第10話 エレガントにバランスよく、それでいてしつこく無く

 取引の朝は、某銘柄ワインのキャッチコピーを眺めて始まる。というのも、起き抜けから呑んだくれている訳では無く、取引相手に賛辞を送るための心構えだ。とにかくプラス思考の表現をしみこませる、そのための参考資料としてはなかなかに優秀だ。


 とはいえ僕の方はワインメーカーと違い、本心からくる賛辞では無い。それだけに、空虚にならないよう万全を期す必要がある。エレガントで味わい深いメッセージを作ることが出来るように心がけ、ボロが出ないように誤魔化さなければ。


長期的な計画の方は上司が取り仕切っている。これから1年近くに渡り偽装現実の検証を行いつつ罠を巡らすわけだが、さしあたり現状に対して夜風から言い渡された指示は、相応に面倒なものだった。


「毎回すべて統一する必要はありませんが、購入する商品には一貫性を持たせてください。いつもこの手の商品を買って行く客、という印象を持つはずなので、その手の話題を振られる想定も忘れずに。振られた話題に自然に回答するための情報収集もお願いします。」


 確かに、何度も取引をする以上、毎回統一性のない商品を買っていくのは不自然だろう。


「最初に女性向けのファンシーグッズみたいなモノに手を出しておかなくて良かったですね。そういうのは、キャラ付けに困りそうです。」


「普通であれば、最初だけなら問題ありませんよ。知人に頼まれて取引したところ、便利だったから自分もアプリを使うようになった、という筋書きであれば自然です。」


 普通であれば、というのは、今回のケースには当たらないということだ。最初に送ったメッセージが、探していたので助かります!といった勢いで送付したので、前述の言い訳はまあ出来ない事もないが、違和感は残るだろう。残念ながら採用できない。


「ともあれ、購入してきたのがアニメグッズであれば、この先一貫性を持たせるに都合は良さそうですね。僕もある程度は知ってる作品でしたから、コレを機に少し見返してみます。」


 限定グッズがルービックキューブと、大工道具のカンナだったことは、忘れておこう。プチ夜風の方もそんなことは覚えていない様子で、指示を続ける。


「あとはそうですね、たまに相場より高い値段が付いているモノをあえて買いましょう。メッセージではそれとなく、信用できる出品者から買いたい、といった内容を添えて下さい。これはある程度取引を重ねてからのアクションになりますね。覚えておいていただければ。」


「また周到ですね。なんだか詐欺のマニュアルでも聞かされている様な気分ですよ。まあ、実際騙して罠に掛けようとしているわけですが。」


「人間の心理を操るわけですから、個人差を考慮しても慎重に扱うに越したことはありません。新橋さんには、繊細かつエレガントな落とし文句でポルシェさんのハートを掴んで頂きます。」


 その繊細な心遣いをスタッフにも向けてもらいたいもので、この言いようではやる気は減退する。何が悲しくてポルシェのハートをキャッチせねばならんのか。


「まあまあ、そんなに嫌そうな顔しないで下さいよ。取引の日は、上手くあしらえたら美味しいモノを食べに行きましょう。自分へのご褒美というやつです。あ、私も食べたいですから、個室があるお店じゃなきゃ嫌ですからね。カウンターで見えない生き物に料理が食べられていく様子をご覧いただく訳にはいきませんから。」


 天使の分け前というには、取り分が多すぎる。実際分け前を主張する相手は天使の対極にあるわけで、さもありなんだ。


「せっかくお金に困らない状況にあるんなら、美味しいものは毎日でも食べたいところですけどね。」


「そこは上司権限で却下します。新橋さんの現実に戻ってからの感覚を狂わせないためですよ。過度な贅沢は禁止です。」


 まるで実家の母親の様な物言いだ。実年齢は、ばあちゃんよりも上なのだから分からないでも無いが。


「とはいえ、仮想的に長期就労して頂いているわけですから、それなりの報酬として時々なら贅沢も許可します。現実では躊躇してしまうようなお値段でも、どんとこいですよ。」


「それは単純に、自分も食べたいからって事ですよね?」


「えへへー、実は私も現実の方ではお母さんに無駄遣いを監視されていまして。こっちなら、時々ならっ、良いですよね-。」


 祖母より年上の思慮があると思えば、見た目通りの子供じみた表現をするのだから分からない。まあ、言われる様に長期間のミッションな訳で、時々の贅沢は楽しみにしておこう。


「えっと、取引の注意事項に戻りますね。ポイントとしてはもう1点、ある程度信頼が得られていそうなタイミングで、他の方が価格交渉中の商品に手を出して下さい。」


「わざわざトラブルになりそうなブツに手を出すんですか?厄介事の契機になったと思われたら、マイナスじゃないんですかね。」


 正直、この指示は意外だった。本当に商品を手に入れたい訳では無い以上、他のユーザに迷惑がかからない範囲で動くと思っていた。


「そこは考え方次第ですよ。そもそも希望の値段から値下げ交渉を受けているわけですから、そこに手を差し伸べると考えられます。なおかつ、それが今までお得意さんとして取引を続けてきた相手なら、交渉を持ちかけた側の第三者からしか、敵意は向けられないかと。」


「その交渉中の人物には、嫌がられてもよろしいんで?」


「問題ありません。そもそも私、転売って好きではないので。その評価は売る側も買う側も平等です。むしろ、結果としてポルシェさんからどういう反応が返ってくるかで、作戦の進捗を測る事の方が重要です。」


 そう言われると、たしかに自分も配慮の必要は感じない。ポルシェからすれば厄介なのは値下げ交渉の方であり、交渉を仕掛けてきた人物が自分の方が先だとわめいたところで、意に介すことは無いだろう。


「しかしまあ、こうして考えると先行きは長いですね。コレなら、現実で直接ポルシェの行動を操るなり何なりした方が、手っ取り早いんじゃないですか?」


「一理ありますが、まず私が直接会いたくありません。それと、偽装を剥がしてはいけないこの世界の中で、どこまでの影響力を行使できるかという実験でもありますので、大人しくポルシェさんと文通して下さい。」


 文通などという表現に思わず食って掛かりたくなるが、その前に、一理を肯定されたことで分かった事がある。


「直接行動を操る、っていう点は実現可能なんですね。」


「まあ、出来なくは無いですよ。とはいえ、行動させた後で元には戻るわけですから、すぐにクーリングオフ出来てしまいますし、クーリングオフ制度対象外の消費行動をさせたところで、術式を解除したその場で騒ぎになりますよね。周りの迷惑です。そういう意味でも、今回の作戦はよりエレガントで、しなやかなものにしようと思っています。」


 直接操ったとしても、それはあくまでも一過性のものであり、長続きはしないということか。


「誤った認識を恒常的な記憶として根付かせる、それが可能かを実験しているってところですか。」


「飲み込みが早くてたすかります。基本的には私の術は一時的なモノなので。とはいえ、一時的な効果でも意味のあるケースもあるのですが。新橋さんに、研究所の面接で体験頂いた件が、まさにコレですね。」


「そういえば、そんな事もありましたね。」


それは、偽装現実に放り込まれる前の話。

エレガントかどうかは置いておいて、確かに効果的な超常現象だったことは認めざるを得ない。

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