第132話 変化(21)
「おはようございまーす」
第一陣として来たおおかみ小学校の児童と先生に声をかけるとこちらに向かっていた足が止まり、一斉に頭を下げて挨拶を返してくる。
「「おはようございます」」
「お、おはようございますっ」
同じ様に慌てて頭を下げ返した挨拶の後、普段通りの姿に戻った子供たちがあっという間にあちこちに散らばっていくのを見送っていると、後ろから追い付いた山下が春海の隣に並んだ。
「おはようございます、鳥居さん。
今日はお世話になります」
「いえ、こちらこそ宜しくお願いします」
今回の収穫体験は小学校の研究授業の一環として取り組む事となった為、まず子供たちに体験してもらおうと一足早く集まってもらったのだが、吹き付ける風も冷たい空気もまるで感じないかのようにはしゃぐ姿に山下と二人思わず顔が綻ぶ。
「今日の段取りは打ち合わせ通りで?」
「はい。
今、担当の者を連れてきますので少しお待ちください」
春海の言葉に山下も「それなら私も先生方を集めてきますね」とその場を離れる。大急ぎで勇太を見つけると一緒にいた桑畑と白井も呼び寄せた。
「山下先生からお話があったと思いますが、まず、こちらの畑で大根の収穫作業を行います。収穫した大根は二本を一組に葉を束ね、洗浄してあのトラックに積み込んでいきます。収穫以外は機械を扱う作業のため、それぞれの場所には必ずスタッフがつきますが、先生方も一緒にいてくださる様にお願いします」
「僕がここの担当ですので、何かあったら直ぐに呼んでください」
春海の説明に白井が手をあげてアピールすると、山下たちが了承したというように頷く。隣で勇太がそのまま話を引き継ぐように口を開いた。
「こちらの作業は一時間ほどを目安にして、その後子供たちはやぐらの方へ移動します。洗浄した大根をやぐらへ掛けていくのですが、やり方は実際見た方が早いと思うので、現地で説明します。やぐらへの案内と担当はこちらの桑畑さんと自分が行います」
「ところで」とどこか面白がる口振りとなった勇太に視線が集まった。
「先生方も参加されると聞きましたが、明日は筋肉痛にならない様に頑張ってくださいね」
「日頃鍛えていますし、大丈夫ですよ!」
挑戦的に笑った勇太に山下が元気よく返す。先日、事前準備のために一部のスタッフと実際に収穫作業をしたのだが、翌日は全員が筋肉痛に悩まされていた。その事実を知っている白井と目が合うと、どちらともなく苦笑いを浮かべたのだった。
「先生ー! 見てー!」
「あー、てんとう虫が逃げた!」
「……靴に土が入ったの」
学年を縦割りして作ったグループはその形を辛うじて留めているだけで、あちこちで上がる声は歓声や悲鳴が混じっている。引率の先生だけでは足りず、いつしか春海や他のスタッフも子供たちの中に入りながら収穫作業を行っていた。
「んー?
どうしたの?」
土が入った靴を綺麗にはたいた後、片足立ちの子を支える春海の袖をちょんちょんと引かれて振り向くと、タケルが立っていた。
「歩ちゃんは?」
「あ……えっと……歩ちゃんは来れないって連絡があったの」
「……」
春海の言葉にタケルはじっと表情を変えないまま見つめている。その視線にたじろぎそうになりながら身体を反転させると、タケルと向き合う。
「歩ちゃんね、具合が悪くて来れないんだって」
「……」
「……来て欲しかったの?」
「うん」
「そっか……
私が歩ちゃんに伝えとこうか?
タケルくんが待ってたって」
「うん」
それだけの言葉を発し、ぱっと自分のグループへ走り出したタケルを見送ると思わず深く息を吐く。ここ何度か受けた質問の度に同じ様に答えているものの、その度にがっかりする表情をもう何度見たことだろう。
ぎゅっと唇を結んで揺れる気持ちも同時に引き締めると、ぽつぽつと見えだした一般参加者の姿に、この場を引き継ぐスタッフを探した。
◇
「はい、鳥居です。
……ええ。あ、それなら予備の軍手が本部の箱の中に」
スマホを肩で挟みつつ、目の前のスタッフに指でオッケーのサインを出す。会話を終え、脇に抱えたバインダーをテーブルに置くと挟んであったペンが見当たらない事に気がつく。
「春海さん、少し休憩しませんか」
落ちていたペンと共に一口チョコを渡しながら休憩を勧めてくる美奈に笑ってお礼を言うと、ペンとチョコを受けとりそのまま胸のポケットに入れた。
「ありがと。
でも、まだ大丈夫よ。それより美奈ちゃんはお昼食べたの?」
「はい。
それと、さっき花江さんから差し入れを頂いたので」
「春海さんの分です」と渡されのは小さめに握られたお握り。昼食を摂る余裕のない自分たちを見越して一つずつラップで包まれたその気遣いが嫌でも歩を思い起こさせてしまう。
「……後でお礼言っておく。
あ、美奈ちゃん、少し余分に貰える?
今から写真撮りにやぐらの方に行ってくるから」
「分かりました」
紙袋に入れたお握りを片手に車に乗り込むとシートに置きっぱなしのレジ袋からゼリーを取り出し口に咥えた。数十秒で摂り終えた昼食に物足りなさを覚えて、自分の分のお握りを一口で頬張る。
咀嚼しながらミラー越しに後ろを振り返ると、白井の畑にはまるでお祭りのように人がごった返していた。
「……頑張らなきゃね」
誰に告げるとでもなく呟いた言葉は直ぐに車のエンジン音で消えていった。
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