第13話 同業

 目の前に存在する上司は、悪魔。しかし、今ではデフォルメされてしまった容姿と、丁寧な言動に慣れてくると忘れそうになる。まあ、特に害はないので忘れてしまっても問題ないとは思うのだが、彼女自身はどうにもそれが不服らしく、隙あらば”悪魔の所業”をアピールする傾向にある。


 「所長・・・!あなたは、なんてことを・・・。」


 数ヶ月の勤務を経て元号は令和に、そして季節が夏に変わった頃にもまた、プチ所長は恐るべき行動に出ていた。


 「フフーん。新橋さん、よもや忘れた訳ではないでしょう?私が、そう、悪魔であると言うことを!」


 この暑苦しい季節に満面のドヤ顔というのは、本来であれば暑苦しさの重ねがけになりそうなものだが、実際のところはミルフィーユは完成せず、所長のドヤ顔があるだけである。というのも・・・。


 「何を考えているんですかっ。こんな・・・こんなっ!エアコンの設定温度をこんなに下げるなんて!」


 まさに地球環境を顧みない悪魔の所業。外界は、元カリフォルニア州知事も溶鉱炉なしで親指立てながら退場する勢いの暑さだというのに、室内はペンギンでも飼育できそうな快適空間だった。


 「まあ実際のところ、現実でここまでやると流石にお母さんに怒られてしまうのですが、この世界であれば何の問題も無いんですよね。偽装世界で私たちが省エネしたところで、現実に消費されたエネルギー量は変わらないですから。」


 「いや、だからって15度は無いでしょう。はしゃぎすぎですよ。」


 令和元年夏の暑さをおかわりするつもりは更々無いが、夏に炬燵でみかんを食べる生活に魅力は感じない。


 「えへへー。でもですよ、普段節制していることを大手を振って贅沢出来てしまうこの感覚、なんだか気分がすっきりするんですよね。分かってくださいよぉ。」


 「噂に聞く悪魔の誘惑ってやつを、まさかエアコンの設定温度で体験するとは思いませんでしたよ。」


 実際、現実に影響が無いというのも理解できるのに、なんだか悪いことをしている様な気がしてしまう自分は、どうにも頭がカタいというか、世俗に染められてしまった気がして若干情けなくもある。


 「とりあえず例の案件、そろそろ”動く”んでしたよね。次はどうしようって言うんですか?」


 くだらない理由で発生した葛藤を誤魔化す様に本題に移る。異議も霧散したことで、エアコンの氷河期設定法案は可決されていた。


 「はい。ポルシェさんからのリアクションはまだまだ事務的な印象を受けますが、そろそろお得意さんとして認識されてきた頃でしょう。なので、ここでお得意さんから、同業者へ転職活動していただきます。」


 「良いんですか?僕もそうですが、所長も転売って文化はあまりお気に召さないんじゃなかったかと。」


 たしか前にも、本当に必要な者は転売屋さんからは買いたくないのです、ぐらいのことを言っていた気がする。


 「そこはほら、フリだけですから。出品するだけして、自分で買ってしまえば良いのですよ。なんと言っても私たちには、JRA銀行という借り入れ自在の強い味方がついていますから。」


 「あー。それでここのところ、いつもより多めに出金手続きしてきてたんですね。てっきり僕は、長期労働の慰労もかねてパーティでもしてくれるんじゃないかと期待していたんですが、残念です。」


 日本中央競馬会。不本意ながらギャンブルで生計を立てている自分たちにとって、家計を支える強い味方である。目立つ勝ち方はしていないものの、労働の必要が無くなるという点だけでも、金銭感覚は狂いそうになる。


 とはいえ、今の自分は偽装現実の実験パートナーであり、ある意味労働中な訳で、多少の福利厚生は正当な要求だろう。生活空間は快適だが、一時帰還も出来ない以上マグロ漁船にも通ずる労働環境だ。


 ちなみに、最初にお宅訪問した大井競馬場はJRAではなく東京シティ競馬という運営組織らしい。今では当たり前のように両方都合の良い財布代わりにしているが、この感覚で現実に戻ったら、危ないよな。


 「しかしまあ、出品するとなると普通に売れちゃう可能性だってあるんじゃ無いですか?自分で買い戻すにしても、流石に常時出品即完売ってのは不自然過ぎるでしょう。」


 「そうなんですよねー。まあ、多少の取引成立は覚悟しましょう。とりあえず、この前見た湯葉に対抗して、うどんを売ってみるとか、どうでしょうか。」


 「アレのどこに対抗心燃えるポイントがあるんです!? 湯葉に対抗するなら豆腐か豆乳じゃないんですか?いやそういう話じゃなくて、とりあえず生ものを扱うのは怖いですから、やめておきましょうよ。」


 確かにあのサイン入り湯葉ほどアバンギャルドな出品はそうそう見かけ無かったが、まさかプチ所長の変なスイッチを押してしまっていたとは、想定外だ。


 「えー。じゃあ、うどんのフィギュアで。」


 「百歩譲った感を出さないで下さい。だいたい、どの層に向けた出品なんですか?そんなの香川県民にも需要無いですよ・・・無い、とは思いますが、あれ?うどん県を名乗るぐらいですから万がイチにはあり得るのかな?」


 ツッコミを入れておきながらだんだん自身が無くなってきた。


 「ほら、決まりですねっ。」


 「いや決まらないですよ、どこに即決する要素があるんですか。だいたい、うどんのフィギュアなんてそもそもどこで仕入れてくるって・・・」


 文句をつけながらキーボードをたたき込み、うどんフィギュアで検索件数0件の画面を突き付けてやろうと考えていたのだが。


 「え?けっこう売ってますね。なんだコレ。」


 インターネットの海は広い。広いが、実際のところ誰が買うというのか。そんな感想を持つのはやはり自分だけでは無いらしく・・・


 「え゛、あるんですか?」


 言い出した本人が興味深そうにディスプレイをのぞき込む。


 「オイこら企画立案責任者。やっぱりノリだけで持ちかけてきたんじゃ無いですか。」


 「海苔だけだなんてそんな。葱と生姜も外せませんよ。」


 「うどんの話じゃないです、いや、うどんの話だけど、そうじゃない!」


 いや、やはり今の議題はうどんではないはずだ。流石にそろそろ、このわんぱく上司が入れてしまった変なスイッチをOFFにする頃合いだろう。うどんのフィギュアが実在する以上、サイン入り湯葉に燃え上がった対抗心にも、もはや勝ち筋は無いはずだ。


 「やれやれ、お望み通り不毛なコミュニケーションは堪能出来ましたよね?そろそろ真面目に戦略を考えませんか?」


 「いやいや新橋さん、こういう余裕も案外馬鹿に出来ないものなのですよ?冗談で考えていたことが実は有効な手段になり得ることもあるわけですよ。ほら、実際うどんフィギュアも実在したのですから。案外良い感じに取り扱い出来るかもしれませんよ?」


 「ここ食い下がる所じゃ無いですよね!?議題を戻そうとしているんですから意地を張らないでください。」


 「そこはもちろん、話を戻していただいて構いませんとも。私はただ、こういう冗談も全くの無駄では無いですよ、と言いたかっただけなのです。」


 多大なる疲労感と引き換えに、舵取りは修正されようやくまっとうな検討がはじまる。


 「では新橋さん、今回の議題、どんな商品を取り扱うべきか。これを決める目的をおさらいしましょう。」


 目的、か。直接的には、転売するには売るモノを仕入れなければならない、というごく当たり前の事情があるが、なぜ転売をはじめるかというと。


 「ターゲットに、こちらも同じ転売屋仲間だと認識させること、ですね。」


 「はい。なので、こちらとしてもある程度利ざやを目的として活動している様に見せかける必要があります。つまり、身の回りで不要になったモノでお小遣いに換えようとしている個人では無く、転売屋として利益を出している様子を見せる必要があります。」


 「つまり、うどんのフィギュアでは無いわけですね。」


 「あ、その話戻りますっ?」


 久しぶりに藪蛇だった。この上司、話を脱線させる趣味でもあるのだろうか、目を輝かせながら問いかけないでいただきたい。


 「すみません、余計なことを言いました。そのまま続けてください。」


 こういうときは素直に白旗をあげるしか無いことは、短い付き合いとはいえ流石に心得てきた。ストレートな訂正を受けると流石のプチ上司も拒否することが出来ない様子で、若干つまらなさそうにしながら、こちらのリクエストに答えて話を続ける。


 「うーん、では新橋さん。ポルシェさんから見て、こいつ出来るな?って思わせる様な商品って、何でしょう。」


 「そうですね、販売期間や数量が限られていたモノで、後から人気が上がったもの。あるいは、急激に需要が上がり市場から枯渇したものを、あらかじめ察知して仕入れていた、といったところでしょうか。」


 改めて言葉にすると、あまり好感の持てる事業ではないな。市場の動向を予測する必要があるという意味で、本職の皆さんはある種ギャンブルを楽しむ様な心持ちなのだろうか。


 「ポイントは後者ですね。この後、2019年度末から需要が急激に変動するモノを、私たちは知っています。ただ、それを見せつけるためには、あらかじめターゲットに接触できる関係性を得ておく必要があります。」


 「となると、今の時点から扱う商品は前者になるわけですね。でも、あらかじめ買っておくとなると、少し時間が掛かりませんか?」


 もしかしたら、もう少し早めに準備しておくべきだったかもしれない。そう思いはしたが、考えてみれば、夜風はその手の準備をおろそかにするタイプではないはずだ。


 「その必要はありませんよ。プレミア価格が付いている状態で、普通にホビーショップに売っているモノを買って来てしまえば良いのです。」


 「あー、なるほど。市場価格より少し安めに設定して売りに出せば。」


 「はい、実際は赤字取引。でも印象上は、あらかじめ入手していたモノを市場価格よりは安く、定価より高い価格で売り抜けている様に見えますよね。」


 まさに、中央競馬銀行様々、ということか。一通り納得したところで、1点だけ違和感に気がついた。


 「ちょっと待ってくださいよ所長。そこまで考えがまとまってたんなら、うどんのくだりは要らなかったですよね?」


 「えへへー。ちょっとした遊び心ですよっ。もしかしたら原案より有効なアイデアだって出るかもしれないわけですし、長期間のミッションですから、たまには新橋さんで遊んでおかないと。」


 「で。ってなんですか。勝手な理屈で振り回さないでくださいよホント。」


 「まあまあ、良いじゃ無いですか-。たまには、ね?」


 誠に遺憾ながら何度食い下がっても自分の要求が聞き入れられることは無いらしく、小悪魔は楽しそうに回答を繰り返しながらも、答えのバリエーションにこちらの要求を肯定する表現が使われることは一切無かった。

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