第143話 変化(32)
この近辺で一番有名な神社をナビに入れて春海がハンドルを握る。正月とあってか普段よりずっと車通りの少ない国道を北へ走りながら話題は自ずと帰省の話になった。
「本当参ったわよ。
手加減ってものを知らないのかしら、あの子達」
「でも春海さんがそれだけ好かれてるって事ですよね」
「う……まあ、だからこそ無下に出来なくてさぁ。
たまに付き合う分には構わないけど、あれが毎日ってマジで勘弁して欲しいわ。本当、世のお母さん方には尊敬しかないわね」
実家に帰省した時の春海の甥っ子の話で、ひとしきり盛り上がった後、ふと思い出したように春海が顔を向ける。
「そういえば、歩のお母さんって幾つ?」
「えっと、確か42才だったと思います」
「え、じゃあ23才で歩を産んだってこと?
若っ!」
「そうですか?」
驚愕する理由が分からずに首を傾げると、「若いわよ」と春海が繰り返す。
「だって、今のあたしにもうすぐ小学生くらいの子供がいるってことでしょう? そんなのあたしには想像つかないもの。
早々と子育てが終わるだろうけど、若いなりにきっと色々大変だったんじゃない」
「……」
何気ない春海の言葉がやけに胸を刺した。
引きこもっていた高校時代からろくに顔を合わせなくなった母の表情は常にどこか疲れてみえた。その原因が自分であることは分かっているものの、拗れた感情のせいで入院の時も殆ど会話をしないままだった事を思い出す。
いつしか暗い雰囲気の歩に気づいたのか、話題を変えるように春海が明るい声を上げた。
「でも、お父さんもお母さんも凄く優しそうな人じゃない。きっと歩を可愛がってくれてたのよね」
「え、両親に会ったんですか!?」
「ええ、歩が入院した次の日に。
あ、そうか。歩は眠ってたから知らなかったのね」
「そ、その……何か言ってました?」
「何かって?」
「……いえ、何も無ければ良いんです」
自分の事について両親が何か話したかもしれないという不安は春海の不思議そうな表情から杞憂に終わる。
そんなほっとした歩の横顔を春海が黙って見つめていた。
晴天に恵まれたこともあり神社を訪れる参拝客は多く、少しずつしか進まない駐車場へと続く車の列を眺めながら春海がぐぐっと両手を伸ばす。
「じゃあ、花江さんはこの時期毎年旅行に行ってるの?」
「はい」
「ふーん、何だか羨ましいわね~」
「春海さんにもお土産買ってくるって言ってました」
「マジ!?
あ、空いたみたい」
再び進みだした車の列にハンドルを握った春海が誘導に従って空きスペースを目指す。降りた車から見えるぞろぞろと神社に続く人の数に内心驚きながらも春海の隣に並んだ。
「思った以上の人出ねぇ。
初詣の人がこんなに多いなんて知らなかったわ」
「あれ?
春海さんは普段行かないんですか?」
「そうね。
ここ数年は行ってなくて、精々行くとしたら初売りくらいかな」
考えながら答えた春海か驚いた表情でいる歩を見た。
「今年はちょっと色々決断したい年なの。
だから、歩が一緒にいてくれて良かったわ」
決断、つまり、何かを決める事にしたらしい春海の左手をそっと盗み見る。この間まではなかった銀色の指輪が薬指にあることに気づいてはいたものの、それを訊ねるのが怖くてただ黙って頷くことしか出来なかった。
◇
不安でしかなかった参拝のマナーを先に参拝する人達から密かに学びながら、春海と二人で神前に並ぶと鈴を鳴らしニ礼する。両手を合わせて目を閉じると神前に着くまでに考えていた願い事を心の中で呟いた。
──どうか、春海さんがいつまでも幸せでいられますように
結局自分を変えるのは自分でしかなく、神様に願うならばと考えついたのは隣にいてくれる人の幸せ。それが例え自分にとって望まない結末でも春海が幸せでいてくれるなら十分に思えた。
「歩」
ちょんちょんと袖を引かれて目を開けると、どうやら随分とこの場に留まっていたらしい。春海の視線に気がついて慌てて後ろの人に場所を譲ると、もと来た道を引き返しながら春海が肩を寄せてくる。
「歩、凄く熱心にお願いしてたけど何を願ったの?」
「え? その……一年無事に過ごせますようにって。そ、そういう春海さんは何をお願いしたんですか?」
願い事は口に出さない方が叶うといううろ覚えの知識から当たり障りのない願いを口にして、春海に話を振る。
「あたし?
う~ん……あたしも似たような願い事かな?」
「春海さん……」
明らかに今考えたと言わんばかりの態度を指摘すると、くつくつと春海が笑う。
「ねぇ、折角だから少し回ってみない?
あたし向こうの境内で配ってたお汁粉が気になってたの。それと、おみくじも引きたい!」
うやむやにされた願い事の代わりの提案に笑って頷くと、軽い足取りで進む春海と共に並んだ。
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