第21話 帰還

 「これは所長、少し見ない間に随分大きくなりましたね。」


 「戻って一言目がそれですか。わたしは変わりませんよ、新橋さんが縮んだんじゃないですか?」


 夢から覚める様な感覚なのだろうと、勝手に想像していた。しかし実際のところ、その夢の上映時間が長すぎて、覚めた今の方がむしろ現実感がないと感じてしまう。


 なにしろ、体感時間では目前の中学生サイズの夜風よりも、ぬいぐるみサイズのマスコットと過ごしていた時間の方が長いのだから、無理もない。


 「やれやれ、ようやく戻ってくることが出来たってことですか。クゥー・・・、って、あれ?」


 人心地つき、手足を伸ばして開放感に浸ろうとしたのだが、まるで爽快感がない。


 「頭脳は疲労しているかもしれませんが、身体の方は何一つ働いていないですし、時間も経っていません。疲れを抜こうとしたところで、そんなものどこにも残っていないですよ。」


 呆れるでも、共感するでも無く、淡々と事実を指摘された。まだ馬鹿にでもされた方が、この空振りした感覚を訴え返す先があろうというものを、これでは抱えて生きていくしか無さそうだ。


 「率先して疲れたいとは思いませんが、感覚が付いてこないってのは、どうにも気持ちが悪いですね。」


 消化不良の手指の感覚を確認し、意味は無いと言われたにも関わらず、軽くストレッチをしてしまう。


 「そうですね。頭で認識していた世界と、現実が少し乖離している状態ですから。動く歩道を降りた瞬間の、ぐらっとする違和感のような様なモノですよ。」


 そう言われると、妙に得心がいく。


 「ともあれ、お疲れ様でした新橋さん。今回のタスクはすべて完了、あとは結果を見守るだけです。ポルシェさんに仕掛けたトリガーは、ちょうど今晩が放送日ですからね。」


 トリガー。即ち、例のお豆腐屋さん特集の放送日だ。


 「結果、ああ、結果ですね。今回は一応、ターゲットへの嫌がらせは主目的じゃなくて、あくまでも実験なんでしたっけ。」


 「もー、忘れてたみたいな言い方しないで下さいよ。結構重要なんですからね。この実験が失敗したら、散々労力を掛けた結果、新橋さんが時間旅行を楽しんだだけになってしまうのですから。」


 「言うほど楽しんでいたつもりは無いですけどね。というか、成功したところで、結局は転売屋氏に嫌がらせが出来ただけになっちゃうんじゃ無いですか?」


 掛けた労力が主張するほどのモノなのであれば、やはりもう少し目標選択の余地はあったように思われる。


 「違いますよ。何度も言います様に今回の目的は実験そのもの、なのです。ポルシェさんはついでというか、オマケの様なものです。本実験の主旨は術式の主体、つまり新橋さん以外にも、偽装現実への干渉で影響を残すことが出来るのか、という点にあります。」


 「あー、なるほど。それは確かに、ただの時間旅行体験装置になるかどうかの、瀬戸際ですね。」


 しかし、その干渉とやらが出来ることが証明されたとして、何に使うつもりだろうか。


 「別に心配されている様なことには、なりませんよ。こういうこと出来たら凄い!って証明したいだけなのですから。」


 「他人の思考を読み取るのは、あんまりお行儀良くないと思いますよ?」


 「読み取ってなどいないですよ。普通に考えれば、そういう所は気になるだろうからと、想像して補足しただけです。」


 つまり、僕の挙動があまりにも分かり易い上に、テンプレートに則していると。


 「気づかいの出来る上司をもって幸せものですよ僕は。」


 どうにも皮肉のような物言いになってしまったが、実際前職に比べれば天国と言って良いだろう。


 当の上司は悪魔を自称しているが、極楽浄土といたしましては、悪魔が就労出来る程度には懐が深くあってもらいたい。


 「お気づかいついでに、ですね新橋さん。わたしから提案がありますっ。」

 

 「なんですか、改まって。」


 見直しておいて申し訳無いが、提案などと言われると身構えてしまうのは偽装現実世界での実績のなせる業だろう。


 「トリガーの発生までにはまだ時間がありますので、打ち上げしましょっ、打ち上げ。呑みましょう!」


 「おい中学生。」


 実際に告げられた提案は悪意のあるものでは無かったのだが、ある意味で、僕の警戒心も正しかったのかもしれない。


 「中学生じゃないですし、今さら何を言っているんですか。偽装現実の中でも外食などで一緒にお酒は呑んでいたじゃないですか。」


 「もう完全に絵面の問題ですよ。プチの時ほど現実離れしていれば良いですけど、今の格好で目の前で一杯やられると、こちらの精神衛生上問題があるんです。」


 「不当ですっ。本来従う必要の無い、人の法に照らし合わせても、年齢制限などすっかりクリアしているじゃないですか。」


 発言の内容に一切間違いは無いのだが、その様に主張する姿もまた、ご家庭のルールに不満を訴える女子学生にしか見えない。


 「そりゃ所長の主張に一切間違いはないんですけどね、僕が一緒になって、よし呑みましょう!ってならない気持ちも、わかるでしょう?」


 「うー。それは・・・わたしだってぇ、自分の見た目の状況とかは理解していますよぉ。だから今までだって、お店には行かずに自宅呑みばかりでしたしぃ。買い物だって、幻覚の使用対象が多くて大変だから、最近はほとんど通販ばかりだしぃ。」


 すっかり、いじけてしまった。しかしそう言うところがまた、現在進行形で見た目が子供っぽいという問題を深刻化させている。


 「打ち上げとか、飲み会とか憧れだったのに・・・。また一人で呑まなきゃいけないんですか・・・。そりゃぁまあ、一人でも美味しいですけどぉ。」


 なんとなく想像出来てはいたが、僕が参加しなくても酒盛りは開催されるらしい。


 「まったく、分かりましたよ。分かったから、これからも外では無茶しないで下さいね。」


 「わーい!さすが新橋さん、話が分かりますっ!苦節一世紀、憧れの打ち上げが、ついに私のウチでも開催できるのですねっ。これは出前の注文にも力が入るというものですっ。」


 ここまで喜ばれると、流石に悪い気はしない。というか、友達いないのかこの人は。


 「一世紀って、今まで誰もいなかったんですか?」


 「人間の知り合いとは、年を経て会うことは控えています。見た目が変わらないのを誤魔化す必要がりますから。同族間だとあまり会う機会も無いですからねぇ、お酒好きな方も少ないんですよ。お母さんもお酒飲まない人ですし。」


 なるほど、まあ、仮にお袋さんが酒好きだったとしても、家庭内では飲み会という感じにもならないか。


 「そういうことなら、積年の思いにお応えしますかね。僕もコンビニで何か買ってきますよ。欲しいものありますか?」


 「アイスクリーム!バニラかチョコのフレーバーで、お願いしますっ!!」


 酒のつまみを買いに行く話のつもりだったのだが、完全に女子目線だな。


 「あ、新橋さんご自身の分も買っておいて下さいね。わたしのお勧めなんですが、ウィスキーに合うんですよ-。」


 前言撤回。


 「やれやれ。アルコール類の足しは要らないんですか?自分で買いに行くのは面倒が多いって事でしたけど。」


 「そこは問題ありません。んふふー、我が家の保管室は特別製ですぜぇ。新橋さんがアセトアルデヒド脱水素酵素の限界まで呑み明かしたとしても、尽きることは無いでしょう。」


 冷蔵庫レベルでは無く、部屋単位で数え上げられてしまった。


 「あ、レシートもらってきて下さいね。新橋さんのお買い物分ぐらいであれば、懇親会ということで研究所の経費でおとしますのでー。」


 「そりゃどうも。まあ、友達との打ち上げであれば、このぐらい普通に僕から出しますけどね。」


 上司に対して友達感覚というのはどうかと思うが、夜風には受け入れられたらしく随分と張り切った様子で送り出された。本人はこれから会場の準備をするとのことだ。


 少し見ない間に図体は大きくなったと思ったが、こうしているとパーティを待ちきれない幼稚園児にも見えてくる。改めて、今から始めるのが飲み会で本当に大丈夫なのか、不安になるところだ。

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