第109話 変化の予兆(8)

 空き教室の中央に広く置かれたテーブルにはカセットコンロと大鍋が二つと大小様々な皿が並べられ、その回りを囲む様に皆が座っている。


「春海さん、早く挨拶してくださいよ。

 誰も食べれないじゃないですか」

「へ? 私!?」


 おでんにミルフィーユ鍋、大根サラダに大根のステーキ、大根の葉を使った炊き込みご飯と大根尽くしの料理にそわそわと目を奪われていた春海が勇太の言葉に目を丸くした。


「テキトーで良いですから」

「そう言われても……えーと、じゃあ……いただきます!」


 短すぎる挨拶に皆で苦笑しながらそれでも両手を合わせて復唱すると、待っていた様に一斉に箸を取った。


「私までお呼ばれして良かったのかしら」

「いいのいいの。

 本当は他の人たちも誘ったんだけど、皆急過ぎて都合がつかなくてさぁ。だから遠慮しないで沢山食べてね」


 早速あれこれと料理を取っている春海の説明に納得したらしく、花江がおでんの大根を切り分けて口に運んだ。


「味、染みてます?」

「ええ、軟らかいし、中までちゃんと味が染み込んでる。だけど、このサラダは歯応えがしっかりしてて……凄く美味しい」


 感心したように箸を進める花江に勇太と美奈が嬉しそうに笑った。


「プロの人に料理食べてもらうのって結構緊張するもんすね」

「それは大袈裟よ。

 私だって普段は歩に甘えてるし、作ってもらった料理はいつだって嬉しいもの」

「え? 普段は歩さんが料理してるんですか?」

「ああ、美奈さんは食べたことないですよね?

 俺、やぐら作りの時に食べましたけど、歩の料理上手いっすよ」

「そうなんだ」

「いえ」


 勇太の言葉にテーブルの向こう側の歩が照れたように微笑む。先程から静かに箸を動かしている歩に隣に座った春海が肩を寄せた。


「ね、歩。

 料理どう?」

「どれも凄く美味しいです。

 皆さん料理上手なんですね」

「歩、そこは訂正がある。

 春海さんを除いて、だ」

「ぐっ!

 悔しいけど言い返せない……!」


 悔しがる春海に一同が笑い、外の寒さも気にならないくらい賑やかな食卓はそれからしばらく続いた。


 ◇


「ここにいたんだ」


 自分を探していたような声に顔を上げれば、教室の入り口に寄りかかるように春海が立っている。


「片付けなら皆で後からするから、ゆっくりしてれば良いのに」

「あ、その、コーヒー淹れようと思って……お湯を沸かす間だけでも」

「そう」


 調理に使ったボウルを洗う歩の隣に春海が並び、すすぎ終わったところで手が差し出される。


「すいません。

 ありがとうございます」

「ううん。

 あ、この間はありがとね。

 昼間お礼言いに行ったとき花江さんは笑ってたけど、実は結構無理してくれてたんじゃない?」

「そんなことないですよ」

「本当~?

 花江さんもまるっきり同じ言い方してたわよ?」

「そうですか?」


 あくまでしらを切り通しながらようやく洗い物を終えると、冷えた手をハンカチで拭う。直ぐ傍にあるコンロのやかんからはまだ湯気が出ておらず、黙ったまま待っていると二つ離れた教室から笑い声が聞こえてきた。


「あの、ここは冷えますし、お湯が沸いたらコーヒー持っていきますから、春海さんは向こうの教室に戻っててください」

「あっちはあっちで盛り上がってるみたいだし、大丈夫よ」


 春海にも笑い声が聞こえたのだろう、小さく笑みを浮かべた視線を廊下に向けても動こうとしない。まるでこのまま二人きりでいることを望むようなその態度に困って、ただひたすらやかんを見つめる。


 少しだけ視線を動かせば、机に寄りかかるように立つ春海の左手が見えた。距離にして30センチないだろう、袖が触れあいそうな近い距離。たったそれだけで意識してしまう自分が情けない。


 ようやくカタカタと蓋が揺れ始め、身体を引き剥がす思いでその場から離れると、コンロの前に置いたカップにコーヒーをスプーンで入れていく。


「歩。

 あたし、甘めが良いなぁ」

「、分かりました」


 ささやかな我が儘が嬉しくて、それだけで緩む口元を自覚する。


「それと、あのクッキーとケーキ、凄く美味しかった」

「……そうですか」


 ────ずるい


「ねぇ、また新しいの作ったら食べさせてよ」

「……何かリクエストあります?」

「あー、あたしは歩の作ってくれたものなら何でも食べたい」


 ────ずるい


 普段より少しだけ緩んだ声も、

 気の抜けた表情も、

 思わせ振りな台詞も、


 全てが、ずるい。


 つい、期待してしまうから。

 諦めたくないと思ってしまうから。


 好きでいてくれるんじゃないかと思ってしまうから。

 

 希望と絶望を繰り返し味わいすぎて、心がばらばらになってしまいそうだ。いや、むしろばらばらに砕けてしまえば何も考えずに済むのに、それすらも許してくれない目の前の残酷で優しい女性ひとがただ恨めしい。



 ──どうして友達でいられないんだろう


 幾度となく思い巡らせた思考は空回りするばかりで、それでも傍にいたいと願う自分は最早どうしようもない。



 一つだけ端に寄せたカップを春海が手に取り、口に運んだ。


「ん、美味しい」


 ふと、どことなく口数が少ない春海に気がついた。

 少しずつコーヒーを飲む横顔は楽しそうだった食事の時とは雰囲気が違い、憂いを帯びている。


「どうしたんですか?」

「ん?」


 一瞬で何事も無かったかのように戻る表情を今日初めて真っ直ぐに見つめた。


「春海さん、元気ないですよね?」

「……」

「何かあったんですか?」

「……」



「ねぇ、歩」


 ようやく口を開いた春海の声がやけに明るくて、ざわりと胸の奥が騒いだ。


「二人でちょっと抜け出さない?」

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