這いつくばって。雨に降られていた。


「蟻みたいだ」


 こんなにビルが高いのに。自分は、地面に倒れていた。地上にいるのに、空に落ちていきそうな錯覚を覚える。

 ビル街。かなり高い。

 上を見る。


 どこへ行けばいいのかは、分からなかった。

 ゆっくりと、歩き出す。

 立ち上がって。


 どこかにぶつけたのかもしれない。頭の横のほうが、少しだけじわじわする。


 思い出せない。

 何も。


 自分の記憶が、なかった。


 水たまり。雨。濡れていなかった。服。


 なんか、自分のものではないような感覚がする。

 着ている服も。

 見覚えがなかった。

 水たまりに写る、自分の顔。


 水たまりができているから、きっと、さんざん降ったあと。傘を差さなくても歩ける程度。

 雨が降っている。


 水たまり。この、アスファルト。冷たいのは。


 ゆっくりと、起き上がる。


 それが、目覚めるきっかけだった。

 冷たい。


「よお。元気か?」


その言葉で。やさしい笑顔で。すべての記憶が、すぐに戻ってくる。


「なんでよ」


 ゆっくりと、起き上がった、彼の冷たい手だけが。


 頬に触れる。


「よかった。無事だな」


「私が生きてたら。ほら。完全犯罪じゃ、なくなる、から」


「そういう、後先考えないで、強引なところが。俺を飽きさせない。まさか死にに行くなんてな」


 水たまりだと思っていたものは。


 彼の血だった。雨と混ざって、にじむ。


「なんでよ」


「なんでって、そりゃあ、おまえ、先々のことを考えて、だよ」


 彼。


 それだけ言って。


 眼を閉じた。


 遠くで、青信号が。


 赤に変わった。







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