第5話 噂の魔剣士 2

 卒業後、サクラは見事に入隊試験に落ちた。


 しばらく外出もせず、家の中ひとりで塞ぎ込んでいたのだが、ふと目にしたチラシで、近くの公園で蚤の市が開催されることを知る。


 いつまでもクヨクヨしていても始まらない。気分転換にはもってこいだ。サクラは足を運んでみようと決めた。


 今日はその日曜日。


 公園の中は人々の熱気で溢れている。売り手と買い手の値段交渉合戦。商品との思い出を熱く語る恰幅のよい男性。アレでもないコレでもないと商品を漁る女性。皆んな元気だ。


 サクラは会場を歩きまわりながら、掘り出し物でもないかと探していた。


 そんな中、ふとひとりの老人に目が止まる。白い髭に覆われた口元はニコニコしており、とても優しそうな印象を受ける。会場の一番隅っこに位置しており、そこだけまるで別世界であるかのような、静かな空気に包まれていた。


 サクラは吸い寄せられるように店の前に立った。


「いらっしゃい」


 老人が顔を上げた。


 置いてあったのは、黒い鍔に白い柄のとても綺麗な細工の施された一本の剣だけである。どことなく女性の横顔にも見えるその剣に、サクラは見覚えのあるような軽い既視感におそわれた。


「安くしとくよ」


 老人に値段を確認すると、あまりの安さにサクラは困惑した。安過ぎる。


 サクラの困惑に気付いた老人は、ポリポリと頰を掻きながら口を開いた。


「実はな、ナマクラなんじゃ。紙も切れん」


 この剣は、老人が子どもの頃にはもう家にあったと言う。父に尋ねても、いつからあるのか分からなかった。


 とても綺麗な剣であったので、ずっと飾ってきたのだが、今回この機会に出品することに決めたのだ。


「触ってみてもいい?」


 サクラはこの剣の持つ不思議な魅力から目が離せない。取り憑かれてしまったのだろうか。老人が頷くのを確認すると、サクラはしゃがみ込み剣に触れた。


 その瞬間、目の前にスッと人影が現れた。


「きゃっ!?」


 思わず手を引っ込めると、バランスを崩して後方に尻もちをついた。


「お嬢ちゃん、大丈夫か?」


 老人が心配したように手を差し伸べてくれた。サクラはその手をとり、体勢を起こす。


「大丈夫です。ありがとう」


 お尻の砂を払いながら返答する。


 しかし、今のは一体何だったのだろう?老人には見えなかったのだろうか。サクラは意を決して、もう一度剣に触れた。


(やっぱり、いる)


 赤茶色の短髪で、精悍な顔立ちをしている。全体的に細身だが肉付きが良い。服の上からでも引き締まった身体をしていることが分かる。目を閉じる青年の顔は安らかで、まるで眠っているように見えた。


 何処かで会ったことがあるような気がする。サクラは困惑した。幽霊にお知り合いはいない筈だが。


 老人に何の反応もない。やはり見えているのは、自分だけのようである。


 いわく付きであることは間違いない。しかしサクラは購入することに決めた。


 運命の出会いを感じたのである。


   ***


 その日を境に巷で奇妙な噂が広がりだす。白い狐の面を被った小柄な剣士の噂である。


 夜な夜な街中を巡っては、名のある剣士を次々と倒していく。夜のみに現れるため、月下剣士と呼ばれていた。


 不思議なことにこれまでに死者はひとりもいない。被害にあった剣士たちは皆、口を揃えてこう残す。


「奴の剣は全くのナマクラだ。しかし奴の素晴らしい実力に見惚れて、心が屈服するのだ」と。


 白い狐のお面と言うキーワードにサクラはギクリとしたことがある。子どもの頃に両親と一緒に行った夏祭りで購入したものだ。両親との想い出として、今も自室に飾ってある。


 更にはナマクラ刀を所持していたこと。


 しかしさすがに、それはない。サクラの実力はサクラが一番知っている。「自分ではない」とサクラは自分に言い聞かせていた。


 剣を購入してから、毎晩見る夢がある。剣の幽霊の夢である。こちらに何かを伝えようと必死なのだが、とにかく声が全く聞こえない。


 今日は初めてサクラの方から声の聞こえるところまで近付いてみようと思った。しかし距離は一向に縮まらない。サクラはグッと両足を踏ん張ると、一気に地面を蹴り、跳び上がった。同時に両腕を前に伸ばしながら、無意識に叫ぶ。


「ライセ!」


 瞬間、サクラの周りで何かが弾け、透明な破片が飛び散った。


 ハッと目が醒める。部屋中が妙に明るい。壁に立てかけている剣が光り輝いているのだ。


「やっと繋がったな」


 急に男の声がした。声の方向に顔を向けると、そこにいたのは剣の幽霊であった。その姿の向こう側が薄っすらと透けて見える。紛れも無い正真正銘の幽霊である。


「ライセ?」


「ああ、たぶん。そう呼ばれていた気がする」


 ライセは頷くと「ハハッ」と笑った。爽やかな笑顔である。サクラは思わず顔が赤くなった。


「そんな事よりも、お前大変だったんだぞ」


 ライセがグッと身を乗り出してきた。サクラは思わず布団を頭まで被って顔を隠した。それからゆっくりと顔半分だけ再び覗かす。


「何が?」


 ライセの話はこうである。


 自分から切り離されていた無意識が剣を暴走させていたこと。その剣の力により、夜な夜なサクラが街中を駆けずり回っていたこと。


 やはり月下剣士の正体はサクラであったのだ。


 サクラは顔面蒼白になった。気の遠くなる感覚に襲われる。


「でも、もう大丈夫だ。サクラのお陰で剣も力を取り戻せた。暴走も収束し、斬れ味も戻るはずだ」


 サクラはライセの言葉を最後まで聞くことが出来なかった。フッと目の前が真っ暗になり、気を失うように再び眠りについた。


   ***


 翌朝。


 ずーんと重い頭を無理矢理起こしながら、サクラはムクリと起き上がった。


 なんだか大変な夢を見ていた気がする。


 サッと寝巻を脱ぐと、少し考えたあと、しばらくサボっていた稽古着に手をかけた。


「おはよう、サクラ。朝稽古か?」


 声の方向に咄嗟に振り向く。


 剣の横に座りこんでいるライセが、笑顔でこちらに手を振っていた。昨日の夜のことはどうやら夢ではなかったらしい。


 サクラは自分が下着姿であることを思い出し、再び布団の中に潜り込んだ。そしてそこから顔だけ出して、ライセを睨みつける。


「見ないで!部屋から出てって」


「なんだよ、今さら」


 ライセはやれやれと腰をあげる。


「今さら?」言葉の意味を理解するとサクラは全身真っ赤になった。湯沸かし器のように頭から湯気がピーと噴き出す。


(いやー!夢なら醒めてよー!)


 サクラは三度みたび布団の中に潜り込んだ。

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