第12話 契約

隠し部屋、隠し通路、そして存在しないはずのエレベーターの階層は、まごう事なき男のロマンだ。ただそれも、隠されていたのでは無く単に自分が気付いていなかっただけ、となってしまうと、どことなく恥ずかしさを覚えてしまう。


 13階!?このマンション、12階建てだったはずじゃ?などと、一瞬ミステリーの一節のような興奮を覚えたモノの、いつものエレベーターの、普段使わない場所に普通にボタンが表示されている。


 そういえば、一体いつから12階建てだと思って居ただろうか。そもそも上階層に用事など無い以上、まず興味を持つことすら無かった。


「最上階なんて行ったことがないんで、ちょっと緊張しますね。」


 夜風ちゃんが行き先のボタンを押すのを確認し、13階に気付かずに生活してきたことを誤魔化すように、それでいて素直な感想を漏らす。


「そうねぇ、私もそんなに上まで行くことは無いかしら。あ、じゃあおばさんは、ここで失礼するわね。」


 そういうと、坂倉さんは4階で降りて行った。ご婦人のお住まいがこの階で良かった。荷物運びを名乗り出た当時、何階の人かなんて考えていなかったからな。もしあの人が13階に住んでいたらと思うと、背筋が寒くなるというか、ふくらはぎが痛くなりそうだ。


「上の階は確かに、部屋の割り付けなども違いますが・・・。高級ホテルのスイートルームみたいなものではありませんので、あまり期待しない方が良いですよ?」


 僕と二人きりになった上階層の住人はそう言って謙遜するが、部屋の割り付けが違う、というだけで期待は膨らむ。かなりしっかりしたお子さんではありそうだし、僕と二人で訪れても妙な誤解を生むことはなさそうだ。そうなれば、せっかくなのでセレブの生活ぶりというヤツを観察させてもらおう。


「ただいま戻りました。」


 夜風ちゃんがそう言うと、声に呼応して照明が息を吹き返した。13階、いくつかの案内表示とは逆方向に進んだ先に、その部屋はあった。部屋番号の表示もなく、位置関係からは倉庫の様にも思えるが、扉の装丁は何かの店舗かオフィスビル。自動扉ではないものの、そんな雰囲気があった。


「鍵とか、掛かってないのかい?」


 ハイテクな照明機器に感心しつつ、入る前に気になった事を聞いてみる。確かこの子は、特に鍵を開ける様子もなく、そのまま扉を開けて入っていた。


「いえ、掛けていますよ。他の部屋のようにカードキーや物理的な鍵を使っている訳ではない、というだけで。」


 なるほど、どうやら相当豪華な部屋に舞い込んでしまったらしい。自分にはすこし場違いな感覚がある。


「いや、すごいな。期待するなとは言われたけど、映像認識か、AI制御か何かかな?正直びっくりしたよ。」


「そう言って頂けると冥利に尽きます。こちらはその様な類いの研究所ですので。あ、面接の前に一つ健康診断というか、簡単なメディカルチェックをしますので、こちらの部屋でおかけになってお待ちください。」


 研究所。マンションの一室が?・・・まあ、「そういう類い」というあたり、情報システム関係ならあり得るんだろうか。化学実験なんかは必要ないということであれば、案外そういうモノなのかもしれない。


 案内されるまま、応接室のソファーに腰掛けて待っていると、ペンライトのようなモノを持って夜風ちゃんが帰ってきた。


「お待たせしました。メディカルチェックと言いましたが、単純に目の様子を見させて頂くだけですので、こちらのライトを見ながら、少しの間瞬きを我慢してくださいね。」


 そう言うと僕の前に立ち、ここですよとジェスチャーしながら視線を誘導する。随分簡単なメディカルチェックだな。デスクワーク中心なら、目の健康さえ担保できれば問題ないということだろうか。


 考えながら、言われる通りペンライトの光を見つめ返すと、瞬間、かるく目眩のような感覚に襲われた。平衡感覚は失われないものの、視界が2重、いや、3、4重にも見える。これは・・・一体、なん、の。


「はい、お疲れ様でした。もう大丈夫ですよ。」


「っと、ごめん、大丈夫じゃないみたいだ。光を見ていた間、どうにも目眩の様な感覚があってね。今のがメディカルチェックってことは、こういう環境で体調を崩す様な体質だと、マズいって事だよね?」


 正直、せっかくの就職先の案内だったが、体質が受け付けないというのであれば仕方が無い。そう思って申告したのだが、想像以上の答えが帰ってきた。


「確認できたとおり、随分素直な方ですね。大丈夫ですよ、新橋 周一郎さん。ついでにいえば、面接も完了です。さっそく今日からお仕事に就いて頂きたいのですが、いかがですか?」


「その前に、色々聞きたいことがあるんだけど、なぜ僕の名前を?」


 今ので面接が終わりというのも気になるが、まず、名前は名乗っていないはずだ。坂倉さんから呼ばれた名字は聞かれていたかもしれないが、名字だけ、のはずだ。


「それはですね、今の術式で新橋さんの適性を確認させて頂きましたので、その際に分かっちゃいました。先ほどの目眩というのも、私の術の作用の様なものなので、特に問題はありませんよ。」


「術式?いったい何を言っているのかな。」


 突然、言っていることが支離滅裂になり始めた。それとも、僕の方が何か混乱しているのだろうか。


「そうですね、適性はもう見せて頂いたので、お話しても大丈夫ですね。改めましてよろしくお願いします。わたし、この雛坂研究所の所長をしております、雛坂夜風、と申します。人間ではなく悪魔なんですよ、実は。なので、年下に見得てしまうとは思いますが、120年は生きていますので新橋さんよりお姉さんです。遠慮無く敬ってくれて良いですよ。」


「なるほどー、そうだったのかー。」


 理解した。これはあれだ、考えたらだめなヤツだ。最近の中学校ではそういうのが流行っているんだろうか。それとも、僕が知らない漫画か何かで、そういう設定があるのか。


「まぁ、やっぱり信じてはいないですよね。それも分かっていたことですが。」


 そう言うと、自称悪魔の少女はペンライトをオフにしてもう一度僕を見つめ返す。


「では、わかりやすい証拠を提示しましょう。二度手間でしたが、改めて私の目を見ていただきますね。」


 さきほどとは違い、ペンライトの光がないとよく分かる。彼女、雛坂夜風の両目が紅く怪しく光り、僕の意識を飲み込んで行く。


ーーー目の前にいるのは、間違いなく、悪魔。


 言葉では無く、ビジョンでも無い。ただ単純に、言葉通りに、直接”分からされた”。


「はい、術式解除です。先ほどは目眩がされたという事でしたし、もうお分かりいただけたと思いますので、新橋さんに術をお掛けすることはもうないでしょう。ご安心ください。」


 術は解除されたらしく、確かに目眩のような感覚も、もう無い。ただ、一度”分かってしまった”という経験だけは、どうしようも無く残っている。


「ちなにみコレ、僕が断ったりしたら、どうなっちゃうんです?」


「大丈夫ですよ。新橋さんにはオファーを受けていただけること、1度目の適性検査で推測出来ていますので。特に危ない事がなければそのつもりなんですよね?大丈夫ですっ、体験いただいた通り、怪しさは満載ですが、危なくは無いですから。」


 もはや運命は決まっているかのように、既に職場の同僚としてのフレンドリーさで接してくる。実際、危険が無いことも同時に分からされていただけに、術が解けた今でも、この件を断るつもりは無くなっている。


「この感覚事態、あなたの術で騙されている、って可能性はあると思うんですけどね。」


「はい、そこまで術の存在を信じていただけること、そして、その上で契約いただけることまで含めて、しっかり把握済みですよ。あ、お給料は色々事情がありますので、前職と手取りが同じになる程度に調整させていただきますね。」


 すべてお見通し、という態度は本来あまり好感を持てはしないが、無邪気に喜ばれると悪い気はしない。何より、手取りが保証されるというのは大きい。もはやいつの間にか個人情報を把握されていることに驚きもない。気が合いそうに無い諸先輩方に囲まれた職場環境に比べれば天国だ。


 まあ、その天国の主は、自称するところによると悪魔、なのだが。

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