第10話 決戦の地へ 1
「炎」と呼ばれるあちらの世界は、別に一面火の海の地獄のような世界ではない。こちら側の「水」の世界と生態系こそ違えど、自然豊かな綺麗な世界である。
ただ、異形の鬼の存在だけが、あちらの世界を暗黒めいた場所だと、誤解させるのである。
***
ムサシは境界防衛隊始まって以来の天才だと云われている。剣術と魔法力がどちらも最上位レベルで備わっており、一人で戦況を覆すほどの戦闘力を有している。
ムサシの噂は国王の下にも届く。元々血の気の多かった王は、境界軍に少数精鋭による「炎」への威力偵察の敢行を命じた。その情報をもとに、こちらから逆に攻め込もうというのだ。
もちろん、界門山での小競り合いが、この先もずっと続くなんて保証はどこにもない。どこかでこの均衡が崩れる可能性は充分にある。
とはいえ、さすがのムサシでも状況の全くわからない「炎」への侵入を、自分一人、もしくは相棒のトリナと二人で行うにはリスクが高すぎる。
かといって今の境界軍には、少々腕が立つ者がいたとしても、ムサシの眼鏡に叶う者はいなかった。
境界軍の長官も、みすみすムサシを死地に追いやることなど出来はしない。王宮からの再三の催促に、矢面に立ってくれているのである。
しかし今日、とうとう均衡が破られた。
知らせを受けた長官はムサシを呼び出そうとするが、その前に当のムサシがトリナと共に長官室に現れた。
「ムサシ、大変なことになったぞ!」
長官は声を荒げた。最悪の事態とはこういう事をいうのだろう。
「知っている。現場にいたからな」
長官の態度とは真逆に、ムサシは落ち着き払っている。その態度に気付いた長官も徐々に落ち着きを取り戻す。
「なんだ?やけに落ち着いてるな」
「手札を手に入れたのは、向こうだけじゃないからな」
ムサシはニヤリと笑った。
「威力偵察なんて間怠っこしいのはヤメだ。一気に勝負に出る」
何のことかも分からず呆然とする長官に対し、ムサシは次々と指示をだす。
「建築士に大工に左官屋、とにかく人手がいる。可能な限り集めておいてくれ」
***
数日後、境界軍からの使者がサクラのもとに訪れた。発信人はムサシである。
表向きは高位の魔法力保持者へのスカウト制度を利用しており、優遇入隊となる。
手始めに、入隊するだけで報奨金が出る。それなりに高額である。次に、いきなり幹部職に就く。幹部手当も反映するため、お給料が一般入隊とは大きく異なる。エリート街道というヤツである。
ただしサクラは、実際には魔法スキルなど有していないため、ムサシの下に下士官として就く。手当が減るのは仕方がない。
サクラにとってこれ以上ない最高の話である。しかし美味い話には裏がある。今回の優遇入隊を受けるにあたって条件が提示された。
これから遂行される特殊任務に参加すること。任務期間は長期間が予想されること、である。
一瞬、残していく祖父母のことが気にかかったが、ここまで育ててくれた恩に報いるまたと無いチャンス。
サクラは意を決した。
「サクラや」
機先を制して、祖母が口を開く。
サクラが振り向くと、不意に抱きしめられた。
「サクラや、よくお聞き」
祖母の口調は、珍しく強い。
「あなたが、私たちに恩を感じて生きていることはよく分かっています」
祖母はサクラの肩を掴むとスッと離れた。今度はサクラの瞳を真っ直ぐに見据える。
「でもね、あなたが両親を失ったのと同時に、私たちも大切なひとり娘を亡くしているんですよ」
サクラはハッと息をのんだ。
「サクラ、あなたの存在がどれ程私たちに生きる希望を与えたことか」
祖母はサクラの頬にそっと触れる。
「サクラ、私たちはね、お互いに与え合ってここまで生きてきたのよ」
サクラの目から涙が溢れる。
「おばあちゃん」
「サクラ、あなたは自由に生きて良いのよ」
祖母は優しく微笑むと、もう一度サクラを抱きしめた。
サクラは気持ちがフッと楽になった気がした。
「サクラ、もう一度よく考えて。自分の気持ちに正直に」
祖母はそっとサクラを解放した。
サクラは頷くと涙を拭った。それから自分の両手を胸にあて、目を閉じて心の声に耳を傾ける。
「おばあちゃん。私、予感がするの」
サクラは目を開いた。
「何かは分からないけど、この先に私の大切な何かがきっとある!」
サクラの瞳が強い輝きを放つ。
祖母は笑顔で頷いた。
「あなたが決めたことなら、私たちは応援します。ここで帰りを待っていますよ」
***
入隊日当日。
界門山に向かう駅のホームでムサシが待っていた。隣にはトリナの姿もある。
「歓迎するぞ、サクラ!」
ムサシが握手を求めてくる。サクラは「ありがとうございます」と応え握手を受けた。
次にトリナが握手を求めてきた。
「よろしくね、サクラ。私は…」
「知ってます!」
またもや、サクラが口を挟んだ。
「退魔壁のトリナさま!」
トリナもまた、名の知れた存在である。
とはいえ、ムサシのような何でも出来るオールラウンダーとは違い、防御魔法に特化している。
金色に輝く彼女の魔法壁は、魔を遠のける効果が付与されている。守護対象に害意を持つ存在から気配すら隠して護ることが出来るのだ。
例え戦闘中でも、トリナが魔法壁を展開すると突然その存在が認識出来なくなり、相手が混乱する程の威力を持つ。
対して、攻撃魔法はお粗末なものである。
相手を傷付けることを極端に嫌う彼女の本能は、殺傷能力の高い効果を選択することが出来なかった。相手をただ吹き飛ばす程度の衝撃波を撃ち出すだけに留まる。
握手を受けたサクラの瞳が、キラキラと輝いてる。
「私のことも知ってくれていて、とても光栄だわ」
トリナは少し照れくさそうに、フフッと笑った。
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