第20話 干渉、完了

 阪神ファンには申し訳ないが、助っ人の契約はキャンセルさせて頂きたい。


 まさか自分が遅刻することになろうとは、そして、ターゲットが時間を守るとは、思っていなかった。

 

 「すみません、遅くなりました。」


 緊急事態宣言前とは言え、流石に客足が遠のいていた。がらんとした店内では、お互いをすぐに確認出来る。


 「かまわないよ。しかしアンタが遅れるってのは、なんていうか、ちょっと意外だな。」


 二人称が“アンタ”に昇格したのは、件のトイレットペーパー騒動が始まった頃からだった。メールでのやりとりでは慣れていたのだが、こうして直接顔を合わせるとまた別の違和感がある。


 「自転車でここまで来たのは初めてでして、駐輪場を探し回ってしまいました。」


 「感染症対策に電車はダメってことかい?いやいや、やっぱアンタは真面目だったわ。」


 僕個人が真面目という特性について否定はしないが、感染症対策は別の理由で念入りにする必要があった。今この時期に感染しようものなら、全国で二桁に入るリストに名を連ねることになる。そうなると夜風が指摘するところの、偽装が剥がれる事態になりかねない。


 「そうですよ、なに真面目に回答してるんですか。阪神はどこに行ったんです?阪神は。」


 手荷物から這い上がってきたプチ上司が不満げな表情で過去の言動を蒸し返してくる。


 アナタもそれにダメ出しをしたってことも、ついでに思い出して頂きたい。


 「でさぁ、どういうことなんだよあのメールは?せっかくアンタのこと、頭っから信頼出来るようになったっていうのにさあ。」


 ハリウッド仕込みを思わせるオーバーリアクションで訴えかけるターゲット。実は数日前、仕事の都合で、この先連絡を取ることが出来なくなりそうだと伝えていた。最後に直接会って話したいというのが、この面会の趣旨だった。


 「このご時世に、というか、このご時世だからこそ、でしょうかね。短期じゃなくてもう、がっつり向こうでやってくれと、上の方からお達しがありまして。」


 「仕事の事情かい?アンタぐらいの能力があれば、もうそっちは辞めちまってさ、こっちの世界で食ってこうとか、思わないか?」


 想定通り、どうにかして引き留めたいというところだろう。当人からすれば、まだ美味しい思いをしていないのだから。


とはいえ、こちらには美味しい思いをさせるつもりは端から無いのだが。


 「そこはまあ、降りてきた指示の内容が内容だけにですね、流石に待遇も良いんですよ。」


 業務の内容は機密なので詳しく言えないが、今後はメールでの連絡すら難しくなる、とも告げた。


実際のところ、話が済めば久方ぶりに本来の現実世界に帰還するわけで、この先連絡を取り合うことも無くなる。


 さて、この後連絡が取れなくなることとの辻褄は合うのだが、それで納得する相手ではないことも分かっている。


 となると、ここからどうにかして納得させるだけの材料が必要になる。ただその材料こそが他ならない、わざわざ1年以上掛けて準備してきた“罠”そのもである。


 「ただ、ですね。流石に僕も、単に今まで取引してもらったお礼を言うためだけに、お呼びした訳では無いんですよ。」


 「何か、あるってことかい?」


 終始不機嫌な表情で話を聞いていたターゲットの目つきが変わった事を確認し、こちらも声のボリュームを下げて説明を続ける。


 「まだ確実じゃないんですけどね、そこそこ金額が大きくなる話です。僕もこちらに残っていれば動きたい所ですが、残念ながら異動先からはアクセス出来なさそうなんですよ。とは言え、放っておくのも勿体ないですので、どうせなら今までの恩返しに、と思いまして。」


 「そういうのを待ってたんだ。詳しい話、聞かせてくれんだよな?」


 前のめりに情報を求める様子からは、もはやトイレットペーパー騒動の件を馬鹿にしていた頃の面影は無い。今ならどんな話でも信じるだろうことは見て取れる。


 なお、そんな状況を作り出した自称悪魔本人は、テーブル上でシャドーピッチングをしている。その投球フォームの選手は今年他チームに移籍になりましたよ、というか、いい加減に阪神の助っ人の件は流してもらいたい。


 ここからの話は、アナタが用意したシナリオの要なのだから、落ち着いて見届けて欲しいものなのですが。


 「ハネさん、このアニメってご存知ですか?」


 スマートフォンから、ある地方を題材にしたアニメの公式サイトにアクセスし、ターゲットに確認を促す。


 「ああ、2年前ぐらいのやつだよな、俺も何度か関連商品を仕入れたことはあったよ。ただ、アンタの趣味とは合わないんじゃないか?」


 「そうなんですが、だから、なんですかね。僕の欲しいレアアイテムの情報は見つからないのに、こういう興味が薄い話の動向だけは分かっちゃうと言いますか。」


 「そのおかげで、俺にとってはお得意様だったんだがな。ったく、上客が一人減るって意味でも、アンタの異動は俺にとって最悪だよ。」


 あらためての嘆き節に、苛立ちが募っていく様が見て取れる。また引き留め交渉を始められかねないので、手早く話を進めよう。


 「それで、先ほどの金額がデカくなるって件なんですが。」


 そう切り出すと、ポルシェ氏も派手なリアクションを止めて、再び前のめりにこちらに向き直った。どうやら不満を反らすことは出来たらしい。


 「少し先になるんですけどね、コロナウィルス騒動にある程度慣れてきた頃に、このアニメを題材にクラウドファンディングの企画が立ち上がるはずなんですよ。」


 騒動が落ち着いた頃に、とは言えない辺りが残念だ。このウィルスの騒動は落ち着くことなく、まだしばらく続く事になる。


 「その中で、チャリティーを銘打って1体50万円でフィギュア作成の企画が出てきます、しかも4種類。」


 「また、随分強気な価格設定だな。」


 「ダメ元ですよ。基本のプランはもっと安価で、目標金額もそちらをターゲットに動いています。特注フィギュアを付けるプランは金額の半額以上が寄付金の設定。あくまで宣伝広告が目的ですね。どこかの好事家が1体でも買ってくれれば儲けもの、というスタンスです。とはいえ、それでも発注原価はかなりの額で、クオリティも相応のものになるはずです。」


 実際、夜風の情報によれば2021年4月現在、このプランも公示されているものの、入札は一切ないとのこと。それはそうだろうし、すっかり話を信じ切るモードに突入していたはずのターゲットも、さすがに価格設定は気になるらしい。


 「クオリティが相応って言ってもさ、半額以上チャリティーってことは、50万の価値があるほどじゃねぇ、ってことだろ?」


 「ええ。だからこそ、“普通、転売屋は手を出さない”。」


 我ながら、たいしたもったい付けぶりだ。ポルシェの様子もすっかり警戒から興味に変わっている。


 「ここで注意してもらいたいのですが、最初に言いました様に、まだ確定じゃない、って事なんです。流石にコレが将来売れ筋になる確証は、今の時点ではまだ無いんですよ。」


 「なんだか頼りねえな。トイレットペーパーの時みたいに、俺が信じなくても自信満々で言ってくれないのかよ。」


 再び表情に不満の色が浮かぶ。実に分かりやすいが、期待に添えなかった時には厄介な人物であることも既に分かっているので、落ち着いて対処しなければならない。


 「すみません、そこは流石にまだ先の話なので。ただこの先、未来の出来事次第では確定します。現時点ではまだ80%って所ですね。金額を考えるとリスクが高いですし、確定してから手を出してもらった方が良いでしょう。」


 「なんだか面倒くせぇ話になってきたな。もっと分かり易くならないのか?」


 未だ不満の色は消えず。こちらとしても、この人物を説得するのは多少なりとも面倒くさい。


 「分かり易くですか。そうなると、そうですね。ハネさん、夜のビジネスニュース見てますか?この番組なんですけど。」


 そう言って、再びスマートフォンでTV局の公式ページにアクセスし、確認を促す。


 「おお、いつも観てるぜ。俺たちのビジネスにとっては遅い情報がほとんどだけどな、確認はしなきゃいけねぇからな。」


 やはりビジネスという表現にはまだ引っ掛かる。しかし、毎回観ているという証言は得ることが出来た。作戦に支障はなさそうだ。


 「この番組で、とある豆腐メーカー、こちらの会社が特集されることがあれば、確実です。もしその情報を見かけたら、すぐにでも先ほどのクラウドファンディングに入札しておいてください。」


 当該メーカーのホームページを提示すると同時に、ポルシェからツッコミが入る。


 「なんで豆腐とフィギュアが関係するんだ?」


 当然の疑問だ。本当の理由は、僕らが現実時間に帰った直後に放送される予定の特集だから、なのだが、あまりにも脈絡が無いよなぁ。さて、ここから信じさせることができるかどうか。


 「直接は関係ないですよ。トイレットペーパーの件を事前に察知したときと同じで、情報っていうものは連鎖するんです。今回の場合、その連鎖の中で最初に表に現れるはずの現象が、そのお豆腐メーカーの急成長ってことなんですよ。」


 「なるほど。確かにあの時の騒ぎも、聞いた時には、それが起きるなんて直接分かる情報なんざ無かったもんな。」


 都合良く納得された様だ。嘘なので勿論正しい説明など出来ないのでありがたい。


 一応、疑われた時にごまかす程度の準備はしていた。しかしそれも、情報が入り組んでいるためすべてを説明するには時間が足りない、という程度なので、どうにも心許ない。


 その心配が杞憂に終わったのはありがたい。どうやらこちらの想像以上に信用されているらしい。


 「逆に、もしこの後オリンピックが予定通り無事開催されたりしたら、絶対に買わないで下さいね。その場合、おそらく先ほどの豆腐メーカーの成長も無くなるでしょうけれど。」


 まだ確定していない情報だから今まで黙っていた、という体裁を守るために、申し訳程度の注意事項を立て付ける。実際にはオリンピックは延期され、組織委員長のゴタゴタもあり、この前提が成立することはないのではあるが。


 「オリンピックの影響については、豆腐メーカーよりは話が分かり易いですかね。先ほどのフィギュアが売れる見込みのアテなんですが、海外資本が絡んでくるはず、なんですよ。」


 もちろん、そんな見込みはカケラも存在せず、おそらく在庫を抱続けるであろう未来が待ち受けている。


 「そうそう、そういう分かり易い話を聞きたかったんだよ。しかし、確定じゃないってところはさ、さっき80%とか言ってたよな。そのぐらい東京オリンピックが無事に終わる可能性ってのは低いのか。」


 ようやく合点が言ったという様子で、ポルシェの表情からは不満は消え去っていた。20%の可能性など、もはや気にしていないことが見て取れる。実際には、その20%も本来は存在せず、方便なのではあるが。


 「延期じゃないか、っていう記事は今も出ていますよね。おそらく、まったく予定通りの開催はないと踏んでいます。その上でも先の長い話なので、もし例のメーカーのニュースが先に取り上げられたら、その頃に思い出して頂ければと。」


 「なるほどな。ってことは、アンタは80%って言ったけどさ、かなり期待して良いって事だよな。」


 「そうですね。僕からの置き土産として、自信を持って情報提供させてもらいますよ。実際に売れる頃合いになるまでは時間が掛かるかもしれませんが、売価の方は期待してください。」


 「海外資本ってことは、中国か?それとも産油国のどっかか?まあ、どっちでも良いさ。今までだってアンタの情報に間違いは無かったんだ、今度こそ、モノにさせてもらうよ。」


 すっかり信じ切ったターゲットと、最後に別れの握手を交わし喫茶店を後にした。

 駅の駐輪場までの道すがら、再びバッグに潜り込んでいたプチ所長からねぎらいの言葉が送られる。


 「お疲れ様です、新橋さん。ミッションコンプリート、ですね。前言通り、直接対峙すれば虚偽を織り交ぜることにも抵抗は無かった様で、何よりです。」


 たしかに、我ながら随分と澱みなく出任せを言えたものだ。とは言え、ベースにはこの小さな構成作家が描いた物語あってのものである。


 「所長の準備が周到だからですよ。よくもまあ、たかだか転売屋に損をさせるためだけに、ここまで準備したもんですね。」


 「まったくです。新橋さんがここまでやれるのであれば、もう少しサボっても良かったですね。でもまた同じような事があれば・・・」


 一仕事終えて上機嫌なプチ上司は言葉を区切ると、わざわざ手荷物から抜け出して僕の目前に向き直り、さも重要事項であるかのごとく、こう告げた。


 「次こそ阪神の助っ人の件は議題にあげてくださいね。」


 軽い冗談が変なスイッチを押してしまったらしく、またしばらくはこの議題を引っ張られることになりそうだ。

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