第141話 変化(30)

 何度目かの寝返りと共に目を閉じるも、その度に佐伯とのやり取りを思い出して息が詰まりそうになる。



『女の人が好き』

 そう穏便に伝えたはずの言葉は『レズ』という言葉が返ってきたことで、心の奥深くに刺さったままのナイフが古い傷を広げるように痛みを訴える。


 その一方で、別れ話を切り出した時の佐伯の顔を思い出す度、自分の言葉の残酷さを後悔した。ただ、申し訳無さと共に解放されたという幾ばくの安堵を感じているのもまた事実で、そんな自分に嫌気が差して隠れるように布団の中に潜り込む。




 ──ついに言ってしまった


 自分なりの誠心誠意を込めた謝罪の理由として打ち明けたセクシャリティを佐伯がどう思ったかは分からない。ただ、男性を好きになれない自分の理由を知った今なら、別れる事を納得してくれたに違いないし、その事情をむやみやたらに吹聴するような事はないだろうと信じてもいた。


「これで良かったんだよね……」


 真っ暗な布団の中で呟いた問いかけに、答えは思い浮かばなかった。


 ◇


 看護師から「元気でね」と投げ掛けられる挨拶に、その都度「お世話になりました」とお礼を述べる。会計を済ませて病院の外に出ると、ようやく肩の力が抜けた。


「やっと外に出れたー」

「早めに退院出来て良かったわね」

「うん。

 もう病院なんてこりごりだよ」

「本当、私も同感。

 お願いだからもう入院なんてしないでよ」

「本当に反省してる。

 ごめんなさい」

「もう十分謝ってもらったわよ。

 それじゃ帰りましょうか」


 助手席に乗り込んだ歩のシートベルトを確認して、花江がギアを入れる。ほんの僅かの間に年越しに向けて様変わりした町並みに目を奪われていると、赤信号で停止したタイミングで花江が話しかけた。


「歩、後ろの紙袋取ってくれる?」

「紙袋……あ、これ?」


 持ち上げた袋に「そう」と頷いた花江がそのまま歩の膝の上に置く。


「春海から退院のお祝いって預かってきたの」

「春海さん?」


 思いがけないプレゼントに中を覗くと桃色の紙袋が入っており、中には四角い箱の様な感触がある。帰るまで開けずにおこうか迷ったものの、好奇心に負けて封をしていた丸いシールを丁寧に取り除いた。


「化粧品? ……じゃなくてハンドクリームみたい」

「あら、良かったじゃない」


 普段使いしているチューブタイプとは違ういかにも高級そうな化粧瓶の蓋を開けば、ふわりと優しい香りが車内に広がる。それは以前嗅いだ春海の香水の香りに似ていて、胸が甘く疼いた。


「昨日が仕事納めでそのまま帰るらしくて、すれ違いになるからって渡されたの」

「そっか、年末だもの。

 忙しいよね」


『年末は用事がある』とどこか憂鬱そうに話していた春海を思い出して手の中の瓶をそっと包む。


「……歩」

「何?」


 顔を上げると、何かを言い淀む様に花江が口を開きかけて閉じた。


「花ちゃん?」

「……ううん。

 歩もちゃんと帰る準備しておくのよ」


「はぁい」


 散々迷惑をかけた花江に我儘を言えるはずもなく、仕方なくも素直に頷く。そんな歩を横目で見た後、花江が思いついたというように口を開いた。



「ねぇ、そろそろお母さんと仲直りしても良いんじゃない?」

「!

 仲直りって……別に喧嘩なんかしてないから」

「それはそうだけど。

 歩がちゃんと話せばお母さんだって嬉しいに決まってるわよ」

「……」

「歩だって今のままじゃ良くないって分かってるんでしょう?」

「……」


 逃げ場のない場所での提案に黙ったまま答えを拒否すると、しばらくして諦めたような花江のため息が聞こえた。

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