第185話 「好き」と「好き」 (16)
「あの、春海さん……」
「どうしたの?」
憂いが消えたと安堵したものの、どうやらまだ続きがあるらしい。歩が何度か躊躇っていた後ようやく口を開いた。
「私は……あなたの重荷になっていませんか?」
「おもに?」
問われた意味が分からずに聞き返すと、声を出さないまま歩が頷く。
「私、言われなければ何も知らないままで…………春海さんばかりにたくさん気遣ってもらってて。
だから、本当に迷惑だったら言って欲しいです」
平静を装ったつもりなのだろうが、必死さを隠すようその声は震えている。絶対に涙は見せまいとしているのだろう、顔を歪めながらも笑顔を作る姿が痛々しくて返事に詰まる。
──そうよね
自分の気遣いは今までの実体験を元にしたものだが、先回りの優しさは歩にとって負い目や引け目にしかならないのだろう。歩と知り合ってから似たような質問を受けた気がするが、自分はその都度どう答えていただろう。
否定を口にするのは簡単だ。
ただ、それではきっと何も解決しないのかもしれない。
「面倒といえば面倒かな」
「!」
「だけど、あたしはその面倒さが嫌じゃないわよ」
分かり易く真っ青になった歩の両手を包み込んでその目を見つめる。
「ねぇ、歩。
あたしたち両想いだけど、歩とあたしの『好き』の形はきっと全然違うわ」
今にも泣き出しそうな表情の歩はどんな気持ちで自分の言葉を聞いているのだろう。
「歩の『好き』は純粋で真っ直ぐで、献身的な気持ち。あたしの『好き』は歩よりずっと現実的で生々しくて、利己的なもの。
だから付き合っても上手くいかない事があるのは当たり前よね」
「……」
反論するつもりだったのか僅かに開いた口が閉じ、続きを促すようこくりと頷いた。
「だからこそ、言いにくい事でも話をして分かり合っていきたいの。あたしは歩とならお互いの『好き』を大切に出来て、ずっと寄り添っていけるって思ってる。
面倒さが嫌じゃないってのはそういう意味」
「……分かりました」
──あたしってほんと面倒臭いヤツだなぁ
偉そうにあれこれ御託を並べる自分につくづく嫌気が差す。前振りなんてどうでも良いから、さっさと本題に移れよともう一人の自分が心の中でずっとせっついている。
「だから、」
そんなきらきらした目で見ないで欲しい。屁理屈をこねて、それらしい理論を述べて、最後は神頼みすら画策して。
幾重にも予防線を張らないとこの一歩は踏み出せないくらい自分は情けない人間なのだから。
「つまり、一番大切なのは」
──今日こそはちゃんと伝えるって決めたじゃない。
言え! あたし
じわじわと熱くなる顔を自覚しながら、腹の底に力を込めて息を吸う。
「重荷だとかそんなの関係無いって思えるくらい……あたしは歩が好きだってこと」
一瞬、周りから音が消えたような気がした。
5秒か、30秒か、はたまたもっと長かったのか、短かったのか
窓から聞こえる小さな波の音が二人の間に割って入るようゆっくりと時間を動かしていく。
やがて瞬きすら止まっていた目から静かに涙が流れ落ちた。
「……?」
落ちた滴が腕を濡らし、そこで涙を流す自分に気づいたらしい歩が慌てて頬を押さえる。
「え? あ、ち、違いますっ! あの、決して、春海さんを信じてなかった訳じゃありませんから!」
「分かってる。
……今まで言えなくてごめん」
「っ、春海さん!!」
抱きついてきた歩をしっかりと抱きしめる。感極まるというより、不安から解放されたように震える背中を擦りながら己の不甲斐なさを心底呪う。
「は、春海さんが私を、好きで、いてくれるって、ちゃんと分かってるんですっ……で、でも、私ばかり、気持ちを押しつけたら、迷惑かもって、もし、それで、嫌われたらどうしようって……」
「うん」
好きだと言ったのも、付き合って欲しいと告げたのも歩からで、自分は一度だってきちんと言葉にしたことは無かった。好意を口にするのが苦手な故に行為で示していたものの、歩からすれば『付き合ってもらってる』という感覚は抜けなかっただろうし、『嫌われるかもしれない』という不安を常に抱えながら過ごす時間は辛いものだと分かっていたのに。
肩に預ける頭を片手で優しく撫でながら、耳元に顔を寄せる。
「遅くなってごめんね、歩」
駆け引きやプライドが邪魔をして、告白される立場ばかりを選ぶようになって──いつから素直に好きと言えなくなったのだろう。
腕の中の年下の彼女の方が何倍も勇気があって誠実で、ようやくその彼女に少しでも近づけただろうかと頭の片隅で考える。
「全然、遅くないですから」
ぐしぐしと乱暴に拭った目元を綻ばせて歩が顔を上げた。
「私も春海さんが好きです。
伝えてくれてありがとうございます」
「ん」
あまりにも真っ直ぐな表情と言葉が眩しくて可愛げのない返事になったものの「もしかして、照れてます?」と指摘されて、ますます何も言えなくなる。
「春海さん」
「……何?」
「大好きです」
「……もう言わないわよ」
「私が伝えるのは構わないですか?」
「……言った数だけキスするけど?」
「ふふ、楽しみにしてます」
「……そこは言うところでしょう」
いつしか窓の外では太陽が海をオレンジ色へと変えている。小さく笑い合う声が止むと、二人の影が静かに重なった。
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