第16話 『知恵のある最弱』




「なあ、フィーネリア」


「…………」


「なあってば」


「…………」


「ぐぬぬ……」


 今、俺は駆け足で彼女に追いついたわけだが、絶賛無視られ中だ。彼女は俺にその長い耳を貸さずに、ぷいっと顔を背けている。

 彼女に無視されるというのは実に歯痒いし、辛い。俺の言葉に反応して欲しい。そんな気持ちが抑えられない。


「さっきは俺が悪かった。だから許してくれ。……というか命令だ、メーレイ。許せ」


「…………あなた、命令の使い方をちゃんと分かってるのかしら?」


 良かった。漸く口を開いてくれた。多分、今の俺は滅茶苦茶頬が緩んでしまっていると思う。

 そのまま彼女の顔をじーっと凝視していると、彼女は何故か肩をプルプル震わせ始めた。


「ん? どうかした?」


「…………」


 俺の質問にも答えず、更に肩の振動数が上がっていく。あれ、どうしたんだろうか。ちょっと心配である。


「なあ、どうしたんだ?」


「…………」


 顔、さらにはとんがっている耳まで赤くし出した。まるで何かを堪えているような表情だが、全く意味が分からない。


「……本当にどうしたんだよ」


「…………くすっ」


 ――やっと、口元に手を当ててそんな声を漏らした。


 するとそれを皮切りに、耐えきれない、といった感じに彼女は笑い出す。……ん? 何がおかしかったんだろうか。謎だ。


 ただ、その笑顔は俺を馬鹿にしたような嘲笑でもなく、儚げな微笑のようなものでもなかった。今まで見せてくれたものとは違い、嫌味や屈託というものが一切含まれていない。


 ――ただ、純粋に可笑しいと感じたから笑う。それだけの笑みだった。


 俺の目にはそれは、あどけなさと美しさが同居している彼女にはとても似合っているように見えて――。


 彼女の無垢で、穢れの無い笑みはこんなにも可愛らしいのか、と不覚ながら思ってしまう程に。


「ふ、ふふ、あなた、って、ほんとに変…………はぁ、良いわ、許してあげる! 次は無いわよ?」


 正直俺はそんなに悪いことをした自覚は無いが、まあ許してくれたので良しとしよう。もう主従関係がどうとかどうでもいい。

 でも、次は無いとは言われても、彼女を揶揄うのは楽しいので次もしてしまうと思う。そんな予感がする。――同じく、それでまた笑って許してくれるとも。


「へいへい、ありがとーございます。……まあ、それで? ゴブリンの住処まであとどれぐらいなんだ?」


「……うーん、もうちょっとかしら。森もかなり騒がしくなってきているわ」


 彼女――というかナビさんによると、戦いが始まるのはもうすぐとのことだ。今のうちに覚悟を決めておかないと。

 そう意気込んでいると、


「うおっ、死体だ」


 ゴブリンの亡骸が目に入った。何かしらの刃物で引き裂かれた跡があるので、彼女が仕留めたやつではないだろう。

 頭が潰れているというわけでもないので、吐き気は催さない。

 大方、他の人間が残した残骸だろうと推測する。


「――死臭が、しないわね。……魔石も回収されてないわ」


「……それがどうしたんだ?」


「殺されたのは……最近。それも、かなり急いでいる人間によってみたいよ」


 彼女はゴブリンの死体に近づいて冷静にそう分析する。

 確かに、『ゴブリンが森で冒険者に狩られる』というのは字面だけ見ると普通っぽいが、金稼ぎが目当てなら魔石が抉られていないのには違和感を感じる。何か理由があったのだろうか。


「足跡も残っているわね。それも複数……人間らしきものは歩幅が乱れてる。――恐らく、このゴブリンを殺した人間は足を負傷しているわ」


 彼女は神妙な顔で考察を進める。正直、この少ない材料でそんなことまで推測できることに驚きを禁じ得ない。


 流石Sランクエルフ様といったところか。頭弱そうとか思ってしまって申し訳御座いませんでした。と、心の中で謝罪する。

 そんな独りよがりな謝罪をしていると、彼女はそれに付け足して――、



「間違いないわね。足跡は――ゴブリンの巣の方に続いてる」



 ◇◆◇◆◇



 彼――クラウスは襲いかかる焦燥感に駆られていた。


(クソッ!)


 心の中で毒づき、思うように動かない右脚を引き摺りながらなんとかヤツらに追いつこうとする。

 目印など存在せず、風景が一向に変わる気配が無い鬱蒼とした森の中、忌々しいヤツらが残した足跡のみを頼りにして。


 ――王都西支部のギルドで誰も受けたがらない依頼があった。

 

『王都の南西にある森で行方不明になる者が増えてきているので調査をしてほしい』


 というありふれた内容の依頼だ。こういうのはクラウスのような中堅冒険者が渋々受けるのが常である。

 適当に調査して異常無しとの報告をしようとしたのだが――今回は勝手が違った。


 なんと、あの知能の低いことで知れ渡っているゴブリンが、『落とし穴』などというものを作っていた。


 油断していたクラウスはまんまとその罠に引っかかってしまい、足首を挫いてしまった。

 それで、クラウスの唯一のパーティーメンバーであるエルナが助けてくれようとしたのだが――ヤツらはその背後にいた。


 ヤツらも最初からそれが狙いだったらしい。クラウスには見向きもせずにエルナだけを攫っていった。

 繁殖力だけは一流だな、とクラウスは皮肉る。


 エルナの姿が見えたのは悲鳴が聞こえてから、それっきりだ。


 クラウスはそれを見てなんとか自力で壁をよじ登った。

 てっきりその場で犯すものかと思ったが、恐らく住処にしているだろう所に持ち帰っていったようだった。まるで誰かに献上するかのように。

 エルナが陵辱されるまでに猶予が出来た、と彼はそれをプラスに捉えた。いわゆる不幸中の幸いというやつだ。


 だがそうだとしても、エルナが嬲りものにされている光景を想像してしまう。なんとかそれを振り払おうとするが、どうしても頭から離れない。


(間に合うか? ……いや、絶対に間に合う。間に合わせてみせる)


 そう堅く信じなければ立っていられなかった。


 常備していたはずのポーションは落下の衝撃で割れてしまった。だから今はこうして、足を引き摺るハメになっている。

 ゴブリンに謀られるとは情けない、とクラウスは自嘲する。


 途中、一体のゴブリンが足止めしてきたが、難なくこの斧で叩き潰した。ゴブリン一体ごときに遅れを取る程、落ちぶれてはいない。


 そうして気が逸っているのを隠そうとせずに、足跡を辿ること数分。


「――洞窟、か」


 クラウスは崖にくり抜かれたように空いた穴を見つけた。

 どうやら、ヤツらの住処はここで間違いなさそうだった。足跡を偽装している可能性はあったが、もはやそんな懸念をしている暇は無かった。

 それに、ゴブリンごときがそんなことに頭が回るはずがない。そうクラウスは見積もった。


「【ファイア】」


 クラウスは松明に魔法で小さな火を灯し、中に進んでいく。


 足は負傷しているが、相手はゴブリンだ。何度も殺した経験があった。

 多少の知性はあるようだったが、彼はそれをあまり気に留めなかった。


「ぐっ……」


 鼻を突き刺すような悪臭が洞窟の中に立ち込めていた。思わず吐きそうになる臭いだ。

 だが、背に腹は変えられない。クラウスは鼻を塞ぎ、できるだけそれを感じとらないようにして奥に進んでいく。


 この洞窟はどうやら一本道のようだった。分かれ道は無い。それは一刻もエルナを助けたいクラウスにとっては幸運である。と、思考した時――、


 ――背後で、岩が道を塞ぐ音がした。


「――なっ!」


 気付いた頃にはもう遅い。後ろに気を取られている隙に前方から火の玉が飛来してきた。


(魔法だと!?)


 クラウスはそれを身体を捻ることで回避したが、その動作が急だったせいで右脚に激痛が走った。

 いくら痛みに慣れているクラウスとて、その予想以上の激痛には耐えきれず、地面に跪いてしまう。


 ――そこを、追撃が襲ってくる。


「がっ! ぐあっ!」


 クラウスは咄嗟に松明を持つ左腕を前に出した。

 しかし正確に打ち出された火の玉はそれに衝突し、防備が薄い部分の皮膚を容赦なく焼き尽くす。

 左腕から猛烈な痛みを感じるが、クラウスは気力を振り絞りなんとかそれを耐えた。


 ――魔術師がいる。


 おかしい、ゴブリンは魔法を扱えないはずだ。となると誰が?

 クラウスは自問自答し答えを見つけようとするが、残念なことに持ち合わせている知識でそれは導き出せなかった。

 とにかく、クラウスが分かることは――この洞窟は何かがおかしい。その一点だけ。


 これはマズいとクラウスは思考するが、当たり前だがエルナを見捨てるなんていう選択肢は取れない。


 クラウスは、彼女を愛していた。


「こんのッ!」


 クラウスは己の身体に喝を入れ、魔力を身体に循環させてから魔法が放たれた方向に走る。

 右脚が軋むような悲鳴を上げるが、クラウスからすると彼女の保全と比べれば優先順位は落ちた。


 松明の明かりが開かれた場所へと自分が移動しているのだと知らせる。

 そこには――、


「エルナッ!」


 クラウスが探し求めていた彼女が寝かされていた。気絶しているのか反応はないが、幸い服は着たままだ。そのことに安堵すると共に――。


(なんだ、アイツは……)


 玉座のようなものに座っているが、突然割り込んできた部外者に動じることなくこちらを見つめていることに気付いた。


 ソイツの容貌は、ゴブリンをそのまま大きくしたもの、と表すのが適切だろう。だが、それから放たれる圧迫感はゴブリンの比にもならない。


(コイツは、規格外だ)


 クラウスはそれなりに長い経験から瞬時にそう感じ取った。だが、感じ取っただけで特段何かができるというわけでもない。

 するとそんなクラウスに、隣に控えていたローブらしきものを見に纏ったゴブリンが火の玉を飛ばしてきた。


(ヤツか!)


 クラウスが知らなかっただけで、魔法を扱うゴブリンというのは存在するらしい。

 常時であれば絶対信じないようなその事実を飲み込み、目の前に接近している攻撃を体を横にズラすことで回避する。


 飛び道具や魔法というのは、近接戦闘を主にする者にとっては厄介な代物だ。

 だが、一箇所から放たれている場合は回避することは容易い。


 その安易な彼の思考を読み取ったのか――、


「がっ!」


 何かが、上部からクラウスの肩を深く突き刺した。じりじりとした痛みがクラウスを襲い、地面に跪く。


 ――矢だ。


 見れば、弓を持ったゴブリン達が周りの高所に陣取って囲んでいる。


(ああ……終わりか)


 その時、クラウスは死を覚悟した。完全に、嵌められた。

 右手に持つこの斧だけでは、この状況は打破出来ない。そう冷静に分析できるほどの思考はクラウスにも可能だった。



 ――ならせめて、エルナが嬲りものにされる前に死にたい。



 クラウスの最期の望みはそんな酷く利己的で、生を諦めたものだった。

 

「グオッ」


 ――すると、は初めて口を開いた。とても低く、悍しい声が洞窟内を反響する。

 

 その声に呼応するかのように、何故か周囲のゴブリン達は持っている弓を下ろした。


(助けて、くれたのか?)

 

 クラウスはそんなはずはないと頭では理解しながら、己の寿命が延びたことに歓喜する。


 そんな彼の様子を傍目に、ソイツは椅子から立ち上がり、エルナの服を――引き裂いた。


 クラウスは瞬時に理解した。コイツはエルナを犯している光景を、自分に見せつけるつもりだと。助けてくれたはずなど、さらさら無かったことを。


「……めろ、やめろ、やめろやめろめろやめろやめろやめろ――――」


 まるでクラウスが一番されたくないことを理解しているかのようだった。

 クラウスはそれを止めるために立ち上がろうとするが、何故か力が入らず体が動かない。


 ――間違いない、肩に刺さった鏃に麻痺毒が塗られている。


 とことんタチの悪いヤツだ。クラウスは顔を背けたかったが、顔を背けなかった。否、背けられなかった。

 エルナは気絶しているせいで、悲鳴すら上げていない。それがクラウスにとって酷く辛かった。


 そしてソイツは粗末なモノを取り出し、今にもエルナを犯そうとして――、



 ――と衝突して宙を舞った。



「――――」


 お楽しみの前に不意打ちを喰らったソイツが呻き声を出し、凄まじい衝突音と共に壁に激突する。そして、重力の赴くままにズルズルと地面にズレ落ちた。


 クラウスは目の前の状況が上手く理解出来なかった。

 だが、クラウスの中に使命感が働く。それはうまく回らない首を、そのが放たれただろう入り口の方に回させる。

 すると――、



 ――そこには、金髪の少女と黒髪の少年が佇んでいた。


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