第17話 『救世主は遅れてやってくる』
「凄え威力だな……」
「…………貫通出来なかったわ。あいつ、何者かしら」
他の人間がゴブリンの巣の方に向かっている可能性があると知った俺達は、嫌な予感がしたので行軍のペースを速くした。
それでこの洞窟を見つけたのだが、それが僥倖となったのだろう。
道が岩で塞がっていたのでそれを押し除けて、洞窟内の広間のような所に入った瞬間目にしたのは、普通のゴブリンをそのまま大きいサイズにしたような怪物が女の人を今にも襲おうとしていた光景だった。
それを間一髪フィーネリアが魔法で撃ち抜いた、といった塩梅だ。彼女の英雄っぷりが凄い。
洞窟内の左の方を見ると、何やら男の人がボロボロになって蹲りながらこちらを見ている。あの人が俺達が辿っていった足跡の主で間違いないと思う。確証は無いが。
それにしても、遠目に見ても酷い怪我だというのが理解できる。一刻も早く手当てする必要がありそうだ。
だが幸い、こちらには回復魔法が使えると自称している彼女がいるので、それを使えば治せそうではある。彼女が扱える、と豪語していたので信用していいだろう。
というより、彼女は貫通させるつもりであの氷塊を放ったらしい。ゴブリン相手だと容赦無いな……。俺との時はわざと外していたのに。
「それにしても、どんだけ臭いんだよここ……」
死臭。汚物。あらゆる臭い物を半年くらい煮込んだような酷い臭いが立ち込めている。気を抜いたら立っていられなさそうなくらいだ。
しかし、隣を見ると精霊が発する光に照らされた彼女は、その端正な顔を微塵も歪めていないようだ。
マジかっけーっす、フィーネリア先輩。もしかしたら嗅覚が無いだけかもしれない、なんて決して思ってないですよ。神、いや精霊に誓って。
まあ、俺がこんな緊張感の無さを保てているのも、フィーネリアがさっき目の前にいた、件の『変異種』らしき奴を容赦なくぶっ飛ばしたお陰である。
もしかしたら強い奴だったかもしらんが、相手が悪かったとしか言いようがない。
というか、何もかも彼女に頼ってばかりだな、俺。しっかりしないと。かっこいい所を見せるとか意気込んでたのに。
「――っ」
そんなことを思っていると害意の篭った何かが飛来してきた。反射的にそれを掴む。
矢だ。
速度が遅かったので難なく掴めた。だが、それを掴んだ右手がちょっとヒリヒリしたので直ぐに投げ捨てる。
それが放たれただろう方向を見る。すると大量のゴブリンが弓をつがえて、こちらに向けている光景が目に入った。
「――ッ、弓を扱えるゴブリンまでいるわね……」
「こういうのは役割分担だ。弓を持ってる奴らを頼む。――俺はあのデカい奴を殺る」
魔法が使える彼女、刀しか持っていない俺。
対複数と対単体、どちらが適しているのなんて火を見るより明らかだ。
「……分かったわ。気をつけるのよ?」
「ああ、心配どうも」
刀を引き抜き、両手で握る。彼女の言葉を胸に刻み、心を落ち着かせる。
――今から、殺す。殺さなければならない。そうしないと、人が死ぬ。
「よし」
覚悟は、できた。
地面を蹴り、吹き飛ばされて壁にもたれかかっているソイツに向けて駆け出す。
自分でもびっくりするくらいの初速が出た。思わずバランスを崩しそうになるが、なんとか持ち直す。
空気を貫く度に、洞窟内の汚い空気の抵抗を感じる。やはりというか、今の体はとても軽い。まるで身に余るジェットエンジンを背中につけているようだ。
だだ、己の体がこの力を制御し切れていない。
俺はその事実を確認しつつ、まだもたれかかったまま動いていないソイツに向かって刀を振り上げ――
「――――ッ!!」
――ようとしたのだが、側面から害意を感じさせるモノが飛んできた。体をズラして反射的にそれを躱す。
炎の玉。
それを形容するには、それが一番適切だ。
放たれた方を見ると、なにやら汚いローブを羽織ったゴブリンらしきものが杖を構えていた。
「魔法かよ……」
魔法というものは、人間だけによらず魔物も使えるらしい。速度はフィーネリアの魔法に比べるとお粗末なものだったが、当たったら火傷しそうである。
瞬時に目の前にいる未だ動く気配を見せないデカいゴブリンより、魔法が使えるゴブリンの方を脅威と俺は見做した。
体の向きを変えて、走る。ソイツとまでの距離を詰めるのには数歩もかからなさそうであった。
そのゴブリンは当然のように炎の玉を撃って迎撃してくる。
だが、
「遅い」
視える。
俺はそれを走りながら刀で切り裂いた。否、切り裂いたというより吸収した。そんな手応えを感じる。
そのゴブリンの表情はフードに隠れているせいでよく見えない。だが、少し覗かせる顔から焦りの感情が窺えた。いける。
間合いに入る。
狙うは――頸部。魔物の弱点など知った事ではない。だが、生き物であるならそこが弱点である可能性は極めて高いだろう。そう判断する。
刀を持つ手に力を込め、右足を踏み込む。
そして、左から刀をフードごとゴブリンの首にめり込ませ――刎ねた。
それは、刹那の出来事だった。
バターを斬ったような感触。骨を断つような手応えは、一切感じられなかった。声帯ごと掻っ切ったせいか、ソイツは断末魔の悲鳴すらあげられていない。
緑の鮮血がゴブリンの断面から吹き出す。
何か感じるものがあるだろう。そう思っていたのだが、そんなものは無かった。
背後では堅い物体が肉を穿つ音が鳴り響いている。彼女が奮闘してくれているのだろう。確認する必要も無い。
「次だ」
第一目標を撃破したので、本命のボスらしきアイツに目を向ける。
気力が戻ったのか、ソイツは地面に手をついて立ち上がろうとしていた。
踏み込む。地面が削れた。だが、先程のようにバランスを崩すようなことはない。数歩でソイツとの距離が縮む。
「――グオッ!」
俺が近づいているのを察知したのか、ソイツは太い腕を大きく振り上げた。今にも下ろされようとしているその腕を、刀を横に広げていなす。
――つもりだった。しかし、ソイツの腕は刀に触れた瞬間、ズレ落ちた。
体とおさらばしたそれは、ただの
「――!? グオオオォォォォ――――ッッッ!!!!」
一瞬の出来事だったせいで、ソイツは呆気にとられたようだ。
しかし数秒後、己の腕が斬り落とされたのを理解したのか、その怪物は怒りに咆哮する。
その悍ましい声は、空気を、地面を、世界を揺らした。
「ぐっ……」
たじろぎそうなぐらいの迫力があった。思わず腰が引ける。が、不思議と恐怖は無い。
そして叫ぶのに満足したのか、ソイツはありったけの憎悪を瞳に宿して俺を睨んでくる。
『コロス』
そんな感情が読み取れた。
しかし同時にその深潭には、無理解に対する怯えの感情も孕んでいる。それに気付くと、心に余裕が出来た。
「グゥオォォゥオゥーーッ!!」
ソイツは半狂乱になり、血が流れ出る右腕の代わりに左腕を振り回す。
その攻撃で俺に危害を加えようとしてくる――が、そんなもの当たるわけが無い。
迫力はあるが、実態は力に任せただけである。俺はその隙だらけの攻撃を、軽く上体を退くことで難なく避けた。
そして腕が空振ったところに、カウンター気味にソイツの首に沿って刀を横切らす。
一閃。
呆気なく。とても呆気なく、ソイツの首は宙を舞った。
ソレが宙に浮いた瞬間目にしたのは、魂が抜けているにも関わらず、激しく歪み、未練と――狂気に満ちた表情だった。
その首は汚い緑色の血を吹き出しながら地面に落ち、転がっていく。
そして首から下だけになり、取り残された人型の肢体は、そのまま前のめりに倒れ伏した。
辺りを、静寂が支配する。
「――――」
俺がそのことに対して感じたのは、恐怖でも、哀しみでも、殺害への罪悪感でも、勝利への興奮でも無く――、
「大した事無かったな」
生命を侮辱した感想。たったそれだけであった。
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