かを言い淀んだ結果、意を決したようにぽつりと、
「――今日、陛下から招集があった」
「――――」
「近日中に私達を帝国へ派遣する、との事らしい。だからこの日を逃したら、もう会えないかも知れないんだ……! フィーネ、お願い、ついて来てよ……!」
「……え」
アンナは憐憫さえ抱く懇願で、フィーネに訴えかけている。
フィーネは、それを聞いて目を見開いている。動揺しているようだ。
俺は公衆浴場でその類の噂を聞いていたので、驚きは無い。というより、このような事態になることは薄々察していた。
だから、
「フィーネ。俺への償いとかどうとか関係無く、自分がしたい事を選んでくれ」
「――――」
彼女の意志を尊重したい。フィーネには自由に生きてほしい。
でも勿論、俺としてはフィーネにそんな危ない所に行って欲しく無い。ずっと一緒にいたい。――それでもだ。
フィーネは、俺の顔を青い瞳でじっと見つめ、数秒何かを迷った素振りを見せた後、
「トオル、今日はやけにくどいわね。もう伝えたはずよ。私を優柔不断だと思わないことね」
「……そうか。ありがとな」
この少女が、俺にそう言ってくれることを知っていた。
それなのに、俺は何度も再確認なんてことをしているわけだから、自己満足に近いものじゃ無いだろうか。それに気付いてきている自分はいるが、これはやめられそうに無い。
それが少しでも罪の意識の緩和に繋がると思っているから――。
「アンナ、ごめんなさい。……最近、やっと気付いたの。私は我儘なんだって。親友が死地に向かうというのに、私はそれについていけないもの」
「フィーネ、何を言って――」
「色々な事情はあるけれども……私は、トオルと一緒に居る事を選ぶわ」
「――――」
アンナはフィーネの答えに絶句している。
俺も、そんなストレートなプロポーズをされて気恥ずかしい思いがある。フィーネはそんな目的で言ったのではないであろうが。
しかし、アンナの立場に俺がなったと仮定してみよう。
もし、フィーネが得体の知れない人間に奪われたとしたら――あ、無理。犯罪に手を染める自信がある。
彼女からしても、フィーネを取り返すなら脱法も厭わないと思っていることだろう。
つまりは、彼女からすると俺は強奪者なのだ。そう捉えられるのは仕方がない。
そんな彼女の気持ちを分かち合えるからこそ、俺は平和的解決を望みたかった。処刑とかそういうのはナシで。
そう思えたから、俺の方に体を向けて今にも掴み掛かろうと近付いて来ている彼女に、
「俺はあなたがフィーネを大事にしたい理由が分かる――いえ、違う。やっと分かったんだ」
心に眠る意志を声に乗せて、真っ直ぐに緋色の瞳を見つめることが出来た。
その瞳はこれ以上俺に近付くのを静止する代わりに、俺を写して僅かに揺れるのが分かった。
すると――、
「なんだ、分かってるじゃないか」
暴力に訴えられるかもしれないと身構えていた俺に反し、アンナの声色が若干柔らかくなった。
「私は、キサマを認めない。だが、どんな手を使ったのかは分からないが、キサマがフィーネを絆したのは認める。フィーネにあんな顔をさせたのは、私を除いてキサマが初めてだ」
絆したなんて大そうな事はしていない。
俺はみっともない姿を見せただけなのだが、何かを早とちりしているアンナは「だから」と続け、
「フィーネを、泣かせるなよ」
――なるほど。
彼女も、俺と同じくフィーネに惚れた一人なのだ。であるからに、フィーネの幸せを第一に考えている。
だからこそ、彼女の中にも、フィーネの意志を尊重したいという思いが芽生えているのだろう。似た立場であるが故に共有できる思考だ。
それに気付けたから、
「当たり前です。フィーネを泣かして得られるものなんて、世界の破滅くらいですよ」
「――世界の破滅、か。クク、中々面白いことを言う」
口角を上げて、含蓄のある笑みでアンナは笑う。
初めて見る笑みかもしれない。笑みの種類からその人間の本質が大体見抜けるが、彼女の笑い方は、フィーネのものと似ている。
その笑顔の奥に、他人を思い遣る性根が垣間見えた気がした。
突飛な発想もまた、フィーネを思い遣るが故に思い浮かんだのだろう。
「キサマがフィーネを盗まなければ、キサマとは良い友になれた気がするよ」
「奇遇ですね。俺も同じことを考えていました」
「フン、笑わせる」
アンナはそれだけ言い、後ろに束ねた髪を揺らしてフィーネの方に振り向き、
「必ず、魔王を倒してここに帰ってくる。そうしたら、また一緒にご飯でも食べに行こうね、フィーネ? フィーネが勧める料理店はどれも美味しいからな」
「ええ、もちろんよ。楽しみにしているわ。――あなたに、祝福があらんことを」
両手を胸の前で重ねて祈りのポーズをするフィーネ。
すると神々しいオーラがフィーネを取り巻く気配がして――、
「えっ」
いきなり六色の精霊が出現し、アンナの頭上をくるくると廻り、光を降らした。
かと思うと、すぐにその精霊達は散り散りになって姿を消した。
「今のは――」
「代々伝わる精霊の祝福よ。私ができる罪滅ぼしはこれくらいだけれど、効き目があれば嬉しいわ」
アンナはそれを聞いて「そうか……ありがとな、フィーネ」と言って、
「最後に、一つだけいい? フィーネ」
「ん、何かしら?」
「抱擁を、したい」
「――? ええ。良いわよ……」
許可を得たアンナは、目にも留まらぬ速さでフィーネの体に抱きついて、「フィーネ……フィーネ……」と嗚咽混じりの声で何度も繰り返しながら、肩を震わし始めた。
ええ、マジか……泣かれてらっしゃる。
それに対して、フィーネは突然の事態にどうして良いのか分からない、といった顔でアンナの頭を撫でている。
……そんな所にまで母性を発揮するんですか? フィーネリアさん、あんた恐ろしいね。
そして数十秒その膠着状態が続いた後、アンナが「ふぅ……」とフィーネを解放して立ち上がったので、
「ご武運を祈っています」
「舐めた口を叩くな。殴るぞ?」
「良いですよ。どうぞ、気が済むまで殴ってください。抵抗はしません」
「――。いや、殴るつもりは無い。そんなことをしたらフィーネに嫌われてしまいそうだからな」
それくらいされても文句を言わない覚悟は決めていたのだが、アンナは拳を振り上げることはしないようだ。
殴ってくれた方が俺の方もスッキリするのだが……不完全燃焼だ。
それで結局、アンナはもう一度フィーネとハグをした後、「またな、フィーネ」と吹っ切れた顔をして去って行った。
彼女の姿が完全に見えなくなると、張り詰めていた空気が切れて肩の力が抜けた。
「アンナ、なんであんなに私に抱きついてきたのかしら……?」
見れば、分かって無さそうな引っ張りダコが一人。無自覚でこれなのだから、罪な女の子だ。
彼女は変に勘が働くことがあるが、このような類いに限っては鈍感である。でも、それさえ彼女の美徳と呼べるのかもしれない。
「――――」
俺は何も特別な事はしていない。寧ろ、褒められないことをしている自覚があった。
あるのは、ただ、フィーネを独占する権利が俺に渡ったということだけだ。
しかし、これを機に、アンナの分も俺がフィーネを幸せにしなければいけない、という使命感が一層強くなった。
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