第22話 開宴

 世の中には、理屈では割り切れないことがある。


 たとえば仮に、定義上矛盾しないからといってセイレーンを魚介類に含めたりしたら。率先して僕が乗る船を沈められても、文句は言えないだろう。


 そして目の前の現実。僕からみて優に5倍は生きている大先輩らしいが、ほぼ中学生の身なりで開封前の一升瓶に頬ずりするのは、お控え頂きたい。事実、法的にも問題はないはずなのだが。しかしなんというか、情緒に満ちあふれ過ぎていて、とてもじゃないが地上波には乗せられない。


 「打っち上っげ、打ち上げ-。ふんふふーん。あ、お帰りなさい新橋さん。ちょうど先ほど、おつまみの出前注文が届きまして、こちらの準備は万端ですよっ。さぁ、早く始めましょう早くっ。」


 せめて言葉遣いであったり、所作であったり、纏う空気感だけでも年相応に取り繕ってはくれないだろうか。


 「また随分とご機嫌ですね、どこの学校で先生に褒められたんですか?」


 「むぅ。新橋さんはこういうときノリが悪いですよね。」


 「いやまあ、楽しくやるに越したことはないですけどね。あまりの盛り上がりぶりに、少々気後れしまして。」


 実際まあ、微笑ましくはある。手元の焼酎がせめてオレンジジュースの瓶であれば感想も違っただろうか。


 「仕方ないじゃ無いですか、先ほどもお話しました様に、念願だったんですよっ。このご時世で他所の皆さんも大変みたいですけど、オンライン飲み会ですら羨ましかったんですからわたしっ。これはもう一族の悲願なんですよぅっ!」


 「一族って。確か所長以外、酒好きはほとんどいないって話じゃありませんでしたか?」


 「む、妙に細かいことを覚えていますね。アレですか、新橋さんは名探偵にでもなるつもりですか。」


 物覚えが良いことが、まるでマイナス査定の様に扱われるのは心外だ。しかしまあ、流石にあまり冷や水を浴びせるのも申し訳無い気はする。


 「残念ながらウチの爺さんには掛けるほどの名声もありませんし、宴会部長のテンションに付いて行かせてもらいますよ、僕なりにね。アイスクリーム冷凍庫に入れときます、場所教えてもらって良いですか?」


 「あ、はいっ。そのまま奥に進んで頂いて、突き当たりの左手がキッチンです。よろしくお願いします。あと、べっちゃんもご飯の時間なので、冷蔵庫右手の戸棚から持ってきてあげて下さい。」


 べっちゃん、というのは確か、偽装現実構築の時に使っていた、推論エンジンの名前だったはずだ。正式名称はBETTER。ご飯って言い方をするってことは、燃料か何かを必要としているのだろうか。


 夜風の妙な言い草に思いを巡らせていると、足下に小さな物陰が近づいてきたことに気付く。見下ろすとそこには、まだ紹介してもらっていなかったらしい、ご家族の姿があった。


 「ニャー。」


 猫だ。


 「ふむふむ、べっちゃんもすっかり新橋さんになついている様ですね。せっかくなので、そのまま餌やりもお任せして良いですか?これを機に親睦を深めるということで。」


 「猫にシステムと同じ名前を付けてるんですか?」


 なんとなく回答に想像は付くものの、ひとまず現実にあり得そうな選択肢から潰してみよう。もはや、何が現実的かも怪しいものだが。


 「あーそっか、新橋さんにはまだ紹介していませんでしたね。そちらにおわすお方が、先の実験の主役であります。弊研究所自慢の推論エンジン、BETTERことべっちゃんですよー。」


 「なー。」


 コンゴトモヨロシク、とでも言わんばかりにベターも続けて呼応した。


 「そう言やあ、帰ってから直接見た方が早いって話はありましたね。こういうことでしたか。」


 「ちゃんとそれも覚えていてくれましたか。やりますね名探偵。」


 この人にとって名探偵の資質と言うのは、どうでも良さそうな事を事細かに覚えていられる能力に集約されている様だ。


「実験中は常時べっちゃんとリンクしていたわけですから、新橋さんにもすっかり慣れていると思います。ですのでこれからは、仕事中はべっちゃんのお世話もお願いしちゃいましょう。」


 なにやら、契約に無い労働が科される流れになっている。


 「僕の記憶が確かならば、現実世界ではほぼ自由時間で遊んでいても構わない、っていう契約でしたよね。」


 「はい、そこは約束を違えるつもりはありませんよ。ただ、どうせ新橋さんのことですから、わたしが仕事に集中している中で延々遊び続ける事なんてできないでしょう。適度にタスクを与えてあげないと。」


 否定出来ないのが悔しいところだが、納得も行かない。


 「気を遣われているのか、良いようにあしらわれているのか、どっちなんですかねコレは。」


 「もちろん気を遣っているのです。わたしとしては、新橋さんには所内に保管されている昭和平成娯楽セレクションを遊び倒してもらいたいんですよ?その上で、一緒にいろいろお話したいんですから!」


 仕事を振るよりも友達を沼に沈めたい感覚を優先するってことか。責任者として良いのか?それで。


 疑問は浮かぶものの、結局上司に都合の良い契約にそれ以上反論する意義も見いだせず、猫の世話係という新たな地位を獲得してしまった。


 「それでは所長、乾杯のご発声をお願いします。」


 応接室のテーブルには2名分にしてはあまりあるほどの料理が並び、それを凌駕するほどの大量の酒。とはいえ、焼酎は例の番組の様子を見ながら呑みたいらしく、最初はこれでいいとミネラルウォーターのペットボトルを掲げた上司に、乾杯を促す。


 「おー、なんか打ち上げっぽい。流石です、よっ、元社会人!」


 その持ち上げ方をされて喜ぶ層がどこに存在するのだろうか。


 「元、じゃなくて、一応今も就業出来ている扱いなんですよね?」


 「いやぁ、そうなんですけどね。なんだか普通の会社っぽくていーなーって。」


 価値観の相違、レベルで片付く認識の差とは思えない。年上のおばあちゃんに向けてこんな感想を持つのは憚られるが、この子は社会でやっていけるんだろうかと心配になる。


 「いいな-、なんて思われる様な事はそうそう無かったですが・・・。まあ愚痴は止めておきましょう。早いとこご発声をお願いしますよ、所長。」


 「おっと、そうでした。」


 そう言うと夜風はすっと立ち上がり、わざとらしく咳払いを一つ、二つ、三つしたあと、喉の調子を確認するかの様に発声練習を・・・、って、早くしろっての。


 「えー、このたびのプロジェクトは弊研究所としても全くの前例がないものであり、多くの困難を伴うものでありました。しかしながら、この一大任務を成功に導くことができたのは、ひとえに皆様の、優秀なプロジェクトメンバーの尽力があってのものであり・・・」


 「長くないですか?」


 「もー、いいじゃ無いですかっ、もっとくどくどしてみたいですー!」


 何に憧れているんだこのちびっ子上司は。


 「楽しそうなのは結構なことなんですがね、放置された料理がどうなってもいいんですか?」


 「むむっ、人質を取るとは卑怯な。しかたが無いですね、ここは犯人の要求に従いましょう。ではでは、乾杯っ!ですっ!わーっ!」


 一体何の容疑で僕の犯行と断定されたのか。とはいえ、ようやく食事にありつけそうだ。


 見ると、ベターも行儀良くご主人様の挨拶を待っていた様だ。良く出来た先輩である。 


 先輩を見習って、上司のご機嫌にお付き合いすることにしましょうか。しかたなくビールのタブを開け、ペットボトルと軽めの乾杯を交わす。


 「くぅ~!やはり仕事を終えたあとの一杯は格別ですねぇ。あ、新橋さん、このチャーシュー覚えてますか?ここからだとちょっと遠いですけど、偽装世界でいつも頼んでいた中華屋さんからお取り寄せしたんですよ-。」


 ミネラルウォーターでここまで盛り上がれるのであれば、もうそのまま焼酎に手を出さなくてもいいんじゃ無いか、というテンションで大変はしゃいでいらっしゃる。


 楽しそうで何よりだが、ただ、妙に引っ掛かる。


 「所長、これは推理だとか名探偵の血筋とかも関係なく、ただの直感なんですが・・・」


 「はい!なんでしょうっ!」


 やはりだ。いちいち回答が元気すぎる。


 「随分とミネラルウォーターがお好きなんですね。」


 違和感の正体。いくら憧れの打ち上げとはいえ、いきなり水を飲んでここまで盛り上がるというのは、不自然過ぎた。


 その指摘に一度目を伏せ、しかし悪びれる様子もなく、上司は答えを示す。


 「ふふふ、気付いてしまいましたか新橋さん。まったく、我ながら神がかった配慮と言って良いでしょう。新橋さんが見た目を随分気にされているので、ちゃーんと水のペットボトルをお酒と入れ替えておいたのです。ふふーん、どうですかこの心遣い、まさに女子力!」


 「いやもう、そのテンションで丸出しじゃないですか、なにも隠れて無いですよ。工夫のしどころはそこじゃ無いと思うんですがね。」


 「もう、わがままな新橋さんですね。実年齢も法的に問題ありませんし、見た目の心配をされていた点にも配慮したというのに。・・・グビッ」


 言いながら豪快に一口。っていうかそれ日本酒ですよね。ペットボトルで呑む感覚はどうにも想像できないというか、したくないというか。


 「言ってることは間違い無いんでしょうけれど、それならいっそ普通に呑んでいてくれた方がマシに思えますよ。」


 「それは何よりです。流石に今後も詰め替えるのはいささか面倒ですので。」


 結局、何一つ僕の心労は解決されないまま宴会は進み、件のトリガーであるテレビ番組が始まろうとしていた。

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