第44話:メイド、屈する
時計の短針が十二を指そうとしている頃、執務室で明日の仕事の準備をしていた私は、扉の向こうに誰かの気配を感じていました。
こんな時間に、いったい誰でしょうか。
巡回の兵がこの時間に部屋の前を通ることはありませんし、我が王とアリシアは二人ともとっくに寝床へ入っているはずです。
だとすれば、ただ働きをさせているミナリーがまた文句を言いに来たという可能性もありますけれど…………部屋の中へ入って来る気配はありません。鍵は開いているのですが。
不審に思っていると、気配は扉から遠ざかって行きました。
何だったのでしょうか?
いちおう廊下に出て姿を確かめようとして、扉と床の隙間に封筒が挟まっていることに気が付きました。
封筒に書かれている差出人の名はミナリー。
中の紙にはこうありました。
『暴虐のアリスへ。王様とアリシアは預かった。返して欲しかったら、一人で中庭まで来るように。追伸:アリスのばぁーかばぁーか』
…………これは間違いなく、ミナリーが書いたものでしょう。
どこで字を習ったのか、無駄に綺麗な筆跡は間違いなくミナリーのもので、それ以前にこのようなふざけた手紙を私に送りつけて来る者の心当たりが彼女にしかありません。
どうやらよほど怒られたいようですね…………。
私は執務室を後にして、ゆっくりとした足取りで中庭へと向かいました。
我が王やアリシアを本当に人質に取っているとは考えにくいですが……。
中庭に着くと、その中央にミナリーが腕を組んで仁王立ちしていました。
「待っていたよ、アリス!」
「これは何の冗談ですか、ミナリー?」
ミナリーの他にもう一人。姿は見えませんが、気配は感じます。
それも、強烈な殺気をまとう者の気配です。
ただの冗談や悪戯では、済みそうもありません。
「よもや、この期に及んでまだ我が王の暗殺を諦めていないのではないですよね?」
「くけけっ! さすがアリスだね」
「あなたはっ!」
「動かないで! 動いたら、アリシアが殺されるよ」
「――ッ!!」
踏み出そうとしていた足を止め、ミナリーの視線の先を追います。
そこには、紺色のローブに身を包んだ何者かの姿。
その足元で全身を縛られて転がっているのは、アリシアと我が王でした。
アリシアは気を失っているのか身動ぎ一つしていませんが、我が王は意識があるらしく、ジッと黙って私を見つめています。
……紺色のローブ。
ミナリーが言っていた、我が王を暗殺しようとした首謀者。
足取りを追っていましたが、まさか自分から姿を見せるなんて、想定していませんでした。
『久しいのぉ、アリス・アリアス』
「久しい……? あなたのような不審者と知り合いになった覚えはありません」
『ひひひっ。相変わらず、生意気なことを言いおる小娘じゃなっ! 儂の顔を忘れたとは言わせんぞっ!!』
その者は被っていたフードを脱ぎその素顔を表しました。
月明かりに照らされたのは目元が窪んだ短髪の男。
声のイメージからは、じゃっかん若くも見えます。……ですが、
「…………どちら様でしたか?」
「なん、じゃと……!?」
記憶力が良い方だと自称している私ですが、男の顔に見覚えはありませんでした。
「儂を忘れたと言うのか、小娘ぇ!? この儂を料理人の職から追放し、あまつさえ極秘裏に集めていた儂のワインコレクションを勝手に売り払っておきながらぁ!?」
「あー……」
言われてみれば、解雇した料理人の内の一人に酷く猫背で魔術に精通していた者が居たような気も。
ワインの件についても、思い当たることがあるような、ないような……?
「もう良いわっ! ひっひひ、ひひひひひっ!! 長い年月の間に薄まっておった怒りがまた沸々と湧きあがって来よったわ! アリス・アリアスッ!! 貴様の目の前でシュード・シュテインを殺しっ、貴様とその妹には地獄の苦しみを味あわせてくれるわぁっ!!」
「それを許すと思っているのですか?」
「もう遅いっ!!」
「――っ!?」
足元で輝く魔方陣に気づいたのは、手遅れになった後でした。
地面を突き破るようにして、地中から現れたのはざらざらとした幾本もの触手。
それが私の両手両足に絡みつき、体の自由を完全に奪ったのです。
「どうじゃ、儂の触手は!? いくら貴様とて、そう易々とは逃れられまいっ!?」
「くっ……」
完全に油断していました。
男の言うように触手からは簡単に逃れられそうにありません。
しかし、男も魔方陣の維持に必死なのか、我が王とアリシアを放置して、大粒の汗を流しながらこちらに近寄って来ます。
これで少なくとも、我が王とアリシアは――
「シュードを殺せぇ、村娘ぇっ!!」
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