なくした写真(下)

 2人が驚いような顔をして周の方を見つめていた。そりゃあそうだろう。急に静かになったとおもったらいきなり予想外の質問が飛んできたのだ。誰だってびっくりする。それでも2人は目を合わせるとにっこりと笑って優しく話し始めた。



「僕たちが喫茶店を始めた理由はね、自分たちがやりたいと思ったからさ。もちろん、誰かが僕の淹れたコーヒーを美味しいっていってくることが嬉しいっていうのもあるんだけどね」


「どういうことですか?」


「もともと僕はコーヒーを飲むことが好きだったんだ。それでよく自分でコーヒーの豆を買って色々な淹れ方を試してたんだ。

付き合い始めてすぐに自分が淹れたコーヒーを飲んだゆめが言ってくれた「おいしいよ」が嬉しくてね。

別に特別コーヒーを入れるのが上手だったわけでもないし、どこかの店で淹れ方を習ったというわけではないけど、そんなものでも人を笑顔にすることができるんだと思ったらそれまで以上にコーヒーを淹れるのが楽しくなったんだ。

それで、こんな楽しいこと続けられないなんてもったいないじゃないか。

それならばいっそ喫茶店を開いてしまおうと思ったんだ。」


「とつぜんはじめが喫茶店を開こうと思うなんていってきた時は驚いたんだよ?だって、はじめは普段自分のやりたいこととか滅多に言わないから。

いつも私がやりたいことを優先してくれるの。

そんなはじめが2人でコーヒー飲んでたら突然喫茶店を開きたいんだって。なに話してんだこの人って最初思ったよ。⋯⋯でも、自分のやりたいこと話してくれたのが嬉しくて、私も一緒にやりたくなっちゃったの。

だから、周君の質問への答えは私たちがやりたいと思ったからが1番だと思うんだ」



 周は2人の答えに圧倒されてしまった。なんて自由な生き方なんだろう。そして、強い生き方だ。いくら自分に好きなことややりたいことがあっても、それで生きていこうなんてなかなか踏み出せる人はいない。まして、これからのことが全く予想もできないようなことをやろうなんていう人はもっと少ないはずだ。それでも自分の心に素直に動けた2人は自分とは違うんだと感じた。



「周君は何か好きなこととか、趣味はないの?」



 ゆめさんがふんわりとした笑顔とともに周に問いかけると、少しためらった後に「小さい頃からカメラが好きなんです」と答えた。



「いいじゃんカメラ!それを仕事にしたいとは思わないの?せっかく好きなら仕事に出来たらもっと楽しくなるかもよ?」


「いや、俺はそこまで上手くありませんから。趣味として続けるぐらいがちょうどいいですよ」



 はじめさんは寂しそうな笑顔を浮かべながらそう言った周をしばらく見つめていたが、少しして口を開いた。



「⋯⋯周君が本当にそう思っているならそれでもいいかもしれないけど、今の顔を見ると、そう思えてないことがよくわかるよ。本当は写真を仕事にしていきたいんじゃないのかい?」


「⋯⋯そんなことないですよ。気のせいです。だって趣味として続けられるだけで満足ですから」


「本当にそう思っている人はそんなに辛そうな顔はしないんじゃないかな。写真で稼げる稼げないは別にして、周君が写真を本気でやりたいかどうかが問題なんじゃない?」


「⋯⋯そんなこと分かってます」


「じゃあなんでそこで止まっているの?

厳しいことを言うようだけど、今の君は自分が傷つかないよう逃げているようにしか見えないよ。

もしもずっと続けてきた写真が自分の本当にやりたいことじゃなかったらと思うと怖いんだろう?

そんなんじゃいつまでもやりたいことなんて見つからないままだ。」



 頭をガツンと叩かれたような気がした。この店に入ってからさっきまでずっとニコニコと優しそうな柔らかい笑みを浮かべていたはじめさんが、今はその影も見ることができないほど険しい顔を浮かべている。


 言葉や表情全てが甘えるなと伝えてきている。お前はいつまでそういって写真と真摯に向かい合わないのかと心の奥に訴えられている気がした。


 思えば写真を始めてからこれまで自分は写真に対して全力で取り組んできたことがあるだろうか。もちろん上手くなるための技術や理論など、学べることは学んできた。しかし、どこまでいっても所詮は趣味という考えがなかったわけではない。


 それに対して自分の周りにいた人たちはどうだっただろうか。本が好きだと言っていた友人は将来出版社に勤めたいといって毎日何冊も本を読んでわその感想や考察をノートに記していた。プロ野球の選手になりたいといっていた友人は毎日どんなに疲れていても帰りが遅くなっても寝る前に素振りをしているといっていた。果たして自分は写真に対してそんなことをしてきただろうか。毎回写真を撮っては上手く出来たなーとなんとなく考えるだけ。それはぬるま湯に浸かっているように心地よくて、決して失敗もない気楽なものだった。


 きっとはじめさんはそんな周のことを理解した上であえてキツいことをいって自分のダメさ加減をわからせたのだろう。いったこれまで自分は何をやっていたのだろう。簡単なことじゃないか。自分はカメラを本気でやりたいと思っているのだ。これまでは失敗が怖くてその気持ちに蓋をしてきたが、失敗したってまだまだ取り返すチャンスはたくさんあるじゃないか。はじめさんの言葉を受けて自然とそう思えた。



「はじめ、ちょっと言いすぎだよ。ごめんね周君、この人言いたいこと考えないで口にしちゃうから言い方キツかったよね」


「いえ、はじめさんは僕のことを考えて言ってくれたんですよね。

なんかこれまでうじうじと考えすぎてました。自分の周りにいるすごい人たちと比べて自分にはなんもないんじゃないかって勝手にいじけて殻にこもって。

でももうやめます。だって俺にはカメラが好きっていう気持ちがあるから。

はじめさん、ゆめさん、ありがとうございました。お二人のおかげで自分の気持ちに向き合うことができました。」


「それならばよかったよ。悩みも解決したようだし、そろそろ家に帰る時間だ。」


「あ、そうですね。じゃあお金はこれで大丈夫ですか?」


「ああ、大丈夫だよ。また何か大きな悩みができた時はこの店を尋ねてみてくれ。僕もゆめも真剣に向き合うことを約束するよ。今日は喫茶店Fauxをご利用いただきありがとうございました。またいつか、くることがございましたらよろしくお願いします」


「周君、ありがとうございました。またいつか会えること楽しみにしてるから、悩んだ時はここを思い出してね。ありがとうございました」



 2人の挨拶を背に入ってきたドアから外に出る。ドア越しの2人に改めてお辞儀をすると2人も柔らかい笑顔を浮かべて手を振ってくれた。それを合図に広尾の駅へと歩き出してすこし。最後にもう一度店を見ようと振り返ってみると、そこにあったはずの店は無くなっていて、公園へと向かっていく道と小さな一軒家がいくつかだけだった。



「あれ、おかしいな。あそこに看板があったはずなのに」



 一体どういうことだろう。さっきまで見えていた喫茶店の看板はなくなって、まるでそれが元々の光景のようだった。


 ふと、そういえば大学で聞いた噂話を思い出した。なんでもここら辺には悩みを持った人しかいけない喫茶店があるらしい。これまで眉唾のオカルト話だと思っていたが、もしかしたらあのコーヒーの匂いがする喫茶店は本当にその店なのかもしれない。



 そういえば、昔カメラにハマり始めた頃に撮ったプリンの写真が残っていたっけ。写真を母に見せた時、優しい笑顔で

「うまく撮れたね」

と言ってくれたことが嬉しくて、プリンの写真を何枚も撮ったんだったか。


 家に帰ったら一度探してみようか。そうしたらあの頃カメラを構えることで感じたワクワクや撮った写真をみて笑顔になってくれた時の喜びをあらためて思い出せるかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ようこそコーヒー喫茶Fauxへ りんごす @applevinegar

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ