第150話 嵐の襲来(5)

「丁度良かった! 今、春海さんと話ついたんで。

 俺が送っていきますよ」


 足早に近づいた勇太が佐伯に明るく声を掛ける。佐伯はかなりのペースで呑んだらしく、虚ろな表情とふらふらと揺れている身体は普段のしっかりした姿とは掛け離れており、今にも倒れてしまいそうに見えた。


「いや、自分は、まだ、全然大丈夫、なんで」

「何言ってるの、足元ふらついてるじゃない。

 無理して付き合わなくても良いのよ。ほら、お水飲む?」


 幸いにテーブル席では話が盛り上がっているらしく、こちらのやり取りは聞こえていない。明らかに不穏な雰囲気の佐伯からさりげなく歩を隠すように近づいた春海が水の入ったグラスを差し出しながら、片手で歩を後ろに押しやる。その表情は見えなかったものの、強ばった身体は二、三歩下がっただけで直ぐに止まる。内心舌打ちをしながらも、あくまで普段通りの表情を取り繕いながら歩をこの場から離す手段を考える。


「歩、ちょっと来てくれる?」

「あ、」


 異変に気づいたらしい花江の呼び掛けに慌てたように戻る歩の気配を背中で感じ、ほっと胸を撫で下ろした。このまま連れ出してしまおうと勇太と無言で頷いて、佐伯に近づく。


「ほら、佐伯さん。

 肩貸すから掴まって」

「ちょっと待ってください!

 自分はまだ言いたい事があるんですよ!」

「あぁ、それなら俺が聞きますよ。

 とりあえず駐車場に向かいましょう、ね?」

「勇太、あたしが左側を支えるから。

 佐伯くん、歩ける?」

「邪魔しないで下さいよ!」


 勇太と二人で支えようと伸ばした腕を振り払われ、咄嗟に下がろうとして後ろにあった壁に背中を打ち付けた。


「っ、痛!」

「春海さん!!」


 ぶつかった拍子の物音に歩が反応し、こちらへと駆け戻ってくる。


 ──まずい!


「歩、来ないで!」

「!? でもっ!」


 春海の一言でその場から動けなくなった歩がおろおろと立ち尽くす。


「佐伯さん、ちょっと落ち着こうか。

 歩、邪魔だ。向こうへ行け」


 酷くぴりぴりとした声の勇太が佐伯を立ち上がらせると、半ば引きずるようにドアに向かう。その雰囲気に気圧されたように、一歩、二歩と後ずさった歩に佐伯が声を上げた。


「歩さん、逃げるんですか!」


 佐伯の一言で歩の足がぴたりと止まった。


「あなたにはどうでもいい事だったのかもしれない!

 だけど、僕は本気だったんだ!

 本当に好きだったのに……

 どうして、好きでもないのなら最初からちゃんと断ってくれなかったんだ!」

「佐伯くん!

 プライベートの話は今するべき事じゃない。

 それくらいは分かるでしょう!」


 外に連れ出そうとする勇太に抵抗しながら歩に訴える佐伯を叱責すると、春海に佐伯が怒りの矛先を向けてきた。


「鳥居さんには関係ないじゃないですか!」

「関係あるないじゃなくて。

 佐伯くんの気持ちは分かるけど、」

「何が分かるんですか!

 僕の気持ちなんて誰も分かりっこない!」

「佐伯さん、落ち着けって」

「何だよ、皆、僕ばかり!!

 どうして彼女には何も言わないんだよ!」

「ちょっと、佐伯くん!」


 最早なりふり構わずといった様に取り乱していた佐伯が春海を見る。


「鳥居さん、知ってます?」

「は? 何をよ?」


 佐伯を抑えるのに必死でつい反射的に訊ねてから自分の失言に気づくと、佐伯のやけっぱちな笑みが目の前にあった。


「彼女、レズだって」




 次の瞬間、佐伯の身体が横に吹っ飛んだ。



「てめぇ!

 言って良い事と悪い事の区別くらい出来ねぇのかよ!」

「っ! うるさい!!」


 殴り飛ばした勇太に佐伯が身体ごとぶつかり、二人とも倒れこむ。騒動に気づいたらしい他のメンバーか馬乗りとなった佐伯を慌てて止めに入るため次々駆け寄っていく。



 怒号、悲鳴、何かの割れる音、叫び声──



 瞬く間に修羅場と化した光景の片隅で、歩の秘密を暴露した佐伯の身勝手さが信じられなくて立ち尽くしていた春海の後ろで何か音が聞こえた。



 ──見てはいけない


 そう思った時、身体は既に後ろを振り向いたあとで、








 ただ、真っ直ぐに歩がこちらを見つめていた。

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