第3話 偽装

もし時間を遡ることができたら。夢みたいな話だ。宝くじが当たったらどうする?なんて話にも似ている。


実際に宝くじに当たった人はその後が実は大変だ、なんて話をよく聞くが、時間を遡ってしまった人間も夢のある話ばかりでは無く、最初にやった事と言えば・・・


「私はロボットではありません、っと。」


分割された画像から、信号機のタイルを選択して次の画面に進む。

午前中からインターネットカフェに入り浸り、インターネットバンキングの口座開設と銀行口座への紐付けを完了した。


「勤務時間のカウントが止まっているうえに、こういう地味な作業ってのは堪えますね。」


個室のブースを確保したので、周囲の目を気にする必要も無い。ディスプレイの上に鎮座する上司のマスコットに、労働者として当然の権利をそれとなく主張する。


「仕方が無いのですよ。偽装世界への介入コストの大半は、世界に新橋さんをねじ込むこと自体に投入されてしまいますので。最低限必要な戸籍、アカウントの偽装までは済ませていますが、可能な限りの事務手続きは個別に進めていただきたいのです。」


最低限、の中に住所とクレジットカードが含まれて居たのは助かった。たしかにゼロから手配するのは難しそうだ。となれば、残る課題がもう一つ。


「なるほど、そちらの事情は分かりました。できれば勤務時間についても、前向きな回答をいただきたいんですがね。」


「うーん、そうですね。まあ事実、業務としてはそれなりの負担をお掛けするわけで。とはいえ、実際には時間が流れていない以上、何を指標にしたものか・・・。」


「おっと。正直期待していなかったんですが、待遇改善の見込みはありそうですか。」


思いの他真剣に検討されている様子がうかがえる。傍若無人な小悪魔上司と思っていたが、ここは一つ、部下からの評価としても見直す機会になるかもしれない。


「ええまあ。現状研究所の財政は健全そのものなので。組織運営の課題の大半は、結局のところお金さえあればなんとかなってしまうものなのです。世の中ゼニでっせ、兄さん。」


「誰の真似か知りませんが、怒られますよ?どこからともなく。それで、実際のところ待遇改善は期待できるんで?」


「そうですね。それでは、裁量労働制・・・ともほど遠いですが、こちらの勤務を忠実にこなしていただければ、日中の現実世界の勤務は基本休憩としてもらって良いですよ。」


思いの他、破格の条件が提示された。しかし、それはそれで良いんだろうか。

言ってしまえば、そう・・・


「万年有給休暇、ってところですか?」


「ちょっと違いますね。実験の準備が出来たら随時手伝ってもらいたいので、待機はしていて欲しいです。ただ、その間に本を読もうとも、ゲームをしていようとも自由、といったところでしょうか。」


「十分です、ちょっとやる気も出てきましたよ。そうは見えないかもしれませんが。」


「そうは見えないですね。新橋さんはもう少し感情を表に出しても良いかと思います。」


「ですかね。さしあたり今は、そこを納得した上でも少々うんざりしているわけなんですが。どうせ偽装現実ってやつなら、都合良く口座なり契約なり、塗り替える訳には行かないんですか?」


「不可能ではありませんが、先ほども話しましたように、コストが大きいのですよ。この世界は記憶と記録を元に推測された偽りの過去。偽りとはすなわち、現実世界にとっても実際の過去であるかのように偽装されていることを指します。」


このあたりの話は、駅のホームで受けた説明に一致する。


「では、”この過去の世界”で、実際の過去には起こりえなかった事象が発生したらどうなるでしょう。たとえば今から新橋さんが三輪車で爆走して、外国人観光客に人気の公道カートとデッドヒートを繰り広げたりしたら、どうなると思いますか?」


「いやしないですし、出来ませんよ。ウチの家系に50CC出せるご先祖が居た可能性は否定しませんがね。少なくとも僕には遺伝しちゃいないみたいです、体感ですけどね。」


「まあそう言わずに。たとえば、の話ですよ。」


「それは分かるんですが、なんというか、もうちょっとマシなパターンはないんですか?」


突拍子もなさ過ぎて自分の想像力では補い切れない。こちらとしては当然の要求をしたまでなのだが、当の上司はナイスアイデアだと信じて疑わなかった様子で、渋々代替案を提示してきた。


「うーん、仕方ないですね。出来ればこのパターンは考えてもらいたくなかったのですが。」


ひとつ前置きをし、心なしか瞳に真剣味を帯びる。デフォルメ状態で真面目になられてもいまいち緊迫感に欠けるが、そこに突っかかるとまた話が脱線しそうなので止めておく。


「では、今から1時間後にこの近くで、青信号を横断中に交通事故で亡くなるご老人が居たとしたら? もしこの御仁がその時間、交差点を渡らない様に話しかけたらどうなるか、という質問であればどうでしょう。」


「事故には遭わない・・・、けれど、”現実”ではその方は亡くなっている訳ですよね。生き返る訳じゃない。」


「そうです。つまり、偽装と現実の間で乖離が生まれることになります。”偽装が剥がれる”とでも言いましょうか。私たちの目的はあくまで偽装を貫くことで完遂されるので、その時点でミッション失敗、というわけです。」


もし、そこに少しでも命を救える可能性があるのであれば、どれほどの希望が生まれるだろうか。実は少しでも可能性がある、なんて否定されることを期待しなかった訳じゃないがまあ、さすがに覚悟はしていた。していたはず、なのだが・・・。


「ちなみにその交差点はこの場所から南へおよそ300メートル、今からなら余裕で間に合う場所ですね。」


条件が具体的になることで、嫌な予感が走る。そういえば、この話に入ってからは”例えば”と言わなくなった。厄介なことに、この世界は冷や汗の再現まで完璧だ。


「例えば、・・・ですよね?」


「幸いなことに、例えば、の話です。」


冷や汗が安堵に変わる。赤の他人の例え話だというのに。


「このパターンでお話したくなかった理由、理解いただけた様ですね。世界が偽物だとしても、目の前で亡くなる方が居て、それを止める手段があるのに何もしない。あなたに出来ますか?」


あなたに出来ますか、か。こういう時は、新橋さんに、とは言わないんだな。


「正直、自信は無いですね。」


例え話ではなかった場合にどうするか、今は考えるのを止めて、上司に白旗を振る。


「まあご安心ください。よほどの事が無い限り、その様な場面には遭遇しないように、それとなくこちらで誘導しますので。」


「そりゃ頼もしいですね、ちょっと感動しましたよ、お気遣いありがとうございます。あ、三輪車の件、乗りましょうか?今なら勝てる気がしますよ。」


「それをしないように、という流れでしょう、今の話は。」


「重苦しい話をさせてしまったことへの、僕なりの誠意ですよ、誠意。」


やれやれ、といった具合に首を振り、少しだけ愛くるしいと思えるようになったマスコット上司の目から、似合わない真剣さが薄れていく。


「では話、戻しますね。つまり人の生死に関わることだけではなく、現実にあり得なかった事が起きてしまったと”世界”に認識されること、これを可能な限り避ける必要があります。そのためには、何事も目立たずにこなすことが肝要です。今回スタート地点として満員電車に放り込ませて頂いたのも、このためです。」


「そこはもう少し検討の余地が欲しかったんですがね。」


「仕方ないんですよ。何もないところに突然新橋さんが現れる、なんて世界にとって本来あり得ない事なんですから。なるべく互いに無関心かつ注意が反らされている集団に紛れ込ませる、というのが、現状の最善の選択なのです。お髭の配管工さんであれば、土管の中からにょきにょきしても自然なのでしょうが、残念ながら新橋さんがそれをやると、総理大臣ほどではないにしろ、バッチリ目立っちゃいますので。」


「キノコで巨大化出来ない身体を後悔したのは、短い人生とはいえ初めてですよ。」


一旦話に落ちをつけたところで、これまでの情報を整理する。


まず、今自分が体験しているのは、夜風が構築した擬似的な現実世界、これを制作者本人は偽装現実と呼んでいる。

その世界は、実際の過去を元に構築されているが、決して本物では無い。

故に、実際の過去との乖離が世界に認識されることで、偽装が剥がれる。


一方で、本物であるかのように偽装した世界ではあるため、偽装が剥がれる事無く、上手いこと人の記憶にのみ干渉することが出来れば、現実の人間の行動を操ることが出来る可能性がある。ということか。


この点はさらっと話していただけだが、認識が合っているという感触はある。となると、今回はその実験という位置づけか。


実験ために当面為すべき事は、この偽装現実世界に、怪しまれずに馴染むこと。さしあたって、この世界での生活基盤を整える必要がある。


あまり直視したくない結論にたどり着いたな。地道な作業はまだ続きそうだ。

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