第131話 変化(20)
朝の冷え込みにいつもはためらう早起きも今朝ばかりは別だ。アラームが鳴る前にベットから抜け出すと真っ先に外の天気を確認する。
「……大丈夫そう、ね」
暗く薄い雲が広がる空はその奥に明るい星を確かに覗かせていて、念のためスマホで確かめてから今度こそ胸を撫で下ろした。
寒さに震えながらも冷たい水で顔を洗うと、背筋がしゃきっと伸びた。久しぶりの外での活動ということもあり、寒さ対策を重視した服を着込むとポケットカイロを幾つも忍ばせて車の鍵を取る。
コンビニでいつものパウチゼリーに加え、高めの栄養ドリンクを二本レジに差し出すと、バーコードを読み取りながら店員がおや、という顔を向けてきた。
「今日は気合い入ってますね」
「ええ」
言葉少なな春海にそれでも何かを感じたのか「頑張って」の言葉をお釣りと共に渡してくれた店員に笑顔を返し、車に戻って早速一本目のキャップを捻る。匂いを嗅がない様に息を止め、苦味を甘味料で混ぜたような液体を一気に飲み干すとその味に思わず顔をしかめた。
「うえぇ、まず……」
睡眠不足と抜けきらない疲れをせめて値段の分だけでも効いてくれる様に願いながら、事務所に向かった。
◇
「はよざいまーす」
「おはよう」
未だ眠気と戦っているような表情の勇太が事務所に入ってくるなり点けたばかりのストーブに寄ってくる。
「春海さん、早いっすね」
「そういう勇太も早いじゃない」
「ま、時間に余裕があるのは悪いことじゃないですから。特に変更点とか無いですよね」
「あ~、欠席の連絡が一件。
……歩が来れなくなった」
「は?
あいつ来ないんですか?」
心外だとばかりに眉を寄せた勇太に、ぎこちなく笑い返す。
「体調崩して入院したの」
「はぁ!? いつ? 何で?」
「昨日……胃炎だって。
あ! だけど、夕べ花江さんから大丈夫だって連絡があったから」
「……ふーん」
あせあせと説明する春海に勇太の視線が注がれる。
「何よ?」
「そんなにがっかりしなくても良いじゃないですか。今年出来なくても来年参加すれば良いんだし」
「! がっかりなんか……
まあ、そうなんだけどね……」
朝からまとわりつくもやもやとした気持ちをあっさり看破されて、力なく肩を落とす。確かに、今年イベントを成功させれば来年以降もこのまま続くだろう。
ただ、来年果たして自分はここにいるのだろうか。
昨夜、クリスマスプレゼントという名の下に渡された指輪の存在が心に重くのし掛かる。『深い意味は無いから』と笑った圭人の本心が分からなくて、内心素直に喜べなかったそれは帰宅してからずっとケースに入れたままだ。
ふと、春海に聞こえるような大きなため息に顔を上げると、目の前に勇太の険しい顔があった。
「春海さん!
いい加減にしてくださいよ! いつまでもそんな顔してたって仕方ないでしょう。
春海さんがしっかりしなきゃこの企画は動かないんですよ! 分かってます?」
「あ、あぁ、うん……!
そうよね! うん!」
ともすればぐらつきそうになる決意を今度こそしっかり固めると、意識を仕事に切り替える。
「ったく、ほら、そろそろ時間だし荷物運び出しますよ」
「オッケー!」
段ボール箱の中身をもう一度確認すると勇太と二人で抱えて玄関に向かう。幾度か繰り返して荷物を全て運び終わる頃には気持ちも切り替え終える事が出来た。
「春海さーん、出発するよー!」
「あ! 今行く!」
とにかく今は仕事に集中しようと、玄関先で車に乗り込む勇太の元へ駆け寄った。
◇
「おはようございます!
本日は宜しくお願いします」
事務所のメンバー、役場の産業振興課の職員、白井、桑畑、それに応援要員として産業振興課以外の役場職員がずらりと春海を囲む。かつてないスタッフの規模に嫌でも緊張は高まるばかりで自分を支える足は小刻みに震えているものの、おくびにも出さないように気を付けながらスタッフの顔を一巡し、手元のファイルを広げる。既に何度も見直したそれを早口にならないように意識して説明していく。
「……何か質問はありませんか?」
周りから一斉に向けられる視線にたじろぎそうになりながらも発言がなかった事から説明を終了すると、皆がそれぞれの持ち場に散らばっていった。
「あの、鳥居さん」
ミーティングが終了したところで声を掛けてきた佐伯に顔を上げるとペン先をカチリと閉じる。
「何?」
「その……歩さんが来れないって……連絡あったんですか?」
「ええ」
春海の肯定に佐伯がますます表情を暗くした。その様子に佐伯は佐伯なりに思うところがあったのかもしれないと、咄嗟に飲み込んだ非難の代わりに話を振る。
「歩と何かあったの?」
「その、僕たち、最近ぎくしゃくしていて、それで、昨日は電話にも出てくれなくて……もしかすると、それが原因かもしれなくて……すいません」
「……そう。
ね、佐伯くん。今日終わった後で少し話さない?
聞きたいことがあるの」
「は、はい」
戸惑いながらも了承して別れた佐伯の後ろ姿を見送ると、長い長い息を吐く。
──思った以上に二人の溝は深かったのかもしれない
一方的に責めずに済んだことに安堵しながら、再びペンを取り出して今後の段取りを確認した。
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