第35話:メイド、疲れる

 このところ、仕事に追われる日々がずっと続いていました。


 隣国の王族の結婚式に出席していたことによる仕事の遅れに、タイミング悪く様々な事柄が重なってしまったのです。


 今日も昨夜から一睡もせずに書類整理を行っていましたが、進捗は芳しくありませんでした。


 午後からは城下の視察を控えており、それまでには何とか終わらせたいものですが、机の上に山積みとなった書類の束を見るに、それも難しそうですね……。



「…………っぅ」


 頭に鈍い痛みを感じ、仕事を中断してしまいます。


 疲れが溜まっているせいでしょうか。


 この頭痛のせいかボーっとしてしまい、思うように仕事が進まないのです。


 ですが、休むわけにもいきません。


 私の仕事の遅れは、国の発展に大きな影響を及ぼしてしまいます。


 この国の運営が安定したものになるまで、私は休むわけにいかないのです。


 シュテイン王国のため、しいては我が王のために頑張ろう。


 そう気合を入れ、改めて机に向かおうとしたその時でした。


 執務室の扉が、コンコンコンとノックされます。


「アリス、俺だ。入っていいか?」


「わ、我が王!? は、はい。どうぞ、散らかっていますが……っ!」


 執務室の中には書類や仕事に必要な物が乱雑に放置されています。


 部屋の外で待たせるわけにもいかず、そのような部屋に我が王を招き入れてしまうなんて、何たる不覚。


「……悪いな、こんなに仕事を押し付けて」


 部屋の中に足を踏み入れた我が王は部屋の中を見渡した後、申し訳なさそうにそう言いました。


 主にそのような気遣いをさせてしまったことに、自責の念が湧きあがってきます。


「これはっ! 私が好きでやっていることなので……。我が王は何も悪くありませんっ!」


「良い悪いの問題じゃないさ、アリス。働き過ぎだ。少し、顔色も悪いな……」


「そんなことっ……。これくらい、何ともありませんっ!」



「いや、今日はもう休むんだ。仕事の方は俺がある程度、片づけておくから」


「しかしっ!」


「国王命令だ。適度に休め。無茶をされてアリスに何かあったら、その時こそ国が傾きかねない。休むのも仕事の内だ」


「…………っ」


 我が王はそれだけ言うと、整理前の書類の束を持って執務室を去って行きました。


 我が王に……使えるべき主に、仕事を押し付けてしまうなんて。


 込み上げてくる不甲斐なさと自分自身への憤り。


 その気持ちのやり場に選んだのは、やはり仕事でした。


 休むように言われてしまいましたが、なおのこと休むわけにはいきません。


 我が王に仕事を押し付けてしまったのに、どうして私が休めるというのでしょう。


 頭を苛む痛みと体の不調と戦いながら机に向かい続けること数時間。


 机の上にあった書類は何とか残りあと少しとなって、午後からの城下視察の時間が迫りつつありました。


 時間的にも、一旦書類整理を切り上げるしかありませんね……。


 そう思って立ち上がろうとしたその時、


「っう……!?」


 今までにない頭の痛みと共に、足に力が入らずよろめいてしまいました。


 何とか机に手をついて転倒は免れましたが、体が泥の中に沈んでしまったように重く感じます。


 空腹時のような胃の不快感。


 しかし、食べ物を欲しているという感じではありません。


 その代り、喉が酷く渇いていました。


 視察の前に、水を飲みに厨房へ向かいましょう……。


 ふらつく足取りの中、壁に手を伝いながら厨房を目指します。


 壁に頬やおでこをくっつけると、ひんやりと心地の良い冷たさが感じられました。


 このような姿を誰かに見られたら心配されてしまうでしょうが、気持ち良くてなかなか壁から離れられません。


 やがて、幸いにも誰とも遭遇せずに厨房へ辿り着くことができました。


 ……しかし、厨房の中に人の姿がありました。


 椅子に座って作業台に突っ伏しながら、気だるげにクッキーをつまんでいるミナリーです。


 今は仕事中のはずですが、またサボった挙句、勝手にクッキーまで作っていたのでしょう。


「何を、やっているのですか……、ミナリー……?」


「うげぇっ!? あ、アリス! 今日は城下の視察があったんじゃ!?」


「視察前に……、水を、飲みに来た……のです」


「うわぁ、タイミング最悪だなぁ。…………って、あれ? どうしたの、アリス? 顔色が悪いし、呼吸も荒いみたいだけど」


「いえ、この、ていど…………っ」


 ミナリーを叱らなければいけないのに、これ以降の言葉が出て来てくれませんでした。


 頭がガンガンと痛み、まるで船の上に立っているように視界が揺れています。


 そして、不意に胃から込み上げてきた不快感に、私は口元を押さえ思わずその場に座り込んでしまいました。


「アリスっ!?」


 ミナリーが駆け寄って来る足音が聞こえます。


 彼女に惨めな姿を見せるわけにはいきません。


 喉元まで上がってきたそれを何とか飲み込み、けれど、それが限界でした。


 もはや座っていることすら出来ず、私は冷たい厨房の床に、倒れ込んでしまったのです。

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