第29話:メイド、悲しむ
『アリスお姉たまぁ~!』
ふと、夢の中に現れたのは幼き日の妹でした。
手と顔を泥だらけにしながら駆け寄って来た彼女は、手の中にある土の塊を私に見せてきます。
『おだんご作ったぁ! お姉たまにあげるぅ~!』
アリシアの手の中にあったのはお団子と言うよりも排泄物に近い形をしていましたが、私はそれを彼女から大切に受け取りました。
妹からのプレゼントなのですから当然です。
――ありがとう、アリシア。
『えへへ~』
優しく頭を撫でてあげると、アリシアは気持ちよさそうに目を細めて笑いました。
その笑みはまるで天使のように柔らかく、そして何よりも私の心を温めてくれるものでした。
けれど、次第にアリシアの姿が変わり始めます。
幼かった顔立ちはやや大人びたものに。
低かった身長も、私と数センチしか変わらぬほどに。
天使の笑顔はその輝きを潜め、アリシアはその表情を厳しいものに変えたのです。
『気安く触らないでよ、お姉さま』
――あ、アリシア?
頭に乗っかっていた私の手を弾き払って、アリシアは私に背を向けました。
そして、駆けだしていきます。
その先に居るのは、ふふんっ、とドヤ顔で勝ち誇った笑みを浮かべるミナリーでした。
アリシアはミナリーの元へ行こうとしているのです。
――待って、待ってください! アリシアっ!!
私の制止の声に、アリシアは立ち止ります。
そうして振り返った彼女は、幼き日の天使のような笑みとはまるで似つかない、冷酷な笑みを浮かべて、
『お姉さまなんて大っ嫌い』
その一言をきっかけにして、私の足元は轟音を立てながら崩れ落ちたのでした。
我ながら恐ろしい悪夢を見てしまいました。
ここ最近の徹夜続きで疲れが溜まっていたせいでしょうか。
久し振りのまとまった睡眠があのような悪夢とは……。
まったく、悪夢だけあって現実離れしすぎています。
確かにアリシアももう十六ですから、昔のように私に甘えて来ることはなくなりましたけれど、決して姉妹仲が悪いというわけではなく。
ましてやあの子が私のことを大嫌いだなんて、ありえません。
なんてことを考えながら廊下を歩いていると、前方からアリシアがやってきました。
重たそうな壺を抱えフラフラとした足取りで歩く彼女は、いつ倒れてもおかしくありません。
そう言えば、前にアリシアの割った壺の代わりを注文していたのでしたか。
「一人で大丈夫ですか、アリシア?」
「お、お姉さまっ!? あ、とととと!?」
壺を抱える彼女には私の姿が見えていなかったのでしょう。
驚いた拍子に壺を落としそうになったので、慌てて駆け寄り支えます。
「まったく、言った傍から……。仕方がありませんね、私も一緒に――」
「だ、大丈夫よっ! これくらいっ!」
アリシアはまるで私を拒むように、壺を抱えたまま一歩下がりました。
「お姉さまにはお姉さまの仕事があるんでしょっ!? あ、あたしは大丈夫だからっ!」
そう言ってアリシアは再び歩きはじめます。
それから数歩もせず――びたんっ! と、アリシアは自分の足に躓いてすっ転んでしまいました。
「あ、アリシアっ!?」
幸いにも壺が割れることはありませんでしたが、アリシアは倒れたまま中々起き上がろうとしません。
心配になって駆け寄ると、彼女はうつ伏せで耳の先を赤くしていました。
「怪我はありませんか、アリシア!? ……もうっ、だから一緒に運ぶと言ったのです。昔からおっちょこちょいなのですから、あなたは。ほら、立てますか?」
倒れたままのアリシアに駆け寄り、手を差し伸べます。ようやく体を起き上がらせたアリシアは顔を真っ赤にして――パチンッ……と。
私の手を、払いのけました。
「……一人で大丈夫って、言ったじゃない」
「ええ。ですが、現に一人ですっ転んで……」
「一人で大丈夫って言ってるじゃないっ!!」
「――っ」
アリシアは顔を真っ赤にしながら、声を荒らげました。彼女にそうまでさせて、やっと気づきます。
紅潮した顔。
その瞳に、涙が浮かんでいることに。
「……あたしはもう、お姉さまに頼りたくない! だから! もう放っておいてよっ!!」
「そんなことっ……」
出来るはずがありません。だってアリシアは、私にとって大切な――
「お姉さまなんて、大っ嫌らい……っ」
「…………ッッッ!!!!!!」
その一言は。悪夢よりも強烈な一言は。
私の頭を真っ白にして、その後数時間の記憶を失わせたのでした。
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