第5話 『叡智を集めし構築物』
彼女に見合う男になる方法。
その道筋を探し、その結果思い当たったのは一つ。――彼女の隣に立つには、まずはそれ相応の教養を身につけなければならないということである。
元の世界についてどれだけ詳しくても、この世界のことについて無知ならば意味が無い。これは明確な事実だ。
まず、この世界は元の世界との常識が根本的に異なる。
魔法然り、魔物然り、勇者然り、精霊然り……挙げればキリが無い。それ程、この世界は俺にとって非日常であり、かつ興味深いものでもある。
そして、俺はこの世界について絶望的に詳しく無いことが分かった。つい一ヶ月前にこの世界に来たので仕方がないかもしれないが、これは由々しき事態である。
元の世界では、学が無くとも国自体が比較的平和かつ、社会福祉が充実していたので、あまり焦る必要は無かったかもしれないが――この世界だと、情報の欠落は直接生死に関わる可能性がある。
魔王とか、魔物とかが我が物顔で跋扈しているこの世界に、俺が求める安寧はない。
人類が文明を築けている時点で奇跡である。本当にこの世界の先人達はどのようにして生き延びることが出来たのだろうか……。この世界には疑問が尽きない。
また、俺は割と外国で紛争などを報じるニュースを見ても、『誰かが解決してくれるだろう』などという楽観的な思考をするタイプの人間だ。
しかし、そのキナ臭さや危険が身近に感じられるこの世界においては、その考えは捨てるべきだろうと思う。
実際、つい昨日ゴブリンに殺されかけている。あれは俺の楽観視と無知が招いた事件であったと断言して良い。
つまり情報を得るということは、彼女の隣に立つためのものでもあり、自衛のためでもある。一石二鳥とも言う。――否、二鳥以上のメリットもあるかもしれない。
要するに、情報とは則ち知識であり、教養であり、力でもあるということ。
『ペンは剣よりも強し』
とはよく言ったものだ。
それほど持ちうる情報が有るか無いかは大切で、価値がある。戦う前に既に勝負はついているということと同義。
この残酷な世界を生きるためには、行き当たりばったりではダメだ。やっぱり事前に力を貯めておくべきである。
加えて、元の世界――それも俺がいた直近では、ニュース等のメディアから実質誰でも無料で情報を得ることが出来ていたが、一昔前はジャーナリストから現地の情報をお金で買うのが一般的だったと云う。
つまり、金銭的価値も付加されていたということだ。
しかして、そもそもジャーナリストという概念が存在しているかどうかさえ怪しいこの世界で、情報を得るためには何をすれば良いのか。――その答えは簡単だ。本を読めば良い。
『本』とは、一言で表すと『人類の叡智の結晶』であり、人類最大の発明でありながら、実体として存在しない『言語』というものを、物質という形として後世に残すために生まれてきたものである。
とりわけ電子機器など存在しない中世に限っては、言伝以外の方法で得られる唯一の情報伝達手段であるため、それの重要度は更に増すだろう。
勿論、この世界にも本という物がある。しかし、そんな重要なものは国も目を付ける訳で――。
「――ということでやってきました王立図書館」
王都の中心地――いわゆる貴族街と呼ばれる地区に、それは存在する。
重厚な外装。高級感溢れる建物。中から覗かせるのは大量に並べられている本棚。そう、図書館である。
国が大事な書籍を管理する流れになるのは必然のことで、この世界であってもその例外に漏れず、ここロージャス神聖王国が管理しているらしい。
実は、王都をぶらついている時に何度か前を通ったことがあるのだが、どうやら中に入るのは一般人には無理なようで。
ただ、Cランク以上の冒険者になると、一定のお金を払うことで入場が許可される制度らしい。だからこのタイミングで来た。
いやー、こんなところでも役に立つとは思わないぜ、ランク制度。
エーベルハルトさんと、ついでにフィーネに感謝だな……ってまた拗ねられるか。自重。
「しっかし、やっぱデケーな」
目に入ってくる情報をそのまま感想に置き換えると、中世の図書館ってこんなに豪華なんだなーなんて思ってしまうくらいに豪華だ。
今日というこの日まで、これ程までに己の語彙力の無さを呪ったことは無いぜ。ああ悲しきかな俺のボキャ貧。
「今日は依頼を受けないのかしら?」
「――え? ああ、うん。俺、やっぱりこの世界について無知過ぎるかなって思ったから、図書館で知識を身に付けようかなーと」
「客観的に自分を見られていたのね……。賢明な判断だと思うわ。――良いわ、私がトオルに常識を叩き込んであげる」
「ははっ、そりゃ頼もしいな」
ギルドから報酬を受け取った後も、当然のように付いてきてくれるマイエンジェル。何やら、俺のために意気込んでいる様子だ。うれしい。
でも、俺がフィーネに見合うための自分磨きに来たのに、当の本人が張り切っていてくれているのは果たして如何なものなのだろうか……。
……それはさて置き。当たり前だが、今日はこのために依頼は受けない。
それに、あんなスプラッタな光景を毎日のように見ていたら確実に精神が病む自信があった。
最早、『魔物討伐』などというワードに心が躍るようなことは無い。あんなもの一生慣れないし、慣れたくもなかった。
だからこその読書の日だ。血も死体も出ない。なんて素晴らしいんだ。……それだけで幸せを感じるようになったのはマジで大丈夫なのか?
うん、考えないことにしよう。
「……よし、早速入るか」
ちょっと緊張しながら受付のような所に歩いて行く。人はそれほど居ないみたいなので、順番待ちの列などは無かった。人でごった返しているギルドとは違う。
そしてそこに座っていたのは、濃い緑髪のモノクルを付けた俺よりちょっと年上くらいの女の子。
何やら本を持って読書中のようである。図書委員とかやってそうだな、なんていう偏見を持った。
今日はやたらと初対面の人に偏見を持つのが多い日である。失礼に思われていないだろうか。顔に出てないか心配だ。
しかし、その周りを見渡しても衛兵さんらしき人は立っているのは見えるが、他に係員らしき人は見当たらない。
なので、読書の邪魔をするみたいで申し訳ないが、彼女に話しかけるしかなさそうだ。
そう判断して、読書中の彼女に近づき、
「あのー、すみません。図書館に入りたいんですけど、受付ってここで合ってます?」
「…………」
「あのー。聞こえてますかー?」
「……? ――うえっ!?」
声を掛けても反応が無かったので訝しんでいると、いきなり本から目線を持ち上げて大きな声を出されてしまったので、こっちも驚いてしまう。
そして当の彼女は、驚愕と――それも怯えの感情までをモノクルの奥に見える琥珀色の瞳に宿して、
「えっと、な、なにやつでしょうか!?」
「なにやつって……。この図書館に入るために来ただけですよ」
「……あ、はい。やっぱりそうですよね。失礼なことを言ってしまって申し訳ございません……」
何故か不審者の如き目で見られたのでそう弁明する。
彼女は鳴りを鎮めてくれたようだが、こんな所に用があるやつの目的って、十割方俺と同じだと思うのだが……。
多分、本の世界にのめり込み過ぎていたのだろう。そんな時もある。なんなら俺もあった。
「ごほん……。では、入場許可証はお持ちでしょうか?」
「ああ、はい。ギルドカードで良いですよね?」
「はい、確認します。――Cランクですね。では、金貨一枚が入場料金となります」
え、意外と高い。十万デルだ。
公衆浴場は国からの助成金のおかげで銅貨三枚だった訳だが、図書館は生活に必要ないから、という理由だからだろうか。まあ、臨時収入があったから払えるけれども。
それに、万が一とあらば、超お金持ちのフィーネから借りれば良いし。
……いや、そんなことしていたら嫌な顔をされそうだし、自分の身は自分で何とかしたいので絶対に避けたい。
そういえば、この刀を買ったときのお金もまだ返してないな。
今日の分は山分けして――金貨七枚だから、三枚返しても四枚残る。後で返そう。……あ、今一枚払ったから三枚か。まあどっちでも良い。
そんなことを暗算しながら、麻袋から金貨を一枚取り出して渡すと、「はい、頂戴致しました」と彼女が確認を終えたみたいだ。
と言うことは、これで俺にもやっと図書館に入る権利が与えられたということだろう。
ずっと中に入ってみたかったからなのか妙な達成感を味わっていると、係員さんが俺の右へと目線をスライドさせて、
「えっと、そちらの方は――」
「私はSランクだから入場料金は発生しないはずよ。確認してもらえるかしら?」
「――――」
「……ほ、ほら。確認してもらえるかしら……?」
「――か、か、かわいいぃぃぃ~~~~っ!!」
フィーネも図書館の中に入るためにギルドカードを係員さんに見せようとすると、係員さんは目を輝かせていきなりそう叫び出した。
おいおい中々忙しないな。この係員さん。
「す、凄い、絵本の中の女の子みたい……! は、はわわわ、握手、握手してもらって良いですか!?」
「え? あ、うん。勿論良いわよ……」
了承を得た彼女は身を乗り出し、「凄い! すべすべ!」と叫んでフィーネの手を掴んでブンブンと振り始める。
それに対してフィーネは困り顔で、『どうしたらいいの!?』と言わんばかりの視線でこちらに助けを求め出した。
いやしょうが無いよ、フィーネ。君可愛いんだもん。だからこの係員さんの気持ちは凄く分かる。彼女とは馬が合いそうだ。
「あのっ! 私、マリーって言います! どうぞお見知り置きを!」
「……フィーネリアよ。皆からはフィーネって呼ばれているわ。そこのトオルと同じパーティーの冒険者よ」
そこのってなんですかそこのって。
「え? こんなにかわいいのに冒険者をしているんですか!? ――え、しかもSランク!? どういうこと!?」
マリーと自己紹介した係員さんは、フィーネが白金に輝くプレート――Sランクのギルドカードを視界に入れると、恍惚とした表情が驚愕に変わった。
確かに、見た目はこんなにキュートなルックスのに、結構えげつない魔法をぶっ放してたりする姿なんて想像出来ないよね。めちゃくちゃ分かるよ。
それに、大人顔負けのSランクということも、眉唾ものであるのも事実。こんな可憐な少女がトップクラスの冒険者というのは、初見ではにわかに信じがたい。
確か……冒険者に登録出来るのは最低でも十二歳からの筈だけど、そんな短期間でSランクに上り詰めるってそう簡単に出来るのだろうか……?
いや、エルフは人間より寿命が長いっていうのが定番だし、もしかするとフィーネは俺が思っているよりも長い間生きているのかもしれない。
まあ、たとえ何歳だったとしても、俺はフィーネのことが大好きなのは揺るがないから関係無いんだけど。うん。……後で聞いてみようかな。
――と、そんなことを考えていると前方から視線を感じた。
「ん? どうされました?」
「あ……いや、言葉に愛されているなと思って」
「……?」
「ああ……えっと、気にしないでください。こっちの話です」
こっちの話ってなんですかい。めちゃくちゃ気になる。これがお預けにされる人間の気分なのか。
しかし、そんな気分に浸っている俺を放っておいて、マリーさんは気を取り直した表情で、
「入場の手続きが終わりましたので、どうぞお入りください。……フィーネ、またね」
「うん、ありがと。また会えたら良いわね、マリー」
なんかはぐらかせられました。
しかし、もう二人の距離は縮まっているみたいである。俺があんだけ勇気を出してやったことだというのに、もう呼び捨てだ。
やっぱり、フィーネの可愛さは皆を懐柔させてしまうってことなのかなあ……。
そんな感想を抱いて、結局、俺はちょっとモヤモヤした気持ちを残しながら図書館の中へと入っていった。
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