第176話 「好き」と「好き」 (7)
「光さんが待ってるわよ」と春海に促されて部屋に戻ると、スマホを片手にごろんと寝そべっていた光が顔を上げた。
「お帰りー」
「ただいま」
「ちゃんとハルミさん見送ってきた?」
「うん」
「ちゃんと話もしてきた?」
「してきた」
「ちゃんとさよならのチューしてきた?」
「っ!?」
思わず答えそうになった口を慌てて閉じると、頬杖をついた光がニヤニヤと笑う。
「へぇ」
「何も言ってないでしょう!」
ようやく引いた頬の熱が再びぶり返してしまわないようわざとせかせか動き回る。そんな姉の姿を生温かい視線で見ていた光が充電器をコンセントに差しながら「よっこらしょ」と身体を起こした。
「あゆちゃんお腹空いたー
ご飯どうする?」
「あ、そうだね。
今から作るから十分くらい待てる?」
「そんなに早く作れるの?」
「買い出ししてたから材料はあるの」
手を洗ってから春海に振る舞うつもりだった下拵え済みの食材を取り出す。スライスしたきゅうりとトマト、レタスにかいわれ大根を等分すると冷やしておいたうどんと共に器に盛る。以前買ったきざみのりを探して食器棚を漁っていると、手持ち無沙汰な声が聞こえてきた。
「ねぇ、ハルミさんから貰った袋開けて良い?」
返事を待つより早くがさがさと音をたてた光が「おおっ!」と歓声を上げた。
「果物がいっぱい入ってる!
これ、あゆちゃんと食べるつもりだったんでしょう?」
「あ、多分。
仕事場で西瓜を貰ったから……」
「だからフルーツポンチだったのかぁ。
なんかタイミング悪かったね」
光の申し訳なさそうな声に「春海さんとはまた約束してるから良いよ」と笑い返す。
「ほら、ご飯出来たから運ぶの手伝って」
二人分の器を盛り付け終えた歩の後ろからのぞきこんだ光が目を輝かせた。
「わ! マジうまそ。
サラダうどん?」
「そう。暑いからあっさりしたのが良いかなって。
光、卵要る?」
「要らない。
あ、でもわさびは欲しい」
「ごめん、わさびは買ってない」
「ま、いっか」と冷蔵庫を閉めた光が待ちきれないとばかりにテーブルに戻り、歩が座ると共に手を合わせる。
「いただきまーす」
「いただきます」
もりもりと食べていく光のペースにもう少しうどんの量を増やすべきだったかと思いながら箸を動かしていった。
◇
退屈な講義や個性の強い教授の話、新しく出来た友人にアパートの隣人の生活音など何かと語りたがる光のおかげで賑やかだった時間はあっという間に過ぎて、久しぶりに遅めの就寝となってしまった。まだまだ話足りないとばかりの光に声をかけて電灯の紐を引っ張ると、タオルケットを手繰り寄せて横たわる。
「あゆちゃん、一緒に寝れば良いのに。
畳の上って痛くない?」
「平気」
「そんな強がらなくても良いじゃん」
「強がりとかじゃなくて、二人で一つの布団に寝るなんて暑いだけでしょう」
「そんなこと言って、ハルミさんとは一緒に寝てるくせに」
「ううん」
「またまたぁ」
布団の上でスマホを弄りつつ明らかに信じてないといった光に「本当だから」と念押しすると、光がぽかんと口を開ける。
「え、付き合ってるのにお泊まりとかしてないの?」
「してないよ」
「だって食器もちゃんと二人分あったじゃん」
「あ、あれは最近買ったばかりなの」
「ふーん」
予想外の鋭い指摘に怯みながら話を終わらせるように目を閉じる。しばらくしてそっと隣をうかがうも、スマホに目を落としている光が眠る気配はなさそうだ。どうやらメッセージのやりとりをしているらしく、淡い光に照らされた横顔は今まで見たことのないくらい優しい表情を浮かべていて、思わずまじまじと見つめてしまった。
「どしたの?」
「あ……ううん。
彼氏?」
「そ」
にかっと笑った顔が直ぐにスマホに戻る。その幸せそうな顔を見ていると無性に春海に会いたくなって、気づかれないようため息をこぼした。
「……あのさ」
「なーに?」
「やっぱり同性と付き合うのって隠した方が良いのかな?」
「なんで?」
画面から顔を上げた光に別れ際の春海とのやり取りを話すと「ハルミさん優しいんだね」と返される。
「それってあゆちゃんが大切だから言ってくれたんでしょう? 愛されてんじゃん」
「そう、なのかなぁ」
いつの間にか膝を抱えるように座っていた歩の否定も肯定も出来ない曖昧な返事と浮かない口調に光が不思議そうな顔をする。
「あゆちゃんは嫌なの?」
「だって、付き合ってるの隠すって何だかもやもやするっていうか……」
「あね」
何故か困った子を見るように光が眉尻を下げて「なんて言ったらいいかなぁ」と身体を起こした。
「あゆちゃんは真面目すぎるんだよね」
「真面目?」
「そう。世の中にはさぁ、いい人ばかりじゃないじゃん。そんな人たちにまでわざわざ自分を傷つけるネタをあげて余計なトラブルをおこす必要なんてないじゃない?」
「それは分かってるけど……」
身に覚えのある過去を思い出しそうになり、苦い気持ちを奥へと押し込んだ。
「だから、不誠実とかじゃなくてTPOみたいなつもりで使うようにって、ハルミさんは言ってくれたと思うよ」
「……そっか」
『あたしは歩を信じてるから』
告げられた言葉の意味を理解した歩に光が笑う。
「私、駄目だなぁ。
全然気づかなかった……」
「今気づいたからセーフじゃん」
深々とため息をつく歩に呆れながらも、光の目は優しい。
「ずっと好きだった人と付き合えたんでしょう? もっと楽しんだら良いのに」
「私は楽しいけど……」
春海が同じ気持ちとは限らなくて、つい言葉を濁す。初めて会った頃には恋愛対象ですらなかった自分とどうして付き合ってくれたのか今でも不思議でならないし、春海を信じているものの不安は決してゼロでは無い。
「年下だからこそしっかりしたいし、頼られたいの」
「いやいや、無理っしょ。
どう考えてもハルミさんの方が社会経験も恋愛経験もあるんだし」
「……そんなの分かってる」
笑顔で否定され、思わず引き寄せたタオルケットに顔を埋めた。
どれほど春海の力になりたい、隣にいたいと願っても痛感するのは自分の幼さと無力さばかりで、逆に春海に諭され励まされてばかりの自分が悔しくて仕方ない。
──それでも
「わ、ごめん!
怒った?」
涙目を隠す歩に気づいた光が慌てて謝るのを首を振って否定する。
「……好きだから」
「え?」
「春海さんが好きだから、もっとちゃんとしたい」
目を丸くした光がやがて「ふふ」と笑った。
「あゆちゃん、それアタシに言う台詞じゃないよ」
「!?」
恥ずかしさで一気に頬を染める歩に「まあ、アタシから話を振っといて言うのもなんだけどね」と光が続ける。
「もう寝よっか。
はい、おやすみー」
スマホを消した真っ暗な部屋の中、光が顔の熱を冷ますように手で扇いでいるのを、タオルケットに潜り込んだままの歩が気づくはずもなかった。
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