第51話:メイド、気を揉む

 その日の夜、私の執務室には我が王とアリシアの姿がありました。


 ミナリーの縁談話を知ってから、二日が経ちました。いえ、正確には気づけば二日が経っていたと言うべきでしょう。


 ミナリーの突然の縁談話は、彼女だけでなく私たちにも衝撃をもたらしたのです。


 ともすれば、この二日間で一番普段通りに仕事をしていたのがミナリーだったかもしれません。


 私たちはこの事態に、平静を保って居られなかったのでした。


「まさか、ミナリーの縁談相手がシルヴァだったなんてな……」


 我が王が漏らした感想に、私とアリシアは同意して頷きます。


 シルヴァ・シルベール。


 アルミナ大陸で主にシュテイン王国を拠点として活動するシルベール商会のホープ。


 商会頭目の息子であり、商人としての才能にも溢れる次期頭目筆頭候補。


 ……そして何より、彼はこの城の御用商人でもあるのです。


 つまりは、私たちの顔見知りなのでした。


「シルヴァって、あのシルヴァさんよね? いつもお城に来てる商人の」


「ええ。数週間前にあなたとミナリーで城下に買い物へ出た時のことを憶えていますか?」


「うっ……。あんまり思い出したくないけど、いちおうは」


「あの時、私があなたたちを買い物に送り出したのは、シルヴァがトラブルで城まで来れなくなってしまったからでした」


「それって確か、馬車が壊れたとかで商品を運べなくなったのよね?」


「その通りです。馬車が壊れて立ち往生していたところを助けたのが、ミナリーのお父上だったようですね。まさか、巡り巡ってこのような事態になるとは、あの時は思ってもいませんでしたが。……それにしても、少し意外でした。あのミナリーのことですから、てっきりこの縁談話にあっさり食いつくものかと思っていましたけれど」


 この二日間、ミナリーは何事もなかったかのように仕事を続けています。


 むしろこれまでより真面目に仕事をしているようにも見えるのは、たぶん相対的にそう見えているだけで、私たちが仕事に身が入ってない証拠でしょう。


 とにかく、ミナリーは縁談にすぐ応じませんでした。それがどうしても不思議なのです。


「まあ、ミナリーにとっても悪い話じゃないだろうな。お金に関しちゃシルヴァは文句の付けようがないし、将来も安泰だ。歳も俺の一つ下だから、ミナリーとも近い」


「加えて、容姿も悪くありませんね。小柄で弱弱しい所もありますが、顔立ちは端正ですし、物腰も紳士的です。武芸にも秀でているとも聞いています」


 むしろシルヴァにミナリーは勿体ないような気さえしてくるほどです……。


 いったいどうやって、ミナリーのお父上はシルヴァに縁談を持ちかけたのでしょう。


「……ミナリー、本当に結婚しちゃうのかしら」


「この二日間、何も言ってこないということは、まだ決めかねているのでしょう。手紙には師の月の五日までに戻って来るよう書かれていたそうですが、もう三日しかありません。縁談が嫌ならば帰らないつもりかもしれませんね」


 シルベール商会と我々との関係を考えると、できればあまり失礼な真似はして欲しくありませんけれど。


 私たちまで、シルヴァと顔を合わせ辛くなってしまいます。


「でも、結婚したら、ミナリーはこのお城からは出て行っちゃうのよね……?」


 ……私が黙って頷くと、アリシアは俯いてしまいました。


 商人の妻となりながら、このままこの城で働き続けると言うのは、やはり無理のあることでしょう。


 ミナリーがシルヴァと結婚すれば、彼女がこの城から去ることは免れないことです。


 アリシアにとって、ミナリーは初めてと言っても良い友人でした。


 ミナリーが働き始めてからアリシアは明るくなり、毎日をとても楽しそうに過ごして居ます。


 本来ならミナリーの縁談話にさほど関係のない私が、これほどまでに気を揉んでいるのはこのためです。


 シルベール商会との関係も重要ですが、何よりもアリシアのことが心配でした。


 このままミナリーが城を去ってしまえば、アリシアはとても悲しんでしまいます。


 ……だからと言って、私からミナリーに結婚するなとは言えません。


 ましてやアリシアが悲しむからなどという理由では。


 この縁談話はミナリーの一生を左右するのですから。


 彼女が考え、彼女が決めなければならないのです。


 執務室には、重苦しい雰囲気が流れていました。


 その中で次に口を開いたのは我が王でした。


 座っていたソファから立ち上がり、言います。


「考えるのはもう止めだ。俺たちがどんなに悩んだって、決めるのはミナリーだしな。ここでこうしているだけ、時間の無駄でしかない」


 我が王はそう言い放つと、同意を求めるように私とアリシアへ視線を投げかけました。


「そ、それはそうだけどっ!」


「アリシア。王の判断に口答えしますか」


「……っ! ……ごめんなさい」


 私の注意に、アリシアはシュンと項垂れてしまいました。


 そんな彼女の頭を、我が王は優しくポンポンと二度触れて、扉の方へと歩んでいきます。


「我が王、どちらへ?」


「少し夜風に当たって来るだけだ。アリスはアリシアについててやってくれ」


 そう言い残して、我が王は執務室の外へと去って行ったのでした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る