第169話 変転(9)

 以前聞いていた大まかな記憶を頼りにスマホのナビを照らし合わせながら住宅街を進む。やがて、春海の職場らしき建物が現れ、入り口の手前まで来たところで事前に連絡をしていなかったことを思い出した。


「どうしよう……」


 光との電話を終え居ても立っても居られず、こうして飛び出してきたは良いものの、突然の来訪は迷惑に違いないと途端に怖じ気づく。 普段メッセージの既読がつく時間とはいえ『話がある』と呼び出すべきか悩むものの、職場まで押し掛けてしまった行動がストーカーじみてないかと不安になってスマホを片手に悩むことしか出来ない。


「歩?」

「!」


 ヘルメットを覗き込むように掛けられた声に飛び上がらんばかりに驚くと、目の前には仕事帰りと思われる春海がトートバッグを肩に提げて立っていた。


「……こんな所までどうしたの?」

「あのっ! その、」


 不機嫌とは言わないまでも決して明るくない声に緊張で声が裏返るのが分かる。


「えっと! は、話を、したくて!

 ご、ごめんなさい!!」

「……何に謝ってるの?」

「え? あ、そのっ、連絡しないで、勝手に……来ちゃって…………すいません」

「……」


 不安のあまり徐々に小さくなっていく声に、黙ったままの春海が小さく息を吐くのが聞こえた。


「バイク、押せる?」

「え?」

「その角を曲がった先に公園があるの。

 話をするんでしょう」

「は、はい」


 どうやら話は聞いてくれるらしいことに安堵しつつ、原付のエンジンを切ると春海の後ろを続く。


「……」

「……」


 いつの間にか歩のペースに合わせるよう隣に並んだ春海と会話することなく辿る道のりは、かつてないほどの緊張と不安に包まれていた。



 ◇


 春海の話していた公園は周りを民家で囲まれた場所にある芝生が敷かれているだけの敷地で、公園というよりは空き地を整備しただけという印象を受ける。

 遊具も砂場も無いためか人影は全くなく、話をするには都合が良さそうに見えた。


「……」

「……」


 ──何を話せば良い?

 どう切り出せば良い?


 最初の一言が出せずに先程からずっと沈黙が続いている。心臓は春海と会ってからどくんどくんと鳴りっぱなしで、からからの喉は何度唾を飲み込んでも落ち着かない。


 いつもなら声を掛けてくれるはずの春海が黙ったままでいることに自分から切り出さなくてはならないと甘えを断ち切って口を開いた。



「私、春海さんに謝りに来たんです」

「……」

「春海さんがどれだけ私と真っ直ぐに向き合ってくれていたのか気づきませんでした。そして何より、今まで自分から壁を作って、あなたの言葉をきちんと信じていなかった自分に気づいたんです。

 だから、本当にごめんなさい!」

「分かってくれたのならもう良いから……」


 小さく聞こえた声に顔を上げるも、春海の表情は曇ったまま。そんな春海を前に意を決して口を開いた。


「私、あなたが好きです!

 三年振りに会って、諦めようって、友人で良いって思いたかった。いえ、思い込もうとしてました……でも、やっぱり、諦めきれません!

 その、出来ることならいつまでも傍にいたいし、あの、言いませんでしたけどキスしたこと、凄く嬉しかったんです。 あの時、春海さんが私のことを大切に思ってくれるって分かりましたから!

 ええと、つ、つまり、これからも、もっと、ずっと、一緒にいたいんです。だから……だから!」


 ここに来るまでに考えていた台詞はどこかに吹き飛んでしまったらしく、頭の中は真っ白で自分でも支離滅裂な言葉になっているのは分かっている。


 告白するタイミングは最悪で、今言うべきではないのかもしれない。

 それでも、言わなければならないと自分の中の何かが叫び続けている。


『告白する前は断られたらどうしようって凄く悩んだし、どんなに仲が良くても返事をもらう時は緊張したもの』


 頭の中でどこからか聞こえてきた言葉の意味を痛切に実感している。


 ──怖い


 自分の本心をさらけ出してしまったことで、もう二度と友人には戻れないかもしれない。最悪の場合、距離を取られてしまうかもしれない。



 それでも、


『あたしは歩と幸せになりたいの』


 そう告げてくれた女性春海がどうしようもないくらい好きだから──



 恥ずかしさと緊張で涙目になっているのを自覚しながら必死に想いを込めて、目の前の春海を見つめる。





「春海さん、私と付き合って下さい」

 




 決して使うことなどない、告げることなどないと思っていた言葉は緊張のあまり震えてしまった。

 それはきっと拒絶されると分かっていた三年前とは違う自分本意の告白ではない、春海の気持ちを求めないといけないものだから。









 ぐっと身体を引き寄せられて、春海との距離がゼロになる。


「!?」


 気がつけば春海から抱きしめられていた。

 頭の横に隠した顔は見えないものの、首に回された腕は自分たちをまるで一つにするかのようにしっかりと回されていて、ふわふわとした春海の髪が頬に触れている。




「……遅い」


 距離が近すぎて春海の表情は分からない。それでも、耳元で囁かれた不機嫌さを隠さない言葉は僅かに震えていて、それに気づいた途端胸の奥がじわりと熱くなった。


 もしかしたら、悩んでいたのは春海も同じだったのかもしれない。


 再会したばかりの彼女はどこか元気がなくて、常に辛そうにしていた。二年という時間があっても癒えない傷を抱えていた彼女が再び誰かを好きになるのは、きっと自分には想像もつかないくらいの葛藤と苦悩があったに違いない。


『そのハルミさんは自分のセクを変えても良いって思えるくらいあゆちゃんのことが好きなんでしょう?』


 自分と春海とではセクシャリティは違うし、今の社会では結婚も子供も望めない。

 それでも、それでもと自分を望んでくれたのだ。


 春海の気持ちを想像するだけで嬉しさと申し訳なさが入り交じり、あっという間に涙で視界が滲んでいく。


「……遅くなって……ごめんなさい」


「……どうして歩が泣いてるのよ」


 涙に気づいたらしい春海の声が押し付けられた首元からくぐもって聞こえてくる。


「春海さんの、気持ちが、嬉しくて……」

「……ビンタしたのに?」


 小さく聞こえてきた言葉が意外すぎて思わず笑うと、嗚咽混じりの声で答える。


「あの時は本当にごめんなさい」


 明るい声に春海がようやく顔を上げたものの、その表情は後悔を拭えないでいて、そんな顔のまま歩の左頬を労るように手を伸ばした。


「あたしこそごめん……痛かったわよね」

「良いんです。

 おかげで目が覚めましたから」


 笑顔の歩につられるようにぎこちなく微笑んだ春海が頬に残った涙の滴を指でそっと払う。今までとは違うあまりにも近い距離にどぎまぎしながらそれでもされるがままにいると、何故か困ったように春海が眉を下げる。


「歩」

「はい」

「あたしたち恋人になったのよね?」

「っ、こ、恋人!?

 あ、は、はい!」


 驚いたよう訊ね返した歩に一瞬不満そうな表情を春海が見せたことで慌てて肯定する。

『恋人』という単語を頭の中で繰り返していた歩の態度に焦れるよう春海が続けた。



「だから、こういう時はせめてハグぐらいしてくれても良いじゃない?」

「え?

あ、そ、そうですね」


 いまだ立ったままの姿勢でいる自分に気がついて恐る恐る春海の身体に手を伸ばすも、背中に回した手が服の上からブラの線に触れ、慌てて手を下に移動させる。結局両手は脇腹を挟むような位置になってしまい、端から見れば随分とぎこちないハグになっているに違いない。



 ぎくしゃくとした抱擁の中で「初めてだし仕方ないわね」とようやく笑顔になった春海がそれでも満足げに身体を預けた。







********************


ここまでお読み頂きありがとうございます。


執筆ペースが追いつかなくなったため、申し訳ありませんがしばらく更新が止まります。

ちなみに第三部はここまでが始まりで、これからも話は続きます。


なるべく早く再開するつもりですが仕事が慌ただしく、また今後の展開に悩み中で現在停滞気味です。気長にお待ちください。


たくさんの応援、コメントを本当にありがとうございます。また、フォロー、評価をしてくださった方々ありがとうございます。

いつも励まされています。

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