第142話 変化(31)
『明けましておめでとうございます』
番組が始まる度に明るく告げられる挨拶にうんざりしてテレビを消すと、ソファーに寝転んだ。賑やかな画面が消えて、誰もいない家は静けさを取り戻す。
「……暇だなぁ」
形ばかりの年越しを終え居心地の悪い実家から早々と逃げ出したのは良かったものの、花江もおらず仕事もない正月は既に時間を潰すことすら億劫になってきている。
外から聞こえた、がこんという音と走り去るバイクのエンジン音にどうやら年賀状が届いたらしい。廊下を歩きながら束になった年賀状のゴムを外して一枚一枚捲っていく。
『HANA』への挨拶、友人らしき人からの花江に宛てた近況報告、初売りのお知らせ──自分宛の年賀状などあるはずもないそれらをただ眺めていると、一枚の年賀状に手が止まった。
『本多 歩様』
デフォルメされた干支がにこやかに笑うその下には『今年もよろしく』と手書きで一筆付け足してある。花江にも同じ年賀状が来ていたものの、あえて二人分贈ってくれた春海らしい気遣いにそれだけでじわりと心が温かくなり、小さく微笑んでから年賀状をそっと束に戻す。
──連絡、してみようかな
退院の日にハンドクリームのお礼も兼ねて送ったメッセージは春海も忙しかったのか簡単なやり取りをしただけで終わってしまっていた。
春海との繋がりが少しでも欲しくて、それでも迷惑にならないよう新年の挨拶に年賀状のお礼を合わせた文面を捻り出して送る。
どきどきしながら待ってみたものの、手の離せない状況なのか既読の文字はつかなかった。
「…………!」
鈍い振動音に起こされ、自分がいつの間にかうとうとと眠っていたことを気づいた。マナーモードにしたままのスマホの画面を見た途端、慌てて通話のボタンをタップする。
「も、もしもし!」
『もしもし、明けましておめでとう』
「あ、お、おめでとうございます!
今年もよろしくお願いします」
寝起きの頭をフル回転させて何とか年始の挨拶を言い終えると、電話の向こうで笑う声が聞こえる。
『もしかして寝てた?』
「え!? あの……はい」
『そっかぁ、まだ病み上がりだものね。
ごめん』
「いえ、単に暇すぎるっていうか……
体調はもうすっかり良くなりました。その、ご心配おかけしました」
体調を心配する言葉を全力で否定しながら、春海の声を聞き漏らさないようにスマホを耳に押し付ける。声を聞けた嬉しさの余り、会話が途絶えたことに気づくのが遅れた。
「あの、春海さん?」
『あ、うん。
えっとね、歩はまだ実家?』
「いえ、昨日からおおかみ町に帰ってきていますけど」
もしかして、と期待に胸が高鳴るのを押さえつけながら、春海の返事を待つ。
『そう、それなら丁度良かった。
あたしも今朝帰ってきたばかりだったの。もし良かったら一緒に初詣に行かない?』
誘いの言葉が嬉しすぎて、春海の声に緊張が含まれていたことに最後まで気づかなかった。
◇
キンと冷えた空気が肺に入るだけで内側から体温が奪われそうな寒空の中、両手をポケットに入れたまま春海を待つ。少し上を見上げれば雲一つない空が広がっていて、自分の吐く息が白く昇った。
心の重荷を下ろして春海に会えることの嬉しさ故か寒ささえも気にならなくて、片足跳びで駐車場を往復しては時間を潰す。
やがて、静まり返った住宅街から一台の車が近づき、目の前でゆっくりと運転席の窓が開いた。
「歩、お待たせ」
「寒かったでしょう」と勧められる久しぶりの助手席の懐かしい香りに包まれながら、どこかふわふわした気分で座る。
「明けましておめでとう」
「おめでとうございます。
昨年は本当にお世話になりました」
型通りの挨拶に照れ臭さを覚えるも、世話になりっぱなしの昨年を思えば頭は自然と下がる。
「ふふ」
突然小さく笑った春海に思わず瞬きを繰り返す。
「あの、何か?」
「ううん。
歩は歩だな~って思っただけ」
「?」
一人納得したように頷いた春海がこれ以上触れてくれるなとばかりに話を変えた。
「それで、体調は大丈夫なの?」
「はい。
薬も飲み終わってますし、大丈夫です」
「本当かなぁ。
歩の大丈夫は信じられないからなぁ」
「な!? 今までは、そ、そうかもしれないですけど、本当ですから!」
訝しげな視線を向ける春海が「やっぱり止めよう」と言い出しかねない事が怖くて必死に説得していると、突然春海が笑いだした。
「は、春海さん、からかってたんですね!」
「だって、必死な歩の姿が可愛くて、つい」
「……」
「ごめんごめん。
歩とこうやって二人でいるのが久しぶりだったから、ついつい意地悪しちゃった」
「いえ。
悪かったのは私なんですから」
今までの言動を振り返れば自分に非があるとしか言えない。反論さえ飲み込んで俯く歩に春海の声が届く。
「歩、思ってること、ちゃんと話してみて?」
「………………子供扱い、して欲しくないです」
「ん? したつもりはないけど?」
「その……可愛い、とか」
自分の言葉に顔がじわりと赤くなるも、春海が一瞬目を丸くしたあと微笑んだ。
「あたしは誉めてるつもりなんだけどなぁ~
まあ、そうね。
もうすぐ二十歳だもの。分かったわ」
「若いわよねぇ」と続けた春海の声はどこか羨ましそうに聞こえた。
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