第2話 転移

考えたことがある。異世界転生モノの小説やアニメは、転移先が海の上や壁の中だったらどうするのか、と。


今日、自分の想像力の無さを思い知らされた。飛ばされたく無い候補地、その筆頭に・・・急停車中の東西線がランクインした。


「停止信号です。ご迷惑をおかけし、大変申し訳ございません。」


流れる様なアナウンス。すっかり言い慣れているであろう、滑らかなお詫びが満員の会場にオンエアされる。


「どう、なってんだ、これは。」


「しずかに。今の台詞は急停車に文句を言っている様に見えるので、まあ問題ありませんが、あまりおかしな言動をすると目立ちますよ。」


脳に直接、ではない。右側から、それも耳元から聞き覚えのある声が聞こえる。


「ちょっと、こちらに振り向こうとしないでください。目立つような振る舞いはしないで。あとでちゃんと説明しますから。ひとまず黙って指示に従ってください。」


いろいろ文句を言いたいことはあるが、ここはひとまず指示に従おう。こちらとしても、満員電車の中で変人扱いされて喜ぶ様な趣味は、持ち合わせていない。


改めて周りを確認する。乗車率なんて単語を丸めて捨てたくなるほどの、密集。ただ立っているだけで味わえるこの圧迫感は、間違いなく午前8時の東西線だ。それも、まだコロナウィルス騒動が始まる前の。


これだけ人が集まっているのにも関わらず、マスクをしている人は少ない。そういえば2018年の10月と言っていたか。まさか、本当に?


「放り込んでおいてすみませんが、その電車に乗っている必要はありません。この後の説明も難しいので、折を見て降車してください。えっと・・・降りることは、出来そうですか?」


諦めと悲哀を込めて、首を横に振る。


「あ、そうでした。黙っていろと言っておきながら、答えを求めてしまいました。その上できちんと回答を示してくれるとは。良い感じです、新橋さん。」


どうやら上司の評価は上がった様だが、目下執行中のこの罰ゲーム、降りる手段はなさそうだ。結局、流れに任せて脱出に成功した頃には、日本橋駅に到着していた。


ホームの柵に背を預け、スマートフォンをスリープのまま耳に当て問いかける。


「それで、今新橋君はどこにいるんです?」


僕は、と言いそうになり思い直した。この方が通話中としては自然だろう。


「適応が早いですね。私としては、ここまで的確に働いていただけるのであれば、もう説明しなくても良いじゃないかなー、なんて思っているのですが。よいしょっと。」


先ほどから声が届いていた右肩口から何かが飛び立ち、目の前にミニチュアサイズの夜風が現れた。ただサイズが小さいというよりは、デフォルメされたちびキャラというか、なんだこれは。というか、どうやって浮いている。


「まずは目前の状況について説明をお願いします。こちらの理解にも限界がありますので。」


紙一重で事務的な口調を維持する。これ以上のサプライズがあれば、持ちこたえることが出来るかどうか。


「はい、こちらの夜風ちゃんはナビゲート用のアバターですね。わたしの意識は管制空間にありますが、音声以外、表情などの感情を伴うコミュニケーションを実現するために用意した、特性モジュールです。なんとなくお分かりかと思いますが、新橋さんにしか見えていませんし、カメラ等にも写りませんので、世間体には十分注意してくださいね。」


「ちょっとしたトラップですよね。それって必要だったんですか?」


「すぐには実感できないかもしれませんが、実はとても重要です。新橋さんは時間軸の外から介入している存在なので、本当の価値観を共有できる他者がいない、孤独な状態なのです。この孤独というのは結構難しくて、ある程度耐性を自覚している方にとっても、長期間さらされ続けるのは非常に危険なのですよ。」


それらしい説明の中に、聞き捨てならないワードがいくつか混ざっている。中でも・・・


「長期間?」


「はい、それはもうどっぷりと。」


「労働基準法って、改正されましたっけ。」


「その点は問題ないのですが、理解していただくにはまず、この世界について説明する必要がありますね。」


もうすでに自称悪魔との契約を後悔しつつあるが、事態が好転することを期待するのは難しそうだ。おとなしく説明を聞くことにした。


「まず、先頃お話しましたとおり、ここは2018年10月の日本です。ですが、タイムスリップした訳ではありません。この世界は現在、すなわち2022年4月時点における、世界の皆さんの記憶、そしてあらゆる媒体に記録された情報を元に構築されたある種の仮想空間です。」


「仮想、ってわりには随分とリアリティあふれる素敵な職場ですね。」


できれば満員電車の再現度はもう少し控えてもらいたかったところだ。


「そこはもう、技術的には私の幻覚操作をベースにしていますので。世界の構築にあたっても、主に通信分野のテクノロジーに術式を組み込み、世界中の人々の心理に干渉することで実現しています。技術の進歩って素晴らしいですね、半導体万歳っ。」


科学技術の発展というのは、幽霊悪魔や都市伝説といった類いのオカルトを駆逐していくモノだと思っていたが。まさか悪魔の側が使いこなしてくるとは。


「でも所長、いわゆるVR技術じゃ弊社のニーズには合わないのでは?」


ここが現実ではないというのであれば、転売屋に嫌がらせをしたところで意味が無いはずだ。


「良い質問ですね。さきほど”ある種の”仮想空間、と説明したことには気づきましたか?もう一度詳しくお話しましょう。」


「この世界は、人類の記憶・意識と、あらゆる媒体に記録された情報を元に、推論エンジンBETTERが過去の世界を再現、構築しています。」


「重要なのは、現在の人間の意識とリンクしているという点です。過去の世界を再現している訳ですが、世界には、これが実際の過去だと意識させている。言い換えると、偽装している状態なのです。」


「つまり仮想ではなく”偽装現実”、それがこの世界の正体です。この世界でターゲットの意識に介入し、現在の行いに反映させることが、今回のミッションとなります。」


「ちなみに現実の私たちの肉体がどうなっているかというと、何も起こっていません。というか、ほぼ時間の流れと切り離された状態ですね。帰ったら元のとおり午後9時ですので、浦島太郎にはならないことは保証します。ご安心を。」


一通り説明が終わった。およそ現実離れした話ではあるが、実際に現実を離れているのであれば、もはや仕方が無い。しかし、ここでどうしても確認しておかければならないことが、一つだけあった。


「つまり、労働基準法的には?」


「はい、長時間労働には当たらないですよね、現実では一瞬なので。」

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