第144話 変化(33)

 参拝客に振る舞われていたお汁粉を片手に持ちながら境内の奥まった場所にあるベンチに並んで座る。慣れない人混みから解放された安堵の息を聞かれないように紙コップを口に運んだ。


「ん、美味しい」


 隣で目を細めながら味わう春海に倣い、お汁粉を啜ると控えめな甘さと小豆の風味が口に広がる。


「こういう場所で振る舞われるお汁粉って大概凄く甘いけど、これくらいの甘さだと飲みやすいわよね」

「そうですね。

 私も久しぶりに飲みました」

「歩は和菓子は食べるの?」

「あまり甘くなければ……だけど、滅多に食べないです」

「そうよねぇ」


 未だ参拝の列が途絶えない参道を眺めながら、強張った足を労る様に動かす。少しの遠出すら疲れを感じる身体は思った以上に体力が落ちていたらしい。年明けからの仕事を不安に覚えながらも、隣で参拝客を眺める春海の存在を肌で感じていた。


「春海さん」

「ん?」

「私、佐伯さんと別れました」

「……そっか」


 歩をちらりと見た春海が紙コップに視線を戻す。コップに触れている指先が落ち着かなさそうに動いているのは動揺を隠すためだろうか。


「佐伯さんには本当に悪い事をしたと思ってます。でも、どうやっても佐伯さんの気持ちには応えられなくて。春海さんに話したように『他に好きな人がいる』って打ち明けて……それでようやく納得してもらいました」


「佐伯君は何も言わなかったの?

 歩の……好きな人のこと」


 春海の問いかけに思い出したやり取りで、未だ癒えない傷を隠すようお腹に力を込めて笑みを作る。


「元々私の片思いですし、その人に迷惑を掛けたくなかったので、具体的な事は何も話していません。

 でも、話せて良かったと思います」

「……」

「新年早々こんな話をしてごめんなさい。

 春海さんにはどうしても話しておきたかったんです」




「あたしも歩に話さないといけないことがあるの」

 

 しばらくして聞こえた声に顔を向けると、春海と視線がぶつかる。


「あたし、あと一年ここに残ろうと思ってる」

「一年……」


 一年先の事は口に出さなくとも結論が出たのだろう、あっさりと告げられた時間はあまりにも短い。


「何がっかりしてんのよ。

 どうせ一年しかないとでも思ってるんでしょう?」


 心の内を指摘されて言葉に詰まった歩をくすくすと春海が笑う。


「実はね、年末に彼氏を親に紹介してきたの」

「!」


 歩の反応を予期していたかのような表情で春海が続けた。


「彼は結婚の挨拶のつもりだったらしいけど、一年だけ待ってもらうことにした。

 あたし欲張りだからさ、仕事もプライベートも恋愛も全部満足したいし、後悔したくない。だから、一緒になるならここでの心残りを全部無くしてから結婚したいって。

 だから、今は婚約期間って感じかな?」


 左手に視線を落とした春海がそっと指輪を見つめる。いつしか俯いた歩に構わず春海が言葉を続けた。


「歩。

 あたしの心残りを無くすために協力してくれない?」


「……え?」


 思いがけない言葉に目を丸くする歩に春海が続ける。


「あたしは歩の好きな人の代わりにはなれない。

 だけど、歩と一緒に過ごしたいし、歩が前を向きたいと思ってるならそれを支えたい。

 そして歩と笑顔でお別れしたいの」


 まるで自分の心情を見透かしたかの様な優しい拒絶の言葉に息が止まりそうになる。春海が自分の気持ちに気づいているかもしれないと思ったものの、普段と変わらないその表情からは何も読み取れない。その一方で、言葉は違えど自分のためにここに残る決断をした春海の真意にようやく気づいた。


「で、でも!」

「でも?」

「その……迷惑じゃないですか?

 折角……プロポーズされたのに」


 顔色を窺うように恐る恐る訊ねた質問を春海が笑って返した。


「全然迷惑じゃないわよ。

 結婚って二人の意思が重なってするものだし、元々あたしはもう少し時間が欲しいって伝えてたもの。

 今日、歩を誘ったのもあたしの決断を聞いて欲しかったからなのよ」



 自分が後悔したくない──そんな建前のもと春海が歩に与えてくれたのは一年という時間。

 春海の言うように仕事や他の事情も考慮した上での提案だったのかもしれない。それでも自分との約束を守ろうと差し出してくれた形のない贈り物は、実らない恋に見返りを貰うことよりずっと貴重で甘い響きを含んでいた。


 春海の気持ちが純粋な好意からだとしても自分の為にここまで考えてくれる人など他にはいないだろう。

 嬉しさと寂しさが混じった感情に負けないよう真っ直ぐ春海を見る。


「はい。

 宜しくお願いします」

「……うん」


 安心したような春海が「それと」と付け加える。


「この町を出ていっても、あたしは遊びに来るわよ。

 だから、離れてもきっと大丈夫」


 その言葉に笑って頷くと、差し出された手をしっかりと握った。

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