第130話 変化(19)

「…………」


「目が覚めた?」


 明るい花江の声が聞こえて、今までの記憶が少しずつ繋がっていく。自宅から運ばれて、診察を受けて、病室に連れていかれて──



「……なちゃん」


 からからの口が上手く動かないながらも呼ぶと、ペットボトルを片手に花江が近づく。身体を起こした歩に渡したペットボトルの中身が少しずつ減っていくのを確認してから、「何?」と聞き返した。


「……今、何時?」

「昼の1時を過ぎたくらいよ。

 ゆっくり眠れた?」

「……ランチ、どうしたの?」


 夢現ながら自分の傍に常に人の気配が感じられたことから、花江がずっと付き添ってくれていたことは明白でベット脇に座る花江へ顔を向ける。


「お休みしますって張り紙しておいたから大丈夫よ」

「…………ごめんなさい」

「歩が心配する必要なんてないのよ。

 私が決めたんだもの」


 普段と変わらない優しい声に自分の行動がどれほどの迷惑をかけてしまったかを実感して、じわじわと罪悪感が沸き上がってくる。そんな泣きそうに眉を下げた歩を花江が優しく見つめた。


「それより、私こそごめんね。

 歩の事、ちゃんと分かってあげれなくて」

「! ううん、そんな事ない! 私が全部悪かったの!

 私が……私が!」

「歩」


 必死に声を上げようとする歩を花江が押し留めた。


「私も歩もおあいこ。

 もう、これでおしまいにしましょう」

「……うん」


 幾つもの謝罪と反省の言葉を飲み込んで小さく頷いた歩に「そうそう」と花江がぽんと手を叩く。


「春海にもちゃんとお礼を言うのよ」

「春海さん?」

「そう。

 さっきまで歩にずっと付き添ってくれてたんだから」

「え、そうなの!?」

「あら、一度目が覚めたときここに座ってたでしょう?」

「…………全然覚えてない」


 呆然とする歩に花江が笑いながら「もの凄く心配してたわよ」と付け加えると分かりやすく歩がうろたえた。


「春海からの伝言で『元気になったら言いたい事が沢山あるから楽しみにしてなさい』って」

「ど、どうしよう……」


 冗談混じりの言葉を本気に捉える歩の姿に思わず笑い出すと、歩もどうやらそれに気づいたらしい。


「でも、ちゃんと春海には会いなさい。

 いつでも待ってるって言ってたから」

「……」


 途端に口ごもる姪の手を握り、励ますようにその目を見つめる。


「歩。

 辛い事から逃げるのは決して悪いことではないわ。ただ、春海はずっとあなたを信じてくれてるのよ。そんな春海をこれ以上苦しめないで欲しいの。

 これは春海の友人としてのお願い。春海とちゃんと向き合ってくれる?」


「…………うん」


 口元を結んだ歩が、それでも真っ直ぐ花江を見てこくりと頷くと、にこりと笑った花江が安心したように手を離した。


「あ、それと……」

「?」


 花江の言葉を遮ったドアの音に視線を向けると、入ってきた人物に分かりやすく歩の顔がひきつる。


「姉さん、義兄さん、丁度良かったわ。

 今、目を覚ましたわよ」

「!

 花ちゃん、どうして……」

「歩の両親でしょう。

 連絡するのは当たり前じゃない」


 両親に知られたくなかったと視線で花江に訴えれば、先程とは違う笑みを向けられる。花江と向かい合うようにベット脇に並んだ両親を前に、歩が居心地悪そうに下を向いた。


「歩、起きたのか?

 気分はどうだ?」

「……大丈夫」

「頭が痛いとかないの?」

「……」



 重苦しい沈黙に途切れた会話を繋ぐよう花江が立ち上がった。


「それじゃ、姉さん。

 後はお願いね」

「ええ」

「え!? 花ちゃんどこ行くの?」

「ディナーの準備をしてくるわ。

 流石に予約まではキャンセル出来ないから。

 歩はゆっくり休みなさい。必要な物はお母さんに頼むのよ」

「そんな……」


 ひらひらと手を振った花江がドアを閉めると、病室は途端に静かになる。里江が何度か躊躇ってから、ようやく口を開いた。




「歩。

 お医者さんからは随分我慢してたって聞いたけど、どうして無理したの?」

「……何でもない」

「もし、手伝いが忙しかったなら、花江に言って」

「花ちゃんは関係ない!

 花ちゃんを悪く言わないで!」


 言葉を遮った歩がこれ以上の会話を打ち切る様に、里江とは反対側に身体の向きを変えて横になる。


「歩、いい加減にしなさい。

 母さんは歩が倒れたって聞いて、凄く心配してたんだぞ」

「…………」

「あなた」


 やんわりと押し留めた里江が背を向けたままの歩に声をかける。


「とにかく今はゆっくり休みなさい。

 何か欲しい物があったら教えて」



「………………分かった」


 聞こえてきた小さな声に里江が静かに胸を撫で下ろした。

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