第175話 「好き」と「好き」 (6)

「はいはーい、分かってるから。じゃね。

 ……ん? どしたの?」


 投げやりな口調から一転して戻ってきた光が物言いたげな歩を見て不思議そうな顔をする。


「光、泊まるの?」

「そ」

「私聞いてない」

「ちゃんと言うつもりだったよ」

「泊まるって、うち狭いし布団は一つしかないよ?」

「大丈夫、アタシは気にしないから。

 だって夜の運転って怖いじゃない?」

「じゃあ、どうして帰るの明後日なのよ」

「予備日的なやつ。

 アタシ寝起き悪くてさぁ、寝過ごしたりとかした時用の」

「何よそれ……もう。

 調子良いんだから」


 根負けしたかのように笑った歩の隣で「やった!」と光がガッツポーズをする。歩も本気で嫌がっている様子ではないのが見ていて微笑ましい。


「じゃあ、私はそろそろお暇するわね」

「え?」


 丁度良いタイミングだと腰を上げれば、歩が慌てたように顔を上げた。


「あ、これフルーツポンチを作ろうと思って色々買ってきたの。良かったら二人で食べて」

「そんな!

 もう少しいてくれても全然……」

「ううん。また日を改めて来るから」


 手元に置いていたフルーツや缶詰の入った袋をテーブルの側に置いてから「光さん、お邪魔しました」と立ち上がる。


「えー、もう帰るんですか?」

「ごめんね。

 私がいても邪魔になっちゃうし。

 夏休み楽しんでね」

「はい」


 ぺこりと会釈した光に笑いかけてから玄関に向かうと「下まで送ります!」と歩がついてきた。




 部屋で過ごしたのは三十分程しかなかったのに、外はそよそよと夜風が吹いていて存外に涼しい。階段をのんびりと下りつつ、斜め後ろから聞こえる靴音が地面にたどり着いたところでようやく振り返った。


「そんなにがっかりしないの。

 あたしとはいつでも会えるじゃない」

「……そうですけど」


「光さんが見てたら悲しむわよ」と笑いを含んだ声に励まされても気落ちした表情は一向に変わらない。自分と同じくらい光も大切に思っているのだろう、そんな歩の気持ちが手に取るように分かるからこそ、こうしてあっさりと引き下がれる。その一方で、気落ちするほど想ってくれるその気持ちがくすぐったくて嬉しくもあった。


「ほら、歩。笑って~?」


 いまだに晴れない表情を変えるべく両手で歩の頬を挟むとむにゅむにゅと手を動かす。


「ひょっと、春海ひゃん! 」

「ぷっ!

 あはは!」

「春海さん、酷いです!」

「ごめんごめん。

 歩のほっぺた触り心地良くて」


 焦った声とその表情にたまらず笑い出すと、つられるように歩もようやく笑みを浮かべる。


「そういえばさっき、何か言いかけていませんでしたか?」

「さっき? ああ、そうそう。

 歩、光さんにあたしのこと話したの?」


 最後まで歩との関係は聞かれないままだったことが気になって質問すると、途端に歩が慌て出す。


「あ、はい。でも、そ、その、春海さんに告白する時に、相談っていうか、アドバイスしてもらっただけで、それで……」

「ふーん、じゃあ光さんはあたしたちのこと知ってるんだ」

「ごめんなさいっ!」

「え、どうして?」


 頭を下げる歩に首を傾げるも、その表情は硬い。


「その、知らないうちに付き合ってるとか話されるの嫌じゃないかなって……」

「ああ、そういう理由ね」


 今分かったとばかりに笑った春海が首を振る。


「あたし的には友人か恋人かどちらの立ち位置で挨拶した方が良いか気になっただけなの。

 こういうのってデリケートなことだし歩に確認しておきたかったから。結局言うタイミングが無かったままさよならしちゃったけどね」


『他人や友人よりも家族にカミングアウトすることの方が何倍も勇気が要る』といつか読んだ記事を思い出しながら説明すると、はっとした様子で歩が見つめる。


「もし歩が隠したかったらあたしたちの関係は隠しても良いし、名前を変えても構わないわよ」と付け加えるとその顔色がさっと変わった。


「私そんなつもりで付き合ってる訳じゃありません!」

「もちろん分かってるわよ」


 笑って頷くと、必死な声を落ち着かせるように手を繋ぐ。


「でもね、あたしは歩に傷ついて欲しくないの。

 時には身を守る言葉だって必要よ」


 お互い大人で、独身で、ごく普通の恋愛をしているのに、世間の目は決して温かいものばかりではない。好奇な目に長年苦しんできた歩の心の傷をこれ以上増やさせたくなんてないし、出来ることなら守ってあげたい。そんな気持ちで告げた言葉を複雑な表情で歩が受け止める。


「……春海さんはそれで良いんですか?」

「あたしは歩を信じてるから。

 それに歩の気持ちはこの間ちゃんと聞いたしね」


 納得出来ないと言わんばかりの表情に同意を求めてその場は解散となった。

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