第一章

第1話  『エルフを奴隷にしてしまった』




「……ああ、どうしようどうしようどうしよう――」


 あの後、俺の勝利が告げられた瞬間。フィーネリアの首の周りに半透明の首輪が現れた。

 そして、その首輪が霧散したかと思うと、その残滓が俺の身体の中に入ってきた。直接。

 あれが奴隷契約というやつなのだろう。よくわからんが。


 そしてそれからしばらく経った今、彼女はようやく状況が理解できたのか、地面にへたりこみ顔を真っ青にしている。

 折角の綺麗な顔が台無しだ。


「大丈夫か? 滅茶苦茶顔色悪いぞ?」


「――ひっ! 来ないで! エッチ! ヘンタイ! スケベ! おたんこなす!」


「おいおい……まだなんもやってねーじゃねーか」


 ひどい言われようだ。思いつく限りの罵詈雑言を並べてくる。

 しかし、彼女は俺の気遣いなど気付く様子もないまま、


「まだって何よ! ってことはやるつもりなんでしょ! あんなことやこんなことまで……」


 自分でそう言ってさらに顔色を悪くしていく。

 だが、流石にこれは可哀想だと思える。……誰のせいだかは置いといて。


「あー……もう、しゃーねえな。ほら、焼き鳥あげるから元気出せ」


 ヘレナさんに返してもらった焼き鳥を前に出す。本来ならば俺に所有権があるはずのものだ。

 焼き鳥の向こうに見える彼女は、俺の行動に心底驚いたような顔をして、


「……へ? いいのかしら? 私は負けたのよ?」


「これは決闘とか諸々関係なしに、ただのプレゼントだ」


「……ぅ」


 この決闘の発端となったこれだが、彼女の腹に納まるべきだと思う。なんとなく。

 そんな俺の言葉を聞いて彼女は焼き鳥を手に取り、数秒迷った様子の後、それを頬張った。


「ん〜〜っ!!」


 今までの様子が嘘だったかのように、一気に彼女の表情が明るくなる。相当好きなんだろうな……。

 決闘までして手に入れたい理由も少し分かった。……いや、やっぱり分からん。それに理解してはダメな気がする。


 まるで小動物に餌付けしてる気分に苛まれていると、彼女はどうやら食べ終わったようだ。

 そして串だけになったものを名残惜しそうに見て、


「……ありがと」


「え? 今なんて?」


 消え入るような弱々しい声でなんか言われた気がするが、聞こえなかったので確認する。


「な、何でも無いわよ! と・に・か・く、元はといえばあなたのせいなんだからっ!」


「いや、それは不当過ぎるだろ。俺は誰かさんが勝手に決めた決闘を受けただけだ」


「くっ……!」


 悔しそうにこちらを睨み付けてくる。ははっ、言い返せないようだな。


「おいおい、そんな反抗的な態度を取っていいのか? こちとらお前のご主人様なんだろ?」


「…………何が望みなのよ」


「ん?」


「……私は、冒険者稼業で稼いだ大金を持っているわ。それも、あなたのようなFランク冒険者には手が届かないくらいの、ね。……それと引き換えに、私を解放してくれないかしら?」


 ふむふむ、どうやらこいつは結構な大金を持っているようだ。

 嘘をついている様子は無い。勿論、そんな魅力的な提案――


「断る」


「うん、あなたなら分かってくれると思ってたわ――はあっ!?」


「生憎とあまり金には興味が無くてな」


「なんでよ! ……一億デル……いや、二億デル出すわよ!」


 具体的な数字を出してきた。二億デルと言えば、白金貨二十枚分。超大金だ。

 具体的にどれくらいかというと、普通に暮らしたら働かなくても一生を全うできるくらいの額だ。

 そんな大金どっから出るんだよ……と言いたくなるが、彼女の言いぶりからするに実際に用意できるのだろう。

 まあ、勿論そんな大金を提示されたら――


「いらん」


「ふぅー、今ギルドから引き落としてくるわね――ってはあっ!?」


 至近距離で滅茶苦茶デカい声を出される。正直に言ってうるさい。耳がキンキンする。


「何をそんなに驚いてるんだ。金はいらんって言っただろ」


「じゃあ何が欲しいのよ! 名誉!? 名声!? 力!? それとも女!?」


「女なら目の前にいるじゃないか」


「ひっ!」


 彼女は俺の答えに自分の体を抱いて怯えている。なんだか悪いことをしているみたいだ。


「やっぱり、私の身体が目当てなのね!?」


「人聞き悪すぎだろ……しかしまあ――」


 彼女を観察する。相変わらずこの世とは思えない美貌。俺のストライクゾーンど真ん中を撃ち抜いてくる見事なホームランボールだ。


「……まあでも、性格でプラマイゼロか」


「あなたっ! 今すごーく失礼なこと言ったんじゃないかしら!?」


「いや、俺の好みのドストライクだなーと思ってただけさ」


「そ、そう……」


 俺の答えに毒気を抜かれたようだ。どうやら悪い気分はしないらしい。実にチョロい。


「――や、忘れそうになったけど! やっぱり解放してよ! なんでもするから!」


 チッ、褒めて気をそらす作戦は失敗か。こいつ、意外とやりおる。


「なんでもするなら俺の奴隷のままでいいだろ」


「――あなたねぇッ!」


 言葉のキャッチボールと言うより、ドッヂボールのようなやり取りが繰り広げられる。

 こいつ、俺のフリに見事に応えてくれるからなんか気持ちいい。


 まあそれは置いといて、何故俺がここまで彼女を手放したくないのか。それには理由がある。

 それは勿論、彼女の見てくれが俺の好みということもあるが、俺の勘がこう囁いているからだ。



 ――ここで彼女を手放すべきではない、と。



 この勘は、当たる気がする。さっきの決闘の間での出来事もこの勘の信頼性を高めていた。

 俺としてはこれは大事にしたい。


 だがまあ、彼女にはそんなことは言わずに最もらしいことを言うべきだ。


「それに、精霊の契約は絶対なんだろ? 俺が勝手にお前を解放したら、どうなるかわからないんじゃないか?」


「――ッ!」


 実は根拠が無かったが、どうやら図星らしい。

 ヘレナさん等の反応から推測するに、恐らく精霊を通した決闘というのは反故にしたら罰が与えられるものだ。

 俺は決闘に勝ったらこいつを奴隷にすると約束している。

 となると、俺がこいつを解放することも、その契約違反に抵触するのではないか?


 そんな俺の推測に現実味があったのか、彼女はそれは一考の余地有りという感じの表情だ。


「それも、そうかもしれないわ、ね。――ああ、私はなんてことをしてしまったのかしら……」


 折角焼き鳥を食べて復活した顔色が元に戻っていく。さっきよりも絶望、という感情の度合いが大きくなっている気がする。

 見れば涙も滲み出ている。大袈裟かと思うが、流石に可哀想になってくる。


「おいおい、泣くなって」


「――泣いてなんかないわよ!」


 キッと俺を涙目で睨みつけてそんなことを言うが、強がりなのは明白。

 しかし、顔を真っ赤にして涙目でこちらを睨む金髪少女というのは、側から見たら明らかに事案ものだ。またもやいけないことをしている気持ちになる。


「そんなに俺の奴隷になるのが嫌か?」


「嫌よ!!」


「お、おう……」


 迷わず即答される。

 なんだかちょっとショックだが、まあ普通に考えて今日会ったばかりのやつの奴隷になれと言われて、了承できるやつの方がレアケースだろう。

 彼女もその内の一人だったってことだ。


「……折角、自由になれたのに……! 得体の知れない冒険者の奴隷にされるなんて、飛んだ笑い話よ!」


 俺がその得体の知れない冒険者らしい。

 ……うーん、困った。


「……ヘレナさん、どうすればいいと思います?」


 横でずっと俺たちのやり取りを見ていたヘレナさんに助けを求める。


「――え? 私の方からは、なんとも……決闘の内容が内容ですし……」


 彼女からしてもこれはお手上げ、という盤面らしい。どうするんだこれ。


「……それにしてもトオルさん、あんなに強かったんですね……ちょっと失礼ですけど、私、絶対トオルさんが負けると思っていました」


 もしかしたら彼女がただ弱いだけかもと思っていたが、客観的に見ると俺が動けていただけらしい。

 自分でも知らなかった事実だが、恐らくあの女神様のおかげなんじゃないだろうか? なんとなくそんな気がする。


 俺は褒められてちょっと照れ臭い気持ちを抑えつつ、どう彼女を落ち着かせるかに思考を巡らせるのだった。

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