第184話 「好き」と「好き」 (15)
貝殻細工を扱う雑貨屋を出た頃には、日差しの勢いが随分と和らいでいた。長い海岸線を進みながら先程の感想をあれこれと話していた歩だがナビが指示を出す度に言葉少なになり、今は無言で窓の外へと視線を向けている。
「歩」
「、はい!」
「疲れてない?」
「いえっ」
ぴんと伸ばした背筋のまま答えた歩が居心地悪そうに座り直す。いつになく受け答えに過剰に反応するのはこれから向かう先が今日宿泊するホテルだからだろう。
──さては光ちゃんに何か言われたのかしら
思いつく心当たりに内心苦笑いを浮かべながらもそんな歩の変化を指摘することなく、やがて車は海辺にそびえる大きな建物へと向かっていった。
◇
「すごーい!
歩、見て見て!」
ドアを開けた光景に思わず歓声を上げる。室内の中央には重量感のあるソファとローテーブル、その奥には大きなバルコニーがあり、ガラス越しにカウチが二つ並んでいる。控えめな照明に照らされているどの家具も落ち着いた色合いで、何よりも目の前には青い海がこれでもかと広がっており『非日常』というフレーズがぴたりと似合う。
「少し狭いけど、思ったより素敵な部屋ね」
キャリーバッグを置いて早速部屋を探索する春海とは対照的に歩はその場から動かない。
「歩、さっきから静かだけどどこか具合悪い?」
「い、いえ、その、あまりにもおしゃれな場所で……ほんとにここに泊まるのかなって」
「あ~、もちろん」
折角歩と泊まるならと自腹でこっそりワンランク上のプランにしたことを気づかれたかと一瞬焦るものの、ガチガチに固まったその表情からきっと原因は別のことだろう。
「歩、おいで」
ちょいちょいと手招きして歩を呼ぶと、革張りのソファにぎくしゃくと近づいた歩が距離を開けて浅く腰掛けた。
──そんなに怖がらなくても良いのに
泊まりこそないものの二人きりで過ごす夜など今更だし、そもそも自分の部屋にあるベッドくらい見慣れているはずだ。今まで性的な対象として意識してなかった歩の変化はくすぐったいものの、二人で楽しむ為の旅行に余計な水は差したくない。
「すいません…………あの、緊張してて」
どうやら普段とは違うという自覚をしているらしい歩が先手を打って謝ってきた。
「何に緊張してるの?」
「そ……それは……」
視線をさまよわせながらようやく歩が口を開く。
「…………春海さんがネイルを辞めたのは、私のせいかもしれないと思ってたんです」
想定外の切り返しに思わず吹き出しそうになった。直接的な単語を使わない初心な言い回しと『自分のせい』にする卑屈さがいかにも歩らしい。
自分が望めば恐らく歩は断らないだろう。
それはひとえに歩が自分を好きだから。
──あ~、もう!
この子ったらどれだけあたしのこと好きなのよ!
今すぐ抱きしめたい衝動に駆られるも逆効果だと何とか理性で押さえ込んだ。それでも完璧には隠せなかったらしく、歩が不思議そうに見つめている。
「歩はあたしとセックスしたいと思ってる?」
「!?」
歩が返事に困ったよう俯くのを見て、直球過ぎた質問に気がつく。
「あ、そっか、言い辛いわよね。
ええとね、あたしは今のところそういう事は望んでないかな」
目を丸くした歩に笑って部屋の一角に二つ並んだベッドを指さした。
「そのつもりでベッドも別々にしたんだし」
「でも、」
「でも?」
その先の言葉を飲み込んだ歩を促した。先回りするのは簡単だが、言い辛い話題だからこそ自分から伝えて欲しい。
「その…………付き合ってたらそういう事するのは普通ですよね?」
「そうかもしれないわね。
だから歩もしたい?」
「…………分からないんです」
俯いた顔を上げて弱々しく歩が続ける。
「春海さんの事は誰よりも好きなんです。本当なんです!」
「うん。続けて」
「でも、その、私が怖いのもそうなんですけど、春海さんのそういう姿を想像するのは凄く抵抗あるっていうか、失礼な気がして、だけど、それじゃいけないって思うと……どうすれば良いのか」
「どうしてそれじゃいけないって思うの?」
不安げな歩の両手を取ると緩く繋ぐ。
「無理して普通に合わせる必要なんてないわ。
あのね、心の繋がらないセックスなんて空しいだけよ。あたしは歩にそんな体験をして欲しくないし、するつもりもない」
「……」
「それに、気を悪くするかもしれないけどそもそも歩からそんな雰囲気なんて感じたこと無かったもの。
だから、安心してって言うのも変だけど、ちゃんと旅行を楽しもう?」
軽いキスで頬を染める歩はいつもそれだけで満足そうに離れていく。その先を望まないのは付き合う事自体が初めてなためか、もしくはセックス自体を望んでないからだろう。
「……春海さんはしたいと思ってるんですか?」
「そうねぇ」
繋いだままの指先を見ながら顔を赤らめた歩に笑って頬を掻いた。
「望まないって言えば嘘になると思う。でも正直言うと、あたしも少しだけ怖いの」
好きな人と繋がる行為は身体だけでなく心も満たされる。経験上それを知っているからこそ触れ合いたいという欲求が無いとは言えない。ただ、光には大見得を切ったものの、歩に対して性的な感情を抱いているかと言えば素直に頷けなくて、それが不安でもある。
それでも、『怖い』という言葉をその通りに受け取った歩からは明らかな安堵が感じられ、自然と笑みが浮かんだ。
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