第6話  『異世界史』




「すげえ……大学の図書館みたいだ」


 中に入ると、そこは図書館だった。それは当然っちゃ当然なのだが、あまりの規模のデカさに思わず小学生並みの感想が漏れてしまう。


 漂うのは独特の本の香り。そして意匠が凝らされているのがよく分かる、円心状に広がる設計。中央には読書用のテーブルがずらーっと置いてあり、さらにその頭上には吹き抜けがある。そこから見える手すりの数を数えると――どうやら三階建てのようだ。


 しかし広い。一体ここにある蔵書は合計で何冊あるのだろうか。やはりというかなんというか、この国は中世とは思えない程、公共設備が充実している。

 恐らく、この図書館も公衆浴場と同じで国からの多額の助成金が投資されているんだろう。入場料も高いし。


 周りを見渡すとちらほら見かける人は皆、高級そうな服に身を包んでいるようだ。

 それを見れば、否が応でもここが格式高い場所であることを痛感させられる。


 ……そういえば、今俺が着ている服、ちょっと野暮ったい気もするな。

 丁度今着ているのはこの世界に来た時にいつの間にか着替えさせられていた服なのだが、THE・冒険者のデザインなのでこういう場所には似合わない。

 もうちょっとお高めの服を買って着て来れば良かった。そうすれば場違い感を感じることが無かったのに……。


 そんな後悔を俺がしている傍ら、この高貴さが溢れる雰囲気の中、フィーネは寧ろ良い意味で場違い感を醸し出している。やっぱり神々しい。

 そんな彼女が、「さて、どの本から読ませていこうかしら……」とキョロキョロと何かを探し回った挙句、こちらに振り向いて、


「トオル、この国の歴史には詳しかったりはしないわよね?」


「ああ、それがな。実は……全くと言って詳しく無い」


「うん、そうよね。予想通りよ。――なら、あの本からかしら」


 俺が衝撃の事実を打ち明けるも、フィーネは動じていない。なんだか悲しいのは気のせいか。


 しかし、大まかな配置を理解しているのだろう。フィーネは広大なフロアの中、慣れた足取りで一つの本棚から本を引き抜いてくる。どうやら、既に何回かここに来たことがある様子だ。流石パイセン。


 そしてフィーネが、「入門編からよ」と言って手渡してくれた本の表紙に書かれている文字を読む。

 確実に俺が学んだことが無い文字なはずなのに、何故かその文字に込められた意味が直接頭で理解できる。やはり不思議だ。

 で、そこに書かれているのは――。


「『神聖王国の略歴』か。……神聖王国ってのは、今俺達がいる国の名前ってことくらいは流石に知ってるぞ?」


「あら、それは知っているのね。安心したわ。……というより、エズラ共通語は読めるのね」


 そう言って「意外だわ」と、感嘆の息を漏らすフィーネ。


 いやいや舐めすぎでしょ。今の時代幼稚園児でも字くらい読めるぞ、と言いたいところだがどうやらそれも仕方ないらしくて。フィーネによると字が読める人の方が圧倒的マイノリティらしい。俺すげーじゃん。

 これでフィーネの中の俺の評価が一段階上がったのではなかろーか。やっと学校で勉強する意義を理解した気がするぞ。国語勉強していて良かったぜ。


 しかし彼女の様子からするに、どうやら俺に識字能力が無いと見積もって、『読み聞かせ』をするつもりだったらしい。

 俺に読み聞かせをする算段だったということは、つまりは彼女もそのマイノリティグループの一員ということなのだろう。フィーネ、学まであった。素敵。


 ……しかしそれをしたら、もう完全に子供と本を読み聞かせる母親の構図になる。

 母胎回帰願望が再燃してしまうのでちょっとやめていただきたい。マジでフィーネのお腹の中に入りたくなるから。すまん、深い意味は無い。


「トオル、変なこと考えてないかしら?」


「――!? いやいや、何も考えてなんかございませんよ!? バブみを感じるとか全然考えてないぞ!?」


「……そのばぶみ、とやらは分からないけれど、くだらない事を考えていたとだけは伝わるわ」


 なんと俺が考えていることがまたバレてしまった様子なので、急いで否定する。

 ……フィーネに初めて嘘をついてしまったかもしれない。ちょっと心が痛むが、正直に言ってドン引きされるよりはマシだろう。


 それにしてもマジで鬼怖いですフィーネリアさん。本当に、君の勘が鋭過ぎて俺の心境は穏やかじゃありやせん。

 でも、とりあえずこのままだと俺の全てが曝け出されそうでマズいので、話題を逸らすために咳払いをした後、「して」と前置きして、


「文字の名前っていうのは分かるけど、そのエズラ共通語とやらは何なんだ?」


「……? その本に書かれている文字のことだけど……。まさか、字は読めるのに言語の名称は知らないのかしら?」


「そのまさかだ」


「――――」


 フィーネは俺の答えに絶句している。でも、知らないことは知らないと言う主義なのだ。呆れられるのは致し方ない。

 そして、やっとその美しい氷像が溶けたかと思うと、諦めた顔で「はあ」とため息をつき、そのエズラ共通語とやらの概要を教えてくれた。


 どうやら昔は、今と違って東にあるエズラ帝国が大陸全土を支配していたらしい。そしてその支配の期間が長かった為、その名残が後に成立した新興国家のあらゆる文化にまで影響を及ぼし、言語や貨幣――デルの事だろう――までもが人間国家の間で統一されているとのこと。方言とかは多少あるみたいだが。

 つまりエズラ共通語というのは、さながら異世界のリンガ・フランカといったところか。納得。


 ってことは、一カ国語さえ学んだらコミュニケーションには一切困らないということになる。『外国語』という概念さえ存在していないのかもしれない。それはそれで問題がありそうではあるが。


「ここにある本も、全てエズラ共通語で執筆されているわ。他に使われている言語があるとしたら……精霊語ぐらいね。まあ、精霊語は言語の部類に入れて良いのか怪しいところだけど」


 訂正。そういえば精霊語とやらがあった。

 精霊と言葉を交わすためのうんたらかんとか。常人には理解出来ない筈らしいのに俺も理解できたやつ。

 ……やっぱり、神様なんか俺にしちゃってますよね?


 俺が心の中で届くはずのない質問を神様に投げ掛けていると、フィーネが形の良い眉を顰めて、「トオル」と俺の名を呼び、


「話が脱線に脱線を重ねたけれど、そろそろ戻して本題に入るわよ」


「……ああ、そうだな。じゃあ真ん中のとこで読むか」


 フィーネに怒られてしまったので、忠言通りにこれまた高そうなテーブルの椅子に移動し、そこに腰を下ろす。

 そして満を持して、本の一ページ目を開けて読もうとすると――なんとフィーネが椅子をくっつけて体を寄せてきた。


「え、ええ!? ふ、フィーネ? ちょっと、近くないっすか!?」


「こうしないと一緒に読めないじゃない。何を言ってるのよ」


「ああ、そういう感じか……」


 ちょっと期待した自分が恥ずかしい。

 というより、フィーネは全くドキドキしていない様子なのがめちゃくちゃ悔しいです。こんな思いをするのは俺だけってのは不公平じゃないですかい。

 というか、完全に肩がごっつんこしている。それに加えて、フィーネの綺麗な白金髪も俺の右腕に覆いかかっててマジで集中できん。

 いや読書どころじゃねーわこれ。動悸がヤバい。


「どうしたのよトオル。題名だけ眺めていても歴史を知ることはできないわよ?」


「……あーはいはい。もう分かりました。読めば良いんでしょ、読めば」


 胡乱げな目で見られたのでぶっきらぼうにそう返す。

 そして俺は、フィーネの息遣いが右耳を虐め抜いてくるが深呼吸をして気を紛らわし、何とか心を落ち着かせてからページを捲った。


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