第9話 偽名
何事にも例外はあり、例外も重なれば例に並ぶ。いつからか、名は体を表すという言葉には例外があふれ、既におとぎ話の一節になりつつある。人名に個性があふれるようになって久しければ、次男坊の一郎君が居たってかまわないだろう。
別にそれ自体は否定しないし、好きに名付ければ良いと思う。そちらも好きにすれば良いので、こちらにも好きに呼ばせてもらいたい。
「読みにくい。」
標的となる転売屋、匿名発送ではなかったため相手側の情報があっさりと獲得出来たものの、発送者の名前欄には、矢車<<やぐるま>> 跳馬<<はねま>> とあった。普通、この漢字なら読みは「チョウバ」のはずだ。競技者ではなくても、オリンピックの体操を見たことぐらいはある。そうでなくても、口に出して発音し難い読み方はどうにかならないものか。
「これって、本名なんですかね。というか、本人なのかも怪しいのか。組織的に転売してるケースもあるらしいですね。」
今更だが、モノが届いてはじめて気になった。改めて考えてみると、相手が一人という思い込みは早計かもしれない。
「そのあたりは、今回の実験を行う前にリサーチ済みですよ。この方の個人事業ということで間違いありません。やぐるま、なんとかさんの。」
杞憂は即座に否定された。証拠の提示があった訳では無いが、考えてもみれば碌に準備をしていなかったのは自分だけだ。というか、体感した方が早いという理由で説明もなくOJTに放り込まれたのだった。引き出しの中でリクライニングを決め込んでいるプチ上司の方は、作戦を練った上での同行だ。
「前線に回される職員としましては、情報の開示を求めたいところなんですが。今まで相手方の説明が無かったのは何か理由でもあるんですか?」
「理由、ですか。言われるまで気にしたことが無かったというだけなのですが。強いて言えばそうですね、ターゲットの方自身にはそれほど興味がない、というのが正確かもしれませんね。偽装現実の検証の方が重要なので。」
素直にこちらに振り返るのでは無く、リクライニングを倒しきって仰向けに顔を向けてきた。疲れないのか?あれは。
「それとも新橋さんは、こちらの転売屋さんに興味がおありでしょうか。もし新橋さんが、転売死すべし!みたいな過激思想をお持ちだとしても、この方はおそらく小物中の小物ですよ。」
「そういうんじゃないですがね、せめて少しぐらいは興味もってあげましょうよ。敵を知らないことには、この先のアクションも起こしにくいですよ?」
我ながら、どうして顔も知らない転売屋のフォローをしているのだろうか。こっちだって、必要な情報さえ把握してしまえば、人となりまでは全くといって興味はないのだが。
「しかしまあ、この先の計画はもう立っているってところですか、その様子だと。」
「まあ、一応一通りは調べましたので。特に面白みは無い方でした。私としては、実は背後に恐るべき組織がひそんでいた!とか、死んでいたはずのあの人が何故?!みたいなミステリアスな展開を期待したのですが。」
「焼酎一本でそこまで壮大なストーリー背負わさないで下さいよ。僕としては、スペクタクルなのは所長ひとりでおなかいっぱいなんですから。」
悪魔の手先などという頭の痛い役割を担わされている以上、一歩間違えれば映画化沙汰にもなりかねない。
「とりあえず、最低限分かっている情報は教えて下さい。つまらない情報ならそれはそれで、聞いてて眠くなっても落とす単位はありませんから。」
実際興味が無い以上、こちらとしても無理にとは言わないまでも、今後の事を考えるとある程度の心構えはしておきたい。とりわけ隠しているという様子でもなかったので容易に聞き出せると思っていたが、予想外にもったいぶった答えが返ってきた。
「それなんですが、実は新橋さんにお知らせしない方が良さそうな情報がありまして。」
「その情報の存在を伝えてしまうってのは、どうなんです?」
これは隠しているのかいないのか、判断に困る。
「えーっと、そうですね。新橋さんは、キラキラネームって分かりますか?」
「まあ分かりますが、あまりその呼び方は好きでは無いですね。友人にその手の名前のヤツが居るんですが、結構良い奴で仲も良いんですよ。だからまあ、なんだか馬鹿にしたようなカテゴライズが、どうにも好きになれなくて。」
とはいえ、訝しむ気持ちは分からないでも無い。実際僕自身、今回のターゲットの名前が読み上げ難いことに、若干苛立ちは覚えたわけで。
「おっと、そうですか、それは失礼しました。」
こういうところ、素直に受け入れてくれるところはありがたい。世の人生経験が豊富な御歴々には頭がカタい印象があるものの、幸いウチの上司は実年齢に反して見た目通りに素直なところがあるらしい。
「とはいえ他に言い方も思い浮かばないので、せめて固有名詞を差し控えて表現させてもらいますと、このターゲットの方も、その手のお名前なんですよ。」
「まあ、確かに読みにくいですからね。しかし、僕に伝えない方が良い情報ってのと、それがどう関わってくるんですか?」
「いえ、そうではなく。そのハネマ、という振り仮名が、まず違うんですよ。つまり、本人も嫌がって正しい読み方を使っていないのですね。そのせいで、自称にあたってはハネマだったハルマだったりするみたいです。たとえば先ほどのマーケットでのユーザ名も「ハル」だったでしょう?」
ユーザ名、言われてみればそんなこともあったな。しかしそうなると、伝えたくない情報と言うのはその本当の読み方、ということか。
「この後、新橋さんには直接ご本人と合ってもらう可能性もあるわけで。そうなりますと、そのとき名前を思い出すことがリスクになるかと。思い出し笑いしたりしないように、という意味で、お教えしたくないんです。」
理由が深刻では無いというのはありがたいが、あまりに馬鹿馬鹿しいという点ではマイナス査定をつけざるを得ない。
「別に気にしませんけどね。さっきも言ったように、身近に同じ境遇のヤツが居ましたし。どうせ跳ね馬だからフェラーリとか、いっそポルシェとかじゃないんですか?」
「正解ではありませんが、なかなかいい線を行っています。」
そこは、いい線を行かないで頂きたかった。
「といいますか、どうしてポルシェなんて発想が出てくるんですか。普通惜しいところまで行かないですよ。」
「それはまあ、件の友人ですよ。そういう、何というか、ご両親が頑張っちゃったタイプの名前だったものでして。」
正直、こういった類いの話はアイツだけだと思っていた。とはいえ、どこぞの転売屋に同じ境遇の仲間がいたぞ、なんて伝えたところで喜ぶ様な話じゃないな。
「これは完全に興味本位なので、嫌だったらこれ以上はお聞きしませんが、そのご友人と言うのは、どんなお名前なんですか?」
「まあ、こんな話してれば気になりますよね。別に特段隠すような事でもありませんし。良いですよ。漢字で書くと、こういう名前です。」
キーボードに指を走らせ、わざとスペースを開けずに姓名を打ち込むと、画面上には甲斐虎春人と、尋常ではあり得ない五文字が並ぶ。
「カイトラ、ハルト、さんですか?武田信玄みたいですね。」
「ま、普通はそんな読み方になりますよね。実際の区切りはここで・・・」
そう言いながら、カーソルを戻してスペースキーをひとたたきする。
「カイ・レオンハルトです。仲間ウチではハルトって呼んでます。良い奴ですよ。」
「レオンって、いやコレ、虎ですよね。」
「まあ、そういうことなんですよ。だからポルシェ君の名前もピンときたといいますか。」
僕の中でターゲットの呼び方がポルシェで確定した。どうせ正式名称を開示されることがないのであれば、好きに呼ばせてもらう。
「新橋さんの印象だけを参考にするのであれば、ご両親はレオンハルトさんにもっと感謝するべきですね。よくぞまっすぐ育ったものです。」
「怪我の功名、みたいなものですけどね。本人から聞いた話では、親が名前のことで非難されない様に俺が良いところ見せてやるんだって、相当頑張ってたみたいです。」
「けなげですね。ポルシェさんもそういうところ見習って頂ければ、もう少しマシな人生を過ごしていたのでしょうけれど。」
どうやら、ターゲットのコードネームはポルシェで確定したらしい。名前負けしていることは間違いなさそうだが、ハネマに比べればよほど呼びやすい。
「しかしそうなりますと、新橋さんの発想の根源は、そうですか。ご両親が別の何かと勘違いして読み仮名を振ってしまった、という事例に基づいていたのですね。私はてっきり、実際ポルシェのエンブレムもフェラーリとモチーフが同じという話から来た発想だと思っていました。」
「正直、その話は知りませんでしたよ。ああ、そういう意味でのいい線行ってる、ってことだったんですか。」
「あ、いえ、その評価については、ご両親勘違い説の方がさらに近いです。」
だからそこは、遠くあってくれ。
「ポルシェさんの本名についても、現実に帰ったらお伝えしましょうか。対面したときにうっかり口走ったりしたら、変な印象をもたれてしまいますので。ポルシェ、であればまあ、万が一の時に誤魔化しが効くんじゃ無いでしょうか。」
この後、ポルシェ氏の詳細プロフィールなど聞かされたものの、まさか本当に子守歌になるとは思わなかった。ある意味、眠たくなる様な人生にスパイスを効かせてくれたという点は、名付け親のファインプレーだったのかもしれない。
・・・かもしれないが、意図をもって子供の名前をつけるなら、背景ぐらいはしっかり調べるべきだろう。まさかハルト以外にも同じ境遇の人間が居たとは。流石にこの2例だけの例外であり続けて欲しいものだ。
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