第164話 変転(4)
・一緒にいて楽しい
──楽しいからYES
・心が温まり安らぐ
──これも当てはまるからYES
・相手のことを知りたい、自分を知って欲しい
──自分を知って欲しいのはまあまあだけど、歩のことは知りたいと思うからYESかな
・相手を幸せにしたい
──幸せになって欲しいも入るかしら? 一応YESで
・もっと一緒にいたい
──YES
「……」
歩を恋愛対象として見るかという自問が「そもそも恋愛って何だっけ?」という疑問に変わり、迷い迷って現在『恋愛』のタグで検索を掛けたサイトの初心者向けの質問に答えている。
その結果、7項目中5項目がYESの回答になり思わず目が点になった。つまり、この結果に基づけば自分は歩にほぼ間違いなく恋愛感情を持っていることになる。
「いや、確かに間違ってはないけどさぁ……何か違うのよね」
回答に釈然としない気持ちをスマホに呟きつつ、残りの2項目に目を移す。
・胸がドキドキする
それなりに経験を積んだ身となればある程度恋愛の感情も分かっているつもりだが
「……歩にときめいたことなんてあったっけ?」
記憶の中をひっくり返しても、そんな感情は出てこないように思える。
そもそも歩は恋愛対象の前に大切な友人なのだ。心を許せる友人に普通はときめかないだろう。とりあえずこの問題は先送りにして、最後で最大ともいえる質問に移る。
・触れあいたい
手を繋ぐ、ハグするという軽い触れ合いから、キスやセックスなどの性的な接触の可能性までを問われる質問。
相手が好きであっても性的な接触を好まない場合もあるものの、今までの自分なら質問の答えはYESで間違ってはいないはずだが。
「触れあう、ねぇ……」
ハグや手を繋ぐのは親しい間柄ならさして問題ではない。ただ、キスやセックスはお互いへの同意と好意を含めた恋愛感情があってこそ成立するもので、ここが友人と恋人との違いともいえるだろう。
過去に歩を何度か抱きしめたことはあるものの、その殆どは辛い思い出でしかなくいつも泣いている顔しか思い出せない。
「ハグが違うならキスかぁ……」
未知数でしかないそれらの可能性を探るべく、目を閉じてその状況を想像してみる。
明るい寝室のシーツの上、一糸纏わぬ姿で身体と身体を寄せ合う。お互いの腰に手を回して戯れるように抱き合いながら耳元に口を寄せると、かかった息がくすぐったかったのか歩が肩を竦めてくすくすと笑った。
離れようとする身体を逃がさないとばかりに引き寄せると、笑いながら歩が身を捩る。いつしかくすぐり合いに発展したじゃれ合いはバランスを崩して倒れそうになった身体を歩が咄嗟に支えたところで終わりとなった。
マットレスと歩に挟まれたまま、目の前の歩と視線が重なる。不意にお互いの姿を思い出したかのように見つめ合った後、目元に笑みを残した歩が手を伸ばして頬に掛かった髪をそっと払った。その手に自分の手を重ねて絡めると表情がより一層緩み、花開くような笑みがこぼれる。
言葉を交わさなくとも伝わる気持ちに、胸の奥でじわりと甘い痛みを感じた。思わず歩の肩を引き寄せて──
そこで思考が中断する。
「…………出来る……かも?」
参考になればと以前視聴した同性タグのアダルトサイトの冒頭のシーンに歩を重ねてしまい、急に恥ずかしくなって手でぱたぱたと頬を扇ぐ。
途中からわざとらし過ぎる演出になった桃色の記憶を頭から追い出して一人顔を赤らめながら意識を切り替えたものの、キスを妄想するなら裸でなくとも良かったのではとしばらくしてから気づき、更に悶えることとなった。
◇
「……?」
連絡のなかった週末にがっかりしていた土曜日、仕事終わりに突然「時間があるならお茶しない?」と誘われて春海の部屋を訪れたものの、今日の春海はどことなく様子がおかしい。向かい合っているときは普段通りなのに、先程からテレビに向けているその視線はどこか上の空のように思える。
先週の一件を気にしているのかと様子をうかがうも何か考え事をしているような横顔に表情が戻り、慌てて視線をテレビに戻した。
「ね、歩。
ちょっと手に触って良い?
あ、触られるのって苦手だったりする?」
「手ですか?
いえ、別に大丈夫ですけど」
意図が分からないまま差し出した左手を春海が右手で受け止め、そのまま包むように握られる。手相や形を見るのかと思いきや、優しく感触を確かめるように触れてくる指先に心拍数が上がっていく。テーブルの模様に意識を向けることで気を紛らせていると、ちらりと視線を向けた春海が小さく笑って手を離した。
「ごめん、ありがと」
「いえ。
何か分かりました?」
「あ~、うん。
歩の手って思ったより小さいのね。ちょっと意外だった」
「あたしの手が大きいだけかなぁ」と話題を反らした春海がそれでもどこか残念そうに自分の手を見つめる。
「そんなことないですよ。
指も長いし、凄く綺麗だし、私はむしろ羨ましいです」
実際、淡いネイルの光る長い爪は深爪よりの自分のものとは大違いで、荒れた手にハンドクリームを塗り忘れた事を今更ながらに思い出す。
「ありがと。でもあたしは歩の手も好きよ。
一生懸命働いてる手だって分かるもの」
お礼よりも余程嬉しそうに自分の手を見つめていた春海が、無意識に使った『好き』という言葉に気づいたような顔になる。
「ありがとうございます」
にこりと笑って気づかないふりをすると、テーブルのコーヒーに手を伸ばした。
ふと、耳に聞きなれたメロディが入り、思わずテレビに顔を向ける。先程から観ていた歌番組でアコースティックギターを抱えた女性シンガーのライブ映像が流れ始めていて、サビに差し掛かるメロディでつい口ずさみそうになる口元をさりげなくカップで塞いだ。
「歩、この曲好きなの?」
「さっき歌いそうになったでしょう」と目を細めた春海に指摘され、苦笑いを浮かべつつ頷く。
「この曲がきっかけでファンになりました。
新曲が出る度に聞くだけのにわかファンですけど」
「良い曲だものね。
……これ、三年前のドラマの主題歌だったんだ」
曲紹介の字幕を見たらしく、三年前というワードに感慨深そうな呟きが耳に届く。
春海への恋心に悩み苦しんだあの頃、失恋ソングではないこの歌のフレーズがやけに心に沁みて寝る前には何度も聞いて過ごした。今では別の曲がお気に入りとなったが、この曲を聞く度に苦しかったあの頃を思い出す。
事ある毎に泣いていた三年前に比べたら、恋心を隠さず春海の隣で過ごせる現在は天国でしかない。
「……幸せ」
「え?」
隣で驚いたような春海の声が耳に入る。どうやら無意識の呟きを聞かれたらしい。
「あ、春海さんとこうして過ごせて幸せだなぁって思ってたんです。特に深い意味はありませんよ」
「……歩は今幸せなの?」
軽い調子の説明に何故か戸惑ったような声が返ったことを不思議に思いつつ、笑顔で頷いた。
「はい、私は幸せですよ」
「……」
「あの、先週の話は忘れてください。
春海さんは春海さんの幸せがあるんです。だから、好きな人が出来ても私は応援しますし、今度こそ邪魔はしません。
私に遠慮とか気遣いとか絶対にしないで欲しいんです」
「あ、うん……」
納得しない顔のままそれでも何とか頷いてくれた春海に別の話題を振って、その話は終わりとした。
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