第23話 『自己完結の救済』



 

 今はとにかく、夜風に当たりたかった。それでこの火照った体と頭を冷やしたかった。


 その願望の赴くまま、宿を出て、王都全体を見渡せる高台に登っていく。夜特有の冷たい風が頬を撫でた。


 王都の中でも比較的外周にある下町といえる街並みの真夜中は、静寂に満ちている暗黒の世界だ。

 中央部にある高級住宅街――いわゆる貴族街と言われる所には夜も照明がついているみたいだが、ここにはそんなものはない。


 あるのは、最低限の月明かりのみ。薄い、青色がかった光が地面を控えめに照らしていた。


 ただ、それが逆に今の俺にとっては心を落ち着かせる要素となり得ていて、己を救済するもののように思えてきたのだから、世の中おかしな事だらけだ。


「――――」


 そういえば、この宿に泊まった初日も、寝付けなかったからここに来たっけ。


 あの時は、とにかく将来が見えなくて、この先ちゃんと生きていけるのだろうか、っていう憂いで一杯だったな……。


 ちょっと前までは親の脛を齧って苦労無く生活していたのに、いきなりこの世界に放り出されて己の手一つで生きていかなければならなかった。

 唐突過ぎてあの時は酷く混乱したなあ……。ただ、夢のある世界だったから絶対良いことがある、と信じてなんとか頑張れてきた。


 まあ今となっては、収入が安定してきてちょっと腰を落ち着かせられるくらいにはなっているが――。


「はぁ……」


 俺は、一体この世界で何がしたいのだろう。


 元の世界にいた時はずっと、このままレールの敷かれる人生を送っていくのだと理解していた。

 高校でそれなりに勉強して、それなりに良い大学に入って、それなりに良い会社に就職して――それで満足する人生を送るのだと、そう思っていた。


 人生とはそういうものだと、半ば諦めて受け止めていた。


 そんな中、この異世界という夢が溢れる世界に飛ばされた時、俺が抱いたのは驚き半分――そしてもう半分は、やっと俺の人生に転機が訪れたか、という歓喜だった。

 

 あの瞬間が一番幸せだったのかもしれない。それで真っ先に、楽して稼げそうとかいう無責任で甘々な理由で冒険者になってみたのはいいが――。


 この世界に来ても、漠然としていて、目標と呼べるものもない未来のために無為に生きていく、ということに何も変わりは無かった。


 ――それを自覚した途端に、虚無の波が襲う。


「――――」


 何か大きなことを為してみせよう、という志も、野心も、勇気も俺には待ち合わせていなかった。

 ただ、一人の人間として終わればそれで良いとさえ思っていた。


 普通なら人生の目標の一つに掲げてもおかしくないだろう、元の世界に帰りたい、という気持ちも何故か俺の中に存在しなかった。それが可能かどうかはわからないが、そこへの執着心は皆無だ。


 何故だろうか。俺がこの世界に飛ばされる前後の記憶が、すっぽりと抜け落ちたように曖昧だからなのだろうか。この世界に来て何度も思い出そうとしたが、全て失敗に終わっているからなのだろうか。


「相変わらず、この世界に来た時の記憶はまっさらなんだよな……なんでなんだろ」


 覚えたはずの単語が思い出せないような感覚と同じ。思い出そうとしても、何か鍵がかかっているような感覚に阻まれる。

 何故俺が死にかけたのか、という理由さえも思い出せない。あるのは『このままだと死亡するから転移させた』というあの女神様から告げられた事実一つのみ。それ以外は無い。


 俺ってそこまでボケていたのだろうか。知らない間に若年性アルツハイマーを患っている可能性すらあった。その他の記憶は割とあるのだが……まあ、思い出せないなら仕方ない。今は諦めよう。


「いや何やってんだ、俺……」


 それ以外にも考えることは山ほどあった。


 今日の依頼のこと、ヴェルナーに預けた彼女達の今後のこと、この残酷な世界のこと――そして、フィーネリアのこと。


 頭から排除したかったので、無理矢理別の事を考えようとしたが、どうしてもそれらがチラつく。現実逃避は失敗だ。

 もちろん、元の世界のことは重要であったが、それは後でいつでも考えれる。今はそれらの方の優先度が高い。


 そして現在はとりわけその中でも――あの少女についてのことが脳のキャパシティの大半を占領していた。


 あの少女との、出会いを思い出す。


 最悪のエンカウントが故に、彼女が俺の奴隷になったことについては馬鹿だな、自業自得だな、まあ俺にはメリットしかないから良いか、程度の認識だった。

 あの時、俺に罪の意識は全くと言っていいほど無かった。それが恐ろしい程に。

 その事に、悔恨の念を抱くともに、忸怩する。


「……ああ、俺、クズだ」


 正常な感性を持っている人なら、少なくともいたいけな一人の少女を奴隷などという身分にすることについて罪悪感を抱くだろう。

 それを抱いていないとしたら、それはクズか、人でなしか、極悪人かのどれかだ。どれもとても褒められたものではない名誉だ。


 俺は間違いなく、あの少女の人生を潰そうとしている。

 これが彼女が何か罪を犯したが故の償い、とかなら因果応報と言えるが、彼女がしでかしたのは正直に言って些細なこと。そんなことで束縛される彼女があまりにも不憫だと、今更ながらに感じた。


 だが、どうしても彼女を手放したく無いというこの勘が働いたから、彼女を手放さなかったのだ。

 理由なんてそれだけだ。――否、今はそれだけではないかもしれないが。


 しかし、当たり前だがそこに彼女の意思は含まれていない。彼女にとってはこれはとても不本意である筈だ。今すぐにも抜け出したい立場だろう。


 ……ああ、俺ってこんなに自分の事しか考えないエゴイストだったのか。どうしようもない、ただのクズだったのか。


「――――」


 彼女はあの傲慢な態度からは到底信じられない程、優しかった。本来は彼女にとって俺は恨む対象であるの俺にさえ、優しさで包み込んでくれた。

 彼女が、優しくて、意外と情に厚くて、とても強い心を持った少女だったということは、今日を通して痛いくらい感じた。

 俺なんかと釣り合わないくらいに、あの少女は素晴らしく、良い子だった。


 彼女は、幸せになるべき少女だ。幸せになってほしいと感じさせる少女だった。そう、応援されるべき少女だ。

 俺がそれを邪魔していることなど、誰にでも分かる。自明の理だ。俺でさえ分かった。


 生憎と、異世界人の意思は度外視していい、なんていう危険思想は待ち合わせていない。それがあったらどれだけ今が楽だったのか。それは計り知れないが、絶対にそうなりたくないとも思う。


 ――当たり前だがこの世界の人間は、全て、生きている。だから、彼ら彼女らの意思は無碍にできないし、尊重されるべきものだ。


 加えて、あの少女に限っては――『愛情』といえるものが沸いた。大切にしたいという感情が沸いた。


 その感情が、彼女へのこの独占欲ともいえるこれがさらに増幅させてしまう予感がしたから。

 時が経つにつれて、余計に彼女を手放したく無くなるだろうと勘付いたから。

 もう、後戻りが出来ないという確信を持ったから。


 ――これに、もう歯止めが効かないことも知っていたから。


 彼女を手放したくないという欲望と、彼女には幸せになってほしいという願望。

 この矛盾した感情のうち、後者の方が多少強かったために、自分の意思に反したこんな思考を可能にしているのだろう。

 前者が少しでも上回っていたら、その願望は打ち消されていたに違いない。それが俺にとっては吉報であった。


 それに彼女には、俺にはない『帰るべき場所』というものがある。

 俺にはないものを、持っている。それが羨ましかったし、羨ましいと感ぜられるくらいに、その場所が大切であることも知っていた。

 未来の展望を持ち合わせていないような俺に、そこから遠ざける資格は無い。寧ろ、彼女にとっては俺が遠ざけられるべき存在であると察した。


 この、大切にしたいという感情が生じなかったら、もしかすると永遠に彼女の気持ちなど一切考慮していなかったかもしれない。

 とことん都合の良い話で、自分勝手であるとは思う。だが、同時に早めに気付いて良かった、という安堵の気持ちがあった。


 まだ二日目だ。十分に間に合う。取り返しがつく。決断は、早ければ早い程良い。

 そのことを、彼女に伝えよう。


 そんな、決意ができたからだろうか――、



「あなた、いきなり出て行ったと思えばこんな所で何してるのよ……」


 ――背後から聞こえてはいけない声がした時、俺は自分でも驚く程、やけに落ち着いていた。


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