第2話 姫と姫の騎士 2
薄暗い地下水道を、姫の手を引きながら若い騎士が走っていく。時折頭の上から戦乱の音が伝わってくる。まだ先は長い、急がなくてはならない。
「ライセ。ごめんなさい、私…」
姫の悲痛な声が響いた。
ライセがハッと振り返ると、顔から血の気が失せ、今にも倒れそうな姫の姿がそこにあった。
「本当に…ごめんなさい」
普段から身体を鍛えているライセのペースに、ここまで付いてきたのだ。姫の体力が続く訳がない。それなのに自分の従者の不手際を責めるでもなく、自分が悪いと言う。ライセは猛反省した。
「少し休みましょう」
「でも」
申し訳なさそうな姫の表情に、ライセの心は傷んだ。確かにライセは焦っていた。一度にいろんなことが起こったのは事実。だけど、それは姫も同じ。自分の不手際の言い訳にはならない。
「大丈夫ですよ。ここまで来れば残りはもう少しです」
手頃な大きさの岩を見つけると、そこに腰掛けるよう、姫を誘導する。それから出発前に侍女に渡された水筒とチョコレートの包みをひとつ渡すと、自分も地面に座り込んだ。
「助かります」
ここでやっと、姫は安堵の表情を見せた。これ以上の無理はさせられない。歩みは遅くなるが仕方がない。
頭上から響く戦乱の音を聞きながら、ライセの脳裏に、残してきた人たちのことがふとよぎった。
(父さん、母さん、ドダイさん)
ライセの家は城門の程近い場所にある。母もうまく城内に逃げ込めていれば良いのだけど。
父はその城門の警護につくことが多い。今日もそうだろう。
敵は結界で辺境に閉じ込められていた異形の鬼。文献では、瘴気の門から現れる異界の生物とある。恐らく自衛軍では太刀打ち出来ない。
最終防衛ラインになるであろう城門の戦いが激戦になることは、容易に想像がつく。
ドダイは第一騎士の証である宝剣マージクイーンをライセに託し城に残った。第一騎士である自分が残れば、敵に姫の居場所を悟らせないように出来るかもしれない、と。
それでも承服出来ない表情を見せるライセに「本当の理由はな、わしは走るのが苦手なんだ」とガハハと笑い、激戦の予想される城門に行くと告げ、部屋を出て行った。
(そういえば、何故辺境の結界が破られたんだ?)
託された宝剣を無意識に握る。
どこか女性の横顔を連想させるような、綺麗な造りである。鍔は艶のある黒色で髪がなびいているようにも見える。柄は白色で眠っている女性の横顔に見えなくはない。マージクイーンと銘打つのだから、そういう意図もあるのだろう。
建国の時代から受け継がれている宝剣と言うのだが、問題点がひとつ。
「刀身がないんだ」
ドダイがガハハと笑い、託されたライセは唖然とした。試しに抜いてみると、確かに刀身がない。
「どういう経緯でこうなったのか、わしは何も知らん。しかしコイツが栄誉ある宝剣であることは間違いない。必ず姫をお護りするのだ」
(はい、ドダイさん)
ライセは目を閉じ、宝剣を握る手にギュッと力を込めた。
その時横で、姫の立ち上がる気配を感じた。ライセはそちらに顔を向ける。
「もう大丈夫です。出発しましょう」
ライセは注意深く姫の様子を伺う。確かに随分体調は回復しているようだ。無理は禁物だが、余裕がないのもまた事実。
「分かりました。出発しましょう」
***
地下水道の出口は、背の高い葦の原であった。少し屈めば余裕で隠れることが出来そうだ。
ライセは出口から外の気配を探る。どうやら敵の気配は感じない。
「行きます。身を低くしてついて来てください」
ライセの言葉に姫は黙って頷く。まだ日中で明るい屋外で身を隠すには、この葦はとても都合が良い。ふたりは慎重に、だが確実に進んでいった。
だがここで、ライセは重大な失敗に気付く。あまりに生き物の気配が無さすぎるのだ。
瞬間ライセは叫んだ。
「姫、戻って!何かがおかしい!」
同時に、ザッと草が鳴ると複数の影が現れた。既に囲まれている。五つの異形の鬼がそれぞれ弓を構えており、こちらを狙っている。
ライセはそっと腰の袋を確認する。こんなこともあろうかと、道中手頃な大きさの石飛礫を集めていたのだ。
(四つか)
その時茂みの向こうから男がひとり、ゆっくりと姿を現した。
「お待ちしていましたよ、姫」
現れたのは、あの日ライセの父と決勝を争った近衛騎士長であった。男はふたりの正面の鬼の横に立つと、勝ち誇ったような表情でこちらを見てきた。
「そなた、何故こんな所に?」
姫の視線は冷たい。
あの御前試合のあと、姫は手の者を使い、黒い噂の絶えなかった騎士長の情報を集め、証拠を集め、悪事を暴いたのだ。元騎士長に下された罰は、辺境への島流し。追放であった。
「姫へのご挨拶ですよ。いろいろとお世話になりましたので」
男は姫に最敬礼をする。それから何やら鬼に向かって指示を出した。
「まさか…」
ライセの声は怒りで震える。
「結界を破ったのは、お前か?」
「とても苦労はしましたがね。こんなに時間がかかってしまった」
男の姫に対する復讐心は、完全なる逆恨みである。それなのに、これだけのことを起こすこの男をライセは絶対に許せない。必ずこの場で斬ると決めた。
「お別れです」
男が右腕を上に挙げた。同時にライセが叫ぶ。
「姫!」
ライセの意図を瞬時に理解した姫は身を屈める。同時に包囲する四つの影が、鈍い音とともに崩れ落ちた。ライセの放った石飛礫だ。
残るは正面のみ、ライセは一気に間合いを詰める。放たれた矢を寸前で躱し、鬼を斜めに袈裟斬りにする。そのままの勢いで男の方に向き直ると、下から上に切り上げた。一刀両断である。
「馬鹿、な…」
元騎士長に剣を抜く暇さえ与えない一瞬の早業であった。
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