第8話 リスク

等価交換。質量・運動量保存則、果ては幸運不運の総量に至るまで、世間ではプラスとマイナスが表裏一体という言説がまかり通っている。


だからといって、良いニュースにわざわざ悪いニュースをペアで持ってくる必要は無いだろう。もし最初にこの文化を考えたヤツに会うことが出来たなら、生まれた事を後悔するほどの足ツボマッサージを施してやりたい。地の果てまでも追いかけて健康にしてやる。


「新橋さん、良いニュースと悪いニュースがあるのですが。」


「良いニュースだけ聞かせて下さい。」


声のトーンが、明らかに後者がメインコンテンツであることを物語っていた。標的との取引が一段落し、今はプチ所長ご所望のアメニティを厳選中。つい先ほどまで画面を見ながらはしゃいで居たにも関わらず、こちらを振り返った瞬間テンションが急速冷凍したわけで。この急冷テクノロジーは特許がとれそうだ。


「どちらから先に」


「良いニュースだけお願いします。」


これは経験則だが、世の中には知らない方が良いことが、ままある。

プチ夜風は覚悟を決めた様子で小さくため息をつき、注文に答えた。


「このマンションの裏手にあるラーメン屋さんですが、なかなか評判が良い様です。出前もやっているらしいので、今度頼んでみましょう。」


「あー、ネギラーメン良いですね。おつまみチャーシューなんかは今すぐにでも食べたいですよ。」


早速マップアプリからホームページを開きながら、どことなく空々しい会話のキャッチボールをこなす。


そしてもたらされる、しばしの沈黙。


「なぜ、今その情報を?」


おなかが減ったから、という理由では無いことには察しが付いていた。聞かなければ良いのに、余計な一言を挟む自分が悲しい。


「良いニュースだけ聞きたいんですよね。」


ほら、やっぱり。


「そりゃ、まあ。聞かなきゃ良かったと思うような話なんでしょう?」


「ご自分で気がつかずに、このさき生きることが出来るのであれば、ですけどね。もし気付いてしまったら、早く聞いておかなかった事を後悔するとは思います。」


「さすが、所長が見込んだ僕だけのことはありますね。今しがた、そこまで聞きだしてしまった事を後悔しましたよ。」


となれば、もはや後戻りは出来ない。その決意を察知したのか、プチ夜風が重苦しく、遠回しに、そして残酷に事実を語り始める。


「ラーメン屋さん、衛生管理もかなりしっかりしている様です。」


「へー、良いじゃないですか。そこまで良いニュースに含まれないんですか?」


「はい、お店はきれいなので、”お店の中にはほとんど居ないと思います”。」


主語は何なのか、店に居なければ、どこに居るのか。残念ながらこのミステリーは迷宮入りだ。だが、謎は解かなくても行動することは出来る。


「最寄りのドラッグストアってどこでしたっけ。」


「ここです。殺虫スプレーだけじゃ無くて、エアコンのドレンホースにかぶせるネットも買いましょう!忘れちゃだめですからね!ね!」


プチ夜風が空間上にマップ画面を表示させる。便利だなと感心するもつかの間、部屋を飛び出した。


「待って下さい新橋さん、引き出し閉めてください!閉めてから行きましょうよっ!」


「逆ですよ所長、ご自宅を”暗くてほぼ密閉された空間”にしておきたかったですか?」


声なき声を上げるプチ夜風、少なくとも抗議は止んだ様だ。

それにしても夜風が判断を誤るとは珍しい。そういえば、プチサイズだと相対的に通常より巨大に感じるのだろうか。いや、考えるのは止めよう。


「しかしまあ、なんでまたそんなモノまで再現してるんですかね、この世界は。」


「うー、仕方ないんですよ。私たちが自覚していない事象まで再現するためには、”すべて”を再現するしか無いんですから。」


などと、それらしい泣き言を披露するが、その結果自身が最大の驚異にさらされるのであれば世話無いものだ。一方で、すべてを再現する、なら出来てしまうというのも乱暴な話だ。改めて、とんでもない代物に放り込まれたことを実感した。


かくして、念願の凍結スプレーを手に入れた僕たちは、それだけで安心しきれず各種グッズを購入して事なきを得たのだが、まさかお隣に名店が存在するメリットと引き換えに、こんな事態に見舞われようとは。


「そういえば、僕らが入居していなかったはずの実際の過去には、あの部屋は彼の居城だったって事ですか?駆除というか、天国への階段にご招待しちゃって、大丈夫だったんですかね。例の偽装が剥がれるって話は問題になっていないようですが。」


とはいいつつ、指摘したことで駆除が取りやめになるリスクを考慮し、既に一通りのプロジェクトを完了した上での確認である。


「実際に何も起きていないことが証拠ですが、問題ありませんよ。まず1点目の確認ですが、実際の過去にホームステイさんが居たとは限らないのです。あくまでも、べっちゃんが推測・構築した仮想の生命体が、その行動特性を再現されているに過ぎないので。おそらく、私たちが入居したことが条件になって、照明やその他の要素が整ったのでしょう。ラーメン屋さんのゴミ捨て場あたりからお引っ越しされた可能性が高いですね。」


べっちゃん、仮想現実を構築する推論エンジンで、正式名称はBETTERだったか。この呼び方にもなれる必要があるな。


「2点目は、駆除してしまって問題が無い理由ですね。昆虫や動物などでも、ペットなど人間とのリレーションが成り立っている個体であれば問題になります。しかし、そうでなければ無視できますね。現実の記録と記憶に対して、コレは違うぞ、と気付かれ無いものは基本的に大丈夫だと思って下さい。」


「ということは、野良の生き物でも何かの事件のきっかけになった様な大御所なんかは。」


「危ないですね。一方で、例えば野良猫さんの不用意な行動で現実には起きなかった大事件が発生する、という可能性も、この世界ではゼロということになります。」


「現実に起きていなければ、BETTERが再現した野鳥が原因で飛行機が墜落する、いわゆるバードストライクが発生する、なんて可能性もないということですね。」


確かに、こちらが何もミスをしていないのに、偶然で偽装を剥がされたらたまったものではない。・・・いや?たまったものではない、というのは、実際のところどうなのだろう。


「所長、今回は問題なしってことは理解出来たんですが、問題があった場合、つまり、偽装が剥がれると、どうなるんです?」


「はい、それはですね。あー・・・、えっと。」


一見ぬいぐるみ状態のプチ夜風だが、表情までしっかり再現されているせいで、ふと何かに気付いた様子を誤魔化そうとしていることまで分かる。


「うーんと、教えてしまっても問題無いとは思うのですが、内緒です。」


「やれやれ。いまさら多少のことでは怯みませんよ、所長ご自慢の優秀なスタッフなものですから。」


口に出したことで、リスクについて落ち着いて考えて居なかったことに気がついた。とはいえ、言いかけた時のプチ夜風の様子から、たとえば命に関わる様なリスクであることはなさそうだ。まだ付き合いは長くないが、もし致命的なデメリットがあれば、最初に説明した上で納得させてくるタイプ、だと思う。


「そうですねぇ。新橋さんなら正しく理解してくれるとは思いますが、やっぱり念のため内緒です。現実世界に帰ったらお伝えしますので、それまでどんなリスクがあるか考えておいて下さい。あとで答え合わせしましょう。」


「なんか、上手いことはぐらかされた気がするんですけどね。」


「でしょー?。我ながら上手に話をそらすことが出来たと思います。まあ、私が付いている限りは偽装が剥がれる様な事態にはならないと思いますので、ご安心下さい。」


話をそらしたことを全面的に認めてくる辺り、たちが悪い。そこに食らいついても答える気がないという意思表示か。であれば・・・。


「少なくとも、失敗しないことに安心しなきゃいけないような事態になるってことですね。」


「あ。私としたことが失言でした。出来ればその部分は忘れて頂ければと思うのですが。なんだか申し訳ないので。」


「残念ながらまだ物忘れを期待できる様な歳じゃないですよ。申し訳ない、っていうのであれば、答えを出してしまっても良いんじゃないですか?」


失言と認めたこと、そして申し訳ない、という表現はどう捉えたものか。そこから推測しようにも、素材としては不十分であることは否めない。どうやら、あまり有益な情報は引き出せそうにはない。一応、もう一押しはしてみたものの、回答は大方の予想が付いていた。


「いやぁ、そこまで気にされてしまいますと、私としても俄然内緒にした甲斐があるといいますか、ちょっと楽しくなって来てしまいました。正解はCMの後、ってやつですね、やってる方は結構楽しかったんですね、アレ。」


「わざわざ性格の悪さというか、悪魔らしさをアピールしなくても良いですから。あと、CMの件は視聴者からするとマイナス評価にこそなれ、プラスになる余地はない点は、念を押しておきますからね。」


答えがNoであることは予想していたが、その理由は予想を超えて悪辣だった。マイナス評価を伝えられた本人はご満悦だが、メディア関係者には一度CMのはさみ方について、そのデメリットを見直すことをお勧めしたい。

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