第22話 『変貌する感情』




 ヴェルナーに彼女達を引き渡した後、ギルドに報告に行くには遅すぎるとのことで、俺達は日課の浴場に行った後、晩飯を食べて自室に戻ってきた。のだが――。



「あなた、今日は疲れたんじゃないかしら」


 いつの間に、着替えてきたのだろうか。


 見ると、フィーネリアは紫紺のワンピースの生地を薄くして寝間着にした服、いわゆるネグリジェというやつを身に纏っていた。

 その寝間着自体は、決して露出が多いわけではない。しかし、厚手だったローブに比べると防御力が低いのは確かだった。


 それは彼女の女性的な流線美を強調させていて、見る者を惹きつける、どこか儚げな美貌をより一層際立たせていた。

 本来ならゆったりとした上品な印象を抱かせるはずのそれが、寧ろ蠱惑的な雰囲気を醸し出しており、風呂上がりということも相まって、妙に艶かしい。

 

 さらに驚くべきことは、彼女はどうやらかなり着痩せするタイプであった、ということだ。

 普段はだぼだぼで体のラインが全くといって見えないローブを着ていた彼女だが、くっきりとそれが見える服を纏うと、重力に逆らって起立している、予想以上に質量があったその双丘が激しく主張をするようになった。


 それに加え、服の間から覗かせる、スラっと伸びたシミひとつない真っ白な肢体がいやでも目に入る。健康的な生活を送っているおかげなのか、贅肉が殆ど無く綺麗に引き締まっていた。

 それが露わとなって惜しげもなく晒し出されており、俺のあまり公には言えない感情をそそる。


 そんな一段と魅力的になった彼女の声が、俺の側頭葉を蕩けさせていく。

 聴く者の心を落ち着かせる、鈴を転がしたような声だが――現在は男を惑わせる凶器となっていた。


「これはマズい」


 間違いなく俺は、人生最大の危機に瀕していた。


 部屋に入ってきた時から、左の胸にある臓器が音を立てて鳴り続けて、収まる気配がない。

 バクバクと取り留めもなく鼓動を続けて、破裂しそうな勢いだ。ヤバい。このままだと確実にヤバい。


 ……ふぅー、落ち着け。

 冷静になれ、俺。

 今の状況を俯瞰的に分析しろ。


 とりあえず何故この状況が生み出されたのか、という当然の疑問から解決していこう。


 まず何故、彼女がさも当然かのように俺と同じ部屋に入って来たのかというと、今の彼女は俺の奴隷という立場に置かれているから、というのが適切だ。


 その次に、何故、今日彼女は寝間着に着替えているのかという疑問については、恐らく昨日は着替える暇が無かったから、というのが正解だろう。


 で、何で彼女が着替える暇が無かったのか、という問いに対しての答えは、昨日俺が強引に寝させたから、ということになる。

 うむ、納得だ。案外状況が単純明快で助かった。



 ……いやいや。


 よくよく考えたら、一つ屋根の下、それも殆ど初対面の男女が同衾するなんてどうかしている。

 間違いなく昨日の俺はトチ狂っていた。俺の中にある別の人格が乗り移っていた、と言われた方がまだ納得できる。

 昨日の俺は何故平気だったのだろうか。己のことをここまで恐ろしく感じたのは初めてだ。

 きっと、彼女も昨日同じことを考えていたに違いない。


「あ、やべ……」


 フィーネリアの意思を尊重せずに、無理矢理命令して、彼女を抱きかかえたまま共に寝た事実を思い出す。


 倫理的な意味も含んで何故そんなことが出来たのか。

 自己嫌悪の感情が渦巻くと同時に、羞恥によって顔に熱を帯びてくる。あんな大胆なこと、人間のすることでは無い。

 そう自省するが、どうしてもあの感触を思い出してしまう。ああ、ヤバい。これは死んだ方がマシかも知れん。


 いやもう、過去のことはこの際どうでもいい。今重要なのはどうやってこの状況を切り抜けるかだ。素数? 円周率でも数えるか? だめだ、十桁ぐらいしか覚えてない。この案は即座に切り捨てるべきだろう。それに、そんなことをしても根本的な解決には繋がらな――


「あなた、顔色が悪いわよ?」


「うおォッ!!」


 この状況を打破するために頭を高速フル回転していると、いきなり目の前にとても愛おしい顔が現れたせいで、心臓が大きく跳ねる。

 反射的に飛び退いたことで事なきを得たが、本当に死ぬかと思った。

 いや、正直もう死にかけている。精神的に。ヒットポイントゲージとかがあればもうミリしか残って無いんじゃなかろうか。嫌だ、やっぱり死にたくない。誰か俺に回復魔法をかけてくれ。

 ってそんなの使える知人なんてフィーネリアしかいないじゃん。どうしよう、張本人に頼んでかけてもらうとか元も子もないし、絶対シュールな絵面になること違いなし。

 

 だが確かに彼女の言う通り、今の俺の顔は羞恥心による赤色と、危機感による青色が混ざって酷い紫色になっていることだろうと思う。

 彼女の寝間着の色とお揃いで、なんて馬鹿なことを考えるくらいに俺は動揺していた。


「なに驚いてるのよ……」


 飛び退いたおかげで離すことができた距離が、不審げな顔をした彼女が近づいて来たことによって全て台無しになる。

 改めて目の前に来た彼女は、昨日まで憎たらしくてしょうがなかったはずだが――今ではとても愛おしい。


 そんな感想を抱くと共に、心臓の鼓動が今まで類を見ないような速度まで加速し、目の前がちかちかし始める。

 そのせいで苦しくなった呼吸ためか、鼻が無意識に酸素を要求し出す。体の隅々から体温が上昇したから出た汗なのか、冷や汗なのかの判別がつかないようなものが放出されていくのを感じる。

 さらには熱が首筋から顔まで上がってきており、この溢れ出るを堰き止める事は、不可能といって差し支えなかった。


 俺の身を案じてくれている様子の彼女と、うまく目を合わすことができない。

 そんなことをしたら絶対、このが彼女にバレてしまうことになる。それはなんとしてでも避けたかった。


 ――ん? 


 このって――なんなんだ?


 前回、こんなを抱いたのも思い出せないくらいに久しぶりな俺にとっては、この得体の知れない『ナニカ』が何なのかは理解不能だった。

 必死に、それを頭の中から探し出す。


 

 ……



 …………



 ………………



 ああ、俺――。



「嘘だろ……」


 あまり信じたくはないが、きっと――そういうことなんだろう。


 予感は、した。

 恐らくあの時、彼女の優しさに触れた時、俺はひどくやられてしまったのだろう。

 第一印象はそう簡単に覆らないとよく聞くが、彼女のはその壁を軽く超越してきた。


 元々、容姿はこれ以上無く俺の好みだったのだ。

 だが、出会い方が出会い方だったので傲岸不遜で幼い、という印象のせいで最初は異性として見れていなかった。

 しかし、実はその中身も慈愛に溢れていると知ったら――異性として意識してしまうのも仕方ないことであると思う。


 こういうことに関しては絶望的に無頓着な自信があった俺でも、流石に自覚せざるを得なかった。

 決して俺が悪いわけではないと信じたい。彼女が魅力的過ぎる点から直していくべきだと思う。あ、やっぱり直して欲しくないです。寧ろ大歓迎というか。

 ……いや何呑気な事考えてんだよ俺。アホか。


 すると、彼女は俺の心内環境などいざ知らず、疑わしげな顔を残したままさらに距離を詰めてきた。そして、その白金の髪からふわり、と甘い香りがして、


「ほら、やっぱり顔色が悪いじゃない。……はぁ、仕方ないわね。その……抱き枕、とやらをしていいから、落ち着きなさい」


 彼女は少し困った表情をして俺との距離を離しながらそう言って、ベッドに腰を下ろした。

 ベッドに降り注ぐ月明かりに照らされたその少女の姿は、どこか幻想的で、エキゾチックで、なんというか――とてもエロ可愛かった。


 あまりにも素直過ぎる感想で、あまりにも刺激が強過ぎる。とても直視できるものではない。直視したら俺が死ぬ。精神的にも社会的にも。

 ……え、というか、今なんと?


「は?」


「本当にどうしたのよ、あなた……。だ・か・ら、昨日みたいにして良いって言ってるのよ。別に、それくらいなら許容できるわ……」


 頭が真っ白になった。


 ……いやいや何を言い出すんだこいつは。彼女の方こそ状況を理解していない。俺が許容できないです。色々と。

 しかしこの期に及んで非常に魅力的な提案だ、と感じてしまった自分に腹が立つ。

 だが、そんなことをしたら間違いなく俺の理性が吹っ飛ぶ。

 何事もなくそれだけで済ませれる、などという浅はかな考えができるほど、己のことを信用していなかった。昨日はそれだけで済んだわけだが、今はそれとは条件が異なる。

 

 それにしても、何故彼女からそんな提案が出たのかが謎だ。彼女は俺のことを恨んでいるはずである。ああ、嫌われてるよな……やっぱり。


 だがしかし、今気付いたが、昨日の彼女は警戒心の塊のようなものだったはずが、どうしてなのか今はそれが大分薄らいでいて、見る影もない。

 嫌われているはずなのに、かなり違和感がある。 


 何故だ。理由が分からないが、とにかく今分かることは、少しだけ頬を赤らめているフィーネリアが猛烈に可愛いということだけだった。

 いやだから何考えてんだ。とにかくこれはヤバい。ヤバいなんてもんじゃないッ!


 もう少しで頭がショートして爆発しそうな錯覚に陥っていく。顔が熱い、暑い、あつい。


 考えろ考えろ。


 ……ああ、もしかしたら俺のことを人畜無害なやつだ、と認識したからなんじゃなかろうか。

 まあ確かに、昨日手を出していないわけなのでそう捉えられるのも仕方ないかもしれないが、俺とて男だ。絶対に我慢より先に限界が来る。それは間違いない。


「で、一緒に寝ないのかしら?」


 目の前にいる少女が可愛らしく小首を傾げて、普通の感性の持ち主なら誘われてるのか、と勘違いするような内容の言葉を俺に囁いてくる。

 そのあざとい仕草も累乗して俺の純情をダイレクトに弄んだ。


 ……ああ、どうしよう、マジで。これヤバいわ。確実にこのシチュエーションは危険すぎる。

 直感でそう判断し、本能に反して後ずさると――、


「あ」


 そこにはドアがあった。


 そうだ、その手があったか。よし、逃げよう。これは戦略的撤退。エスケーップ!

 逃げた先に必ず活路があるはずである。きっと逃げれば何とかなる。

 そう、これは天啓に違いない。俺はこれを最善策だと信じて、


「ちょっと用事あるから行ってくる! 先に寝といていいからッ!!」


 早口でそう捲し立て、急いでドアの向こう側へと旅立った。


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